伝説のレスラー vol.158/ブラックジャック・ランザ
伝説のレスラー
158回目の今回は
「黒い荒馬」 ブラックジャック・ランザの登場です。
カウボーイの家系に生まれ 学生時代はアマレスで活躍する一方、ロデオでも名を馳せ 南部3州の大会で優勝したほどの腕前である。
ドリー・ファンク・シニアにスカウトされ1962年にプロレスラーとしてデビュー。
当初は「カウボーイ・ジャック・ランザ」のリングネームで西部の伊達男を気取ったベビーフェイスとして活動。
66年に本名の「ジャック・ランザ」のリングネームで日本プロレスに初来日。
67年にインディアナポリスのWWAでヒールに転向。
マネージャーにボビー・ヒーナンを従え、黒ずくめのカウボーイスタイルの「ブラックジャック・ランザ」に変身。
WWA世界王者 ウィルバー・スナイダーとの抗争で一躍脚光を浴びた。
71年に同じ黒ずくめのカウボーイスタイルのブラックジャック・マリガンと「ザ・ブラックジャックス」を結成。
WWAとAWAを股に掛け ディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキーの極道コンビと抗争を繰り広げ、WWA世界タッグ王座を獲得している。
この年、国際プロレスに来日しストロング小林の保持するIWA世界ヘビー級王座に挑戦。
73年に単身でニューヨークのWWWFに登場。
ペドロ・モラレスの保持するWWWF世界ヘビー級王座に挑戦している。
74年にはNWAのダラス地区に進出しマリガンとのコンビでタッグ戦線を席巻。
シングルではブラスナックル王座に輝いている。
アメリカンヘビー級王座を賭けて 大ボスのフリッツ・フォン・エリックとも抗争を展開している。
75年にブラックジャックスとしてWWWFに登場。
WWWF世界タッグ王座を獲得。
76年にブラックジャックスを解散しAWAに登場。
ボビー・ダンカンを新パートナーにし因縁の極道コンビからAWA世界タッグ王座を奪取した。
78年にニック・ボックウインクルと共に全日本プロレスに来日。
AWA代表チームとして第1回「世界最強タッグ決定リーグ戦」に参加。
テリー・ファンクにブレーンクローを決めたまま場外に放り投げたシーンは圧巻であった。
選手としての来日はこれが最後である。
79年にヒーナンと共にNWAジョージア地区にに転戦。
ジョージアタッグ王座争奪リーグ戦にロン・バスとのカウボーイコンビで出場するなど主にタッグ戦線で活躍した。
80年に体調を崩し一時的に活動を停止。
83年にAWAで復帰。
しかしヒーナンと仲間割れを起こしベビーフェイスに転向。
黒ずくめのコスチュームから白ずくめのコスチュームに変身した。
84年にAWA王者として遠征して来た鶴田のアメリカでの最初の防衛戦の相手を務めている。
AWAではブッカーとしても才能を発揮し 「AWAの頭脳」 と呼ばれていたが、その才能をビンス・マクマホンに見込まれ 85年にロードエージェントとしてWWFに移籍してしまうのである。
以降 四半世紀以上に渡り パット・パターソン等と共にWWFの隆盛を裏方として支え続けた。
試合のストーリー構成や選手の管理業務に携わり、ビンスから「会社を任せられる男」として全幅の信頼を寄せられている。
また選手からの信頼も厚く スティーブ・オースチンは「親父のような存在」と自伝で語っている。
91年にSWSとの合同興行で久々に来日。
94年のWWE単独興行でも来日し、現場の総責任者として指揮を振るっている。
97年にはマリガンの息子 バリー・ウインダムと義理の甥っ子のジャスティン・ブラッドショーのコンビ 「ニュー・ブラックジャックス」をプロデュースしている。
2006年にマリガンと共にWWE殿堂に迎えられている。
1942年10月14日
ニューメキシコ州アルバカーキ出身
本名 ジャック・ランザ
T 193cm W 120kg
得意技
・テキサスブレーンバスター
・ブレーンクロー
・ブルドッキングヘッドロック
・ダイビングニードロップ
・コブラクラッチ
2006年 WWE殿堂入り