伝説のレスラー vol.14/ボブ・ループ 改訂版
私の中で強烈に印象に残っているレスラーの1人です。
来日は僅か3回。
初来日は1970年に日本プロレス。
2回目の来日は74年に全日本プロレス。
※ちなみに全日本に来日した時はタッグマッチながら御大ジャイアント馬場から得意のショルダー・バスターでピンフォールを奪っています。
この2度の来日は観た記憶はない。
3回目の来日は79年に新日本プロレス。
ここで初めてループを観ることになるのだが、彼の強さは半端ではなかった。
シュートレスリングの走りだと思う。
今でこそシュートという言葉は耳に馴染んでいるが、当時はそんな言葉すら無かった時代。
アントニオ猪木の保持するNWF世界ヘビー級王座に挑戦した試合は彼の本領を遺憾無く発揮した試合であった。
寝技・関節技で猪木を圧倒。
もしや猪木が負けるのでは…。
そう思ったのだが…
マネージャーのグレート・マレンコが手を出した為 反則負け。
幼い僕はヒヤヒヤして観ていたのを未だに覚えています。
「五輪の虎」
と呼ばれた男は本物のレスラーだった。
元々オリンピックで全米代表として選ばれているだけあって、69年のデビュー当時からラフにもシュートにも強い、アスリート系のストロングファイターとして「オールアメリカン」のニックネームで活躍していた。
当初はベビーフェイスとして活動していたが、やがてラフファイトの強さを活かしたヒールに転向。
70年代末までフロリダのCWFを主戦場に、ダスティー・ローデス、ジャック・ブリスコ、ヒロ・マツダ、ロッキー・ジョンソンらと激闘を繰り広げた。
77年にはサンフランシスコ地区に遠征し、同地区の看板タイトルである、USヘビー級王座を獲得している。
79年にケンタッキー州のインディー団体、ICWにボブ・オートンJr.とのコンビで参戦。
その後、MSWAに転戦しテッド・デビアスと抗争を繰り広げている。
85年にケビン・サリバン率いるヒール軍団「アーミー・オブ・ダークネス」の一員として、古巣のフロリダに復帰。
髪を半分剃り上げ、フェイスペインティングをし「マハ・シン」のリングネームで怪奇派レスラーとして悪の限りを尽くした。
この時期にトレーナーとしてデビュー前のレックス・ルガーをコーチしている。
88年に首を負傷し引退。
引退後はミシガン州で学校職員をしている。
1943年
バージニア州ブラックスバーグ出身。
本名 ロバート・ループ
T 185cm W 115kg
得意技
・ショルダーバスター
・ジャンピングニーパッド
・シュミット式バックブリーカー
・チキンウイングフェイスロック
コメント
2016/12/11 16:36
6. >>5 タカアキさん
グラウンドでは多少圧倒されかけてましたが、今思えばそうでもなかったかなと(^_^)
でもガチガチのファイターでしたね(・。・)
結局はマネージャーのマレンコが乱入して反則負けでしたけど、長引いたら猪木サンが有利でしたでしょう(^^)
返コメ
2016/12/11 14:06
5.
この人は、やはり新日リングの猪木さんとの試合がかすかに…。
このコスチュームが印象的で、記憶に残ってたのかなぁ?
結果は覚えていませんでしたが、あの猪木さんが圧倒されていたのは覚えています。
自分の中では「元祖シューター=ローラン・ボック」だったんですが、読ませて頂くと、確かにこの人でしょうね(苦笑)
たったの3回の来日とは惜しい。
ローラン・ボックとの試合も観たかったですね(笑)
返コメ
2010/07/18 23:17
4. >りゅー【プロフのsexとキャリア以外嘘っぱちバージョン】さん
とにかく強かった〓
半端じゃないレスラーでした。
返コメ
2010/07/18 23:09
3. 全く知らないですm(_ _)m
返コメ
2010/06/26 9:05
2. >タッチさん
何故マレンコがループのマネージャーだったのかが理解できません
あれだけ強かったらあんなマネージャーはいらなかったのに…。
返コメ
2010/06/26 2:43
1. やばっマネージャーの名前は聞いた事ありますが・・・
今回の日記内容には、恐れ入りました
返コメ