伝説のレスラー vol.166/オレイ・アンダーソン
伝説のレスラー
166回目の今回は
「ザ・ロック」 オレイ・アンダーソンの登場です。
ミネソタ州立大学でレスリングの選手として活躍後 バーン・ガニアからコーチを受け、1967年にAWAでロック・ロゴウスキーのリングネームでデビュー。
ガニア好みのレスリングの下地を持つ若手ヒールとして活躍し、その年のAWA新人賞を獲得している。
69年にNWAミッドアトランティック地区に転出。
リングネームもオレイ・アンダーソンに改名し、ジン&ラーズ・アンダーソンの伝説のタッグユニット 「ミネソタ・レッキング・クルー」の一員となった。
以降はラーズ脱退後のジンのパートナーとなり、ミッドアトランティック地区やジョージア地区のGCWなど NWA南部のテリトリーを席巻。
ミッドアトランティック地区ではリック・フレアー&グレッグ・バレンタイン組やダスティ・ローデス&ディック・スレーター組を撃破しNWA世界タッグ王座を再三獲得している。
GCWではラーズともタッグを組んでおり、78年と80年にジョージアタッグ王座を獲得している。
ミネソタ・レッキング・クルー解散後はGCWを本拠地にしてレスラー兼ブッカーとして活躍。
ワフー・マクダニエル 、ジャック・ブリスコ 、トミー・リッチ 、マスクド・スーパースター 、スタン・ハンセン等と激闘を繰り広げている。
ハンセンとはタッグも組んでいて82年にアトランタで行われたミッドアトランティック版NWA世界タッグ王座争奪トーナメントで優勝を飾っている。
83年にアーン・アンダーソンを勧誘し「ミネソタ・レッキング・クルー」を再編成し活動。
84年にGCWがWWFに買収されたため、新団体CWGの設立に参加。
85年にCWGがミッドアトランティックのジム・クロケット・プロモーションズに吸収合併されると同団体に移籍。
86年にはアーン・アンダーソンとリック・フレアー 、タリー・ブランチャードとヒール軍団「フォー・ホースメン」を結成。
歴史に残る名ユニットとして後生に語り継がれている。
ジム・クロケット・プロモーションズがテッド・タナーに買収されWCWに移行した93年に現役を引退しブッカー業務に専念している。
ブッカーとしては、かなりの切れ者で スタン・ハンセン曰く「オレイはアメリカンプロレス全盛期におけるベストブッカーだった。」と高い評価をしている。
90年にWCWのヘッドブッカーに就任。
しかし息子のブライアント・アンダーソンを売り出すため ジム・コルネット主宰の「スモーキー・マウンテン・レスリング」と接触したことが原因でWCWを解雇されてしまった。
ブッカー業務が忙しく来日は3回と少ない。
初来日は70年に日本プロレス。
2回目は73年に国際プロレス。
共にジンとのコンビ「ミネソタ・レッキング・クルー」としての来日であった。
3回目は86年に全日本プロレス。
旧友スタン・ハンセンの仲介で久々の来日であったがレスラーとしてよりも、当時のNWAとWWFのレスリングウォーの内情を知る人物としてマスコミ関係者から注目を集めていた。
1942年9月22日
ミネソタ州ミネアポリス出身
本名 アラン・ロバート・ロゴウスキー
T 183cm W 116kg
得意技
・ショルダーバスター
・パイルドライバー
コメント
2012/04/08 17:15
2. >澤村さん
![[猫2]](https://img.550909.com/emoji/ic_cat02.gif)
![[ウッシッシ]](https://img.550909.com/emoji/ic_face_foppish.gif)
![[指でOK]](https://img.550909.com/emoji/ic_finger_ok.gif)
オレイは力のあるブッカーだからね
グリーンボーイのジャパニーズが逆らったら そうなっちゃうよね
オモシロ情報ありがとう
返コメ
2012/04/08 16:13
1. 天龍がグリーンボーイでアメリカ修行中、オレイと衝突して干されたって自伝に記してたよ
返コメ