伝説のレスラー vol.218/ワルドー・フォン・エリック
オールドタイマー編シーズン3
15回目の今回は
「冷血鬼」 ワルドー・フォン・エリックの登場です。
60年代から70年代に掛けて、最も成功したヒールの1人と言われていて、カナダを始め全米各地やオーストラリアなどでプロレスファンを熱狂の渦に巻き込んでいる。
卓越した話術で観客を煽る、マイクパフォーマンスのスキルも高く評価されていた。
1950年 カナダのカルガリーでデビュー。
カナダ各地を転戦した後、アメリカに進出。
フリッツ・フォン・エリックと出会い、フリッツの弟となり冷徹なドイツ人キミックの「ワルドー・フォン・エリック」に変身。
「エリック・ブラザーズ」を結成し、ノースカロライナ地区で南部タッグ王座を獲得した。
60年代初頭は、ミスターM、ザ・グレート・ジム 、ワイルドマン・ジム 、ザ・グリーン・ホーネット 、エル・ティグレなどのリングネームを駆使してマスクマンに変身して活動した。
64年から再びワルドー・フォン・エリックに戻り、WWWFに参戦。
3ヶ月連続でニューヨークの帝王 ブルーノ・サンマルチノに挑戦し、王者を大いに苦しめ一躍トップグループの一員となった。
タッグ戦線では65年にジン・キニスキーとのコンビで、ジェリー&ルークのグラハム・ブラザーズからWWWF・USタッグ王座を奪っている。
66年にダラスに入り、フリッツとのエリック・ブラザーズを再結成。
67年に2度に渡りNWAアメリカン・タッグ王座を獲得した。
同年 日本プロレスに初来日。
第9回 「ワールド大リーグ戦」にドイツ代表として参戦。
デストロイヤーに次ぐ、外人サイドの2番手として優勝戦線を撹乱する活躍ぶりであった。
次の「アイアンクロー・シリーズ」にも残留参加し、フリッツとのコンビを日本でも実現させ 馬場&吉村の保持する、インターナショナル・タッグ王座に挑戦している。
68年には国際プロレスに来日。
70年代に入るとシングルプレイヤーに専念。
WWWFやNWAトライステート地区を経て、71年にニューヨーク州バファローを拠点とするNWFに登場。
同年 ジョニー・パワーズを破り、NWF世界ヘビー級王座を奪取している。
NWF王座は2度に渡って戴冠した。
NWF時代にはアブドーラ・ザ・ブッチャーとも抗争している。
72年に日本プロレスに来日。
坂口の保持するUNヘビー級王座に挑戦。
73年から74年にかけてオーストラリアで活動。
スパイロス・アリオンやマリオ・ミラノと抗争した他 、タッグ戦線ではグレート・トージョー(サムソン・クツワダ)との日独軍人コンビで暴れまくっている。
75年には第2次政権時代のブルーノ・サンマルチノの首を狙い、久々にニューヨークを襲撃した。
76年にNWF時代の抗争相手 ブッチャーと共に全日本プロレスに来日。
ブッチャーとのコンビでBT砲の保持するインターナショナルタッグ王座に挑戦。
シングルでは大木金太郎の保持するアジアヘビーにも2回挑戦している。
77年には久々にマスクマンのザ・グレート・ジムに変身。
NWAトライステート地区で、テッド・デビアスから北米ヘビー級王座を奪取。
これが最後のタイトル戴冠となった。
79年に引退。
引退後は地元カナダのオンタリオ州で「ICW」という団体を主宰。
後進の育成に尽力した。
プロレス以外では背中の怪我や痛みなど、特にスポーツ障害を和らげる椅子の開発に力を注いで、専門家や医師と長年 チームを組んで働いている。
2009年に心臓発作により他界。
享年75
「自画自賛する訳ではないけど、私は何処に行っても最も熱気を呼ぶヒールだったと思う。」
こんなコメントを言わせるほど彼は、自分のヒールとしての働きぶりに誇りを持っていたんだなと思います。
1933年10月2日
カナダ・オンタリオ州トロント出身
2009年7月5日没
本名 ウォルター・ポール・シーバー
T 193cm W 120kg
得意技
・プロシアンドロップ(カーフブランディング)
・ブリッツクリーグダイブ(ダイビングニードロップ)
・ブレーンクロー