伝説のレスラー vol.216/ブル・ラモス
オールドタイマー編シーズン3
13回目の今回は
「殺人アパッチ」 ブル・ラモスの登場です。
インディアンの血を引くメキシコ系のアメリカ人。
インディアンギミックの選手としては珍しく、ヒールとして活躍した。
1956年のデビューから一貫して "アパッチ " ブル・ラモスのリングネームで活動している。
デビュー当時は100kgにも満たないスリムな身体であったが、年々 体重が増加しスーパーヘビー級の身体となった。
その巨体を見込まれ、67年からWWWFに登場。
翌年、新造されたMSGのオープニング興行ではメインイベントで、WWWF世界王者 ブルーノ・サンマルチノに挑戦している。
69年からロサンゼルスでミル・マスカラスと大抗争を繰り広げ、チェーンデスマッチでも対戦。
最終的にマスクと髪の毛を賭けて闘ったが、敗れてしまい髪の毛を切り落とされてしまった。
同年、日本プロレスに初来日。
チェーンを持参し「できればアントニオ猪木とチェーンデスマッチをやらせてほしい。」と願い出たが、デスマッチを否定している日本プロレスに拒否されている。
70年にテキサスのアマリロ地区に転戦。
テリー・ファンクからウエスタンステーツ・ヘビー級王座を奪取。
72年の来日時には、クリス・マルコフと乱闘事件を起こしている。
73年に全日本プロレスに登場。
75年の来日時には、キング・カーチス・イヤウケアとのコンビ「ザ・タイクーンズ」で日本勢を苦しめている。
77年にはチャンピオン・カーニバルに参戦。
78年の最後の来日ではイヤウケアとのタイクーンズで、キム・イル&キム・ドクの保持するインターナショナル・タッグ王座に挑戦している。
その間アメリカでは、70年代末まで太平洋岸北西部のPNWを主戦場にし、看板タイトルのパシフィック・ノースウエストヘビー級王座を巡り、ダッジ・サベージやジミー・スヌーカらと抗争を繰り広げた。
79年に古巣のロサンゼルスに戻り、NWAアメリカス・ヘビー級王座を獲得。
キャリア晩年の80年には、ビル・ワット主宰のMSWAに参戦。
ミシシッピ・ヘビー級王座を獲得している。
82年に膝を負傷してしまい、現役を退いた。
引退後は地元ヒューストンで救援サービス業に就いている。
その後は糖尿病の影響で脚を切断。
更には盲目にまでなっていた。
2006年 肩の傷口から感染症に掛かり死去。
享年71
70年代にテキサスやロサンゼルスで闘った、チャボ・ゲレロの弔辞によると、「ラモスは周囲を陽気にさせるムードメーカーであり、ドレッシングルームの規律を正す「牢名主」的存在であった。」そうです。
クリス・マルコフとの乱闘騒ぎも、マルコフが人種差別をする発言をしたから制裁を加えたみたいですね。
リング上ではヒールでしたが、リングを降りたらヒーローだったようです。
1935年
テキサス州ヒューストン出身
2006年5月27日没
本名 マニュエル・ラモス
T 183cm W 132kg
得意技
・フライングソーセージ
・フライングエルボードロップ
・フルネルソン