伝説のレスラー vol.230/ビル・ワット
オールドタイマー編シーズン3
27回目の今回は
「南部の荒馬」
"カウボーイ" ビル・ワットの登場です。
1960年代後半から70年代を全盛期に、カウボーイ・スタイルの大型ファイターとして活躍。
オクラホマ・スタンピードのオリジネーターとして有名。
また、プロモーターとしての手腕にも優れ、全米で一時代を築いている。
「オクラホマにワットあり!」
と唄われたほどのフットボールの名手で、プロレスラーの前にはAFLのヒューストン・オイラーズやNFLのミネソタ・バイキングスでプレイしていた。
62年に大学の先輩である、ダニー・ホッジに誘われプロレス入り。
63年には早くも、NWAテキサスヘビー級王座を獲得している。
64年にはテーズの保持する、NWA世界ヘビー級王座に挑戦。
わずか2年でトップコンデンターの仲間入りするほどの実力者であった。
同年の下期からニューヨークのWWWFに登場。
最初はベビーフェイスとして、帝王サンマルチノのパートナーを務めていたが、すぐにヒールに転向。
翌年のMSGの定期戦では、王者ブルーノ・サンマルチノに4ヶ月連続で挑戦している。
タッグ戦線では、ゴリラ・モンスーンとの大型コンビで、ジン・キニスキー&ワルドー・フォン・エリック組からWWWF・USタッグ王座を奪っている。
67年に日本プロレスに初来日。
ターザン・タイラーとのコンビで、馬場&吉村組からインターナショナル・タッグ王座を奪取した。
しかし1週間後には馬場&猪木組に敗れ、短命王座に終わっている。
60年代末にレロイ・マクガークが牛耳る、オクラホマ、アーカンソー、ルイジアナ、ミシシッピをサーキットエリアとする、NWAトライステート地区のエース兼ブッカーとして活動。
看板タイトルのNWAノースアメリカン・ヘビー級王座には5回戴冠している。
他の地区にも積極的に参戦し、フロリダやジョージア、アラバマなどに遠征。
ヒールとして、他の地区のエースと対戦している。
74年に国際プロレスに来日。
ストロング小林の保持するIWA世界ヘビー級王座に連続挑戦した。
このワット戦が小林の最後の防衛戦となった。
79年にトライステート地区のボスであるマクガークと激しく対立。
NWAを団体しミッドサウスエリアに独立団体「MSWA」を旗揚げ。
その後 82年までの間にトライステート地区を完全に乗っ取り、テキサスのプロモーターと手を組み、ヒューストンにも進出。
興行の拠点をニューオリンズのルイジアナ・スーパードームにし、定期的にビッグイベントを開催。
NWA加盟団体ではないのに、NWA世界王者のリック・フレアーを招聘するなど、その手腕は高く評価された。
84年から始まった、WWFの全米侵攻計画にも揺るぐことなく、MSWAは隆盛を誇っていた。
86年から団体名を「UWF」に改称。
ロサンゼルスやフィラデルフィアにまでマーケットの拡大に成功。
MSWA旗揚げ以来、セミリタイア状態だったワットもこの年正式に引退。
プロモート業に専念している。
NWAのジム・クロケット・プロモーションと共同でビッグイベントを開催するなど、UWFは全米マット界の台風の目となっていったのである。
しかしマーケットを拡大し過ぎ、移動費やら選手のギャランティやらで懐具合も徐々に怪しくなり、87年にジム・クロケット・ジュニアに400万$で売却し、プロレス界から撤退した。
その後92年にWCWの副社長に就任。
同年には新日本プロレスのG1クライマックスの一環として行われた、NWA世界ヘビー級王座決定トーナメントに立会人として久々に来日している。
しかし93年に人種差別発言をしたためWCWを退団。
表舞台から完全に身を引いた。
2009年 それまでのプロレス界への功績を称え、WWEの殿堂に迎えられている。
1939年5月5日
オクラホマ州オクラホマシティ出身
本名 ウィリアム・ワッツ
T 193cm W 135kg
得意技
・オクラホマスタンピード
・ショルダーブロック
・アルゼンチンバックブリーカー
・カナディアンバックブリーカー
2009年 WWE殿堂入り
コメント
2012/07/16 15:15
2. >福ちゃんさん
福ちゃん こんにちは(⌒∇⌒)ノ
いつも福ちゃんのコメントには当時の匂いが感じられて楽しみです。
返コメ
2012/07/16 9:48
1. >コイサン‥こんにちは〓
馬場のインターに挑戦してますね。勝て無かったですが‥
日本帰りは、出世すると、言われてますが、正にです。
プロモ-タ-で活躍ですね。東京スポーツで、動静は伝えられました。
メジャーで馬場が1面記事が、増えて行く時代でした。
返コメ