伝説のレスラー 番外編 海外と日本 両方で活躍した日本人レスラーPart.2
伝説のレスラー 番外編
海外と日本、両方で活躍したレスラーPart.2
Part.1からの続きです。
Part.1を読んでない人はPart.1を読んでからPart.2を読むことを勧めます( ̄ー ̄)
それではPart.2スタート!
海外と日本両方で活躍したレスラー
6人目はこの選手。
その6
☆マサ斎籐
マサ斎藤が渡米したのは1967年。
東京プロレス崩壊の翌年である。
ミスター・サイトーやマサ・サイトーのリングネームで活動。
先ずはロサンゼルスで米本土デビュー。
その後西海岸で活動。
サンフランシスコでは日系の大御所キンジ渋谷とのコンビでNWA世界タッグ王座を1年間保持した。
ニューヨークではミスター・フジとのコンビでWWF世界タッグ王座を2回獲得。
ミネソタではハルク・ホーガンと抗争したりと全米どのエリアでもトップヒールとして活躍している。
日本では1978年に新日本プロレスにて日本人フリーの大物ヒロ・マツダ率いる「狼軍団」に加入し、マツダとのコンビで坂口&小林組からNWA認定北米タッグ王座を奪取。
82年には長州率いる「革命軍」の参謀役を担って長州の心の支えとなっている。
革命軍はその後、「維新軍」と改名し、更には「ジャパンプロレス」へと発展し新天地を求め全日本プロレスに進出していくのであります。
その後は猪木と巌流島で2時間を越える激闘や、90年にはラリー・ズビスコを破り日本人としては2人目となるAWA世界ヘビー級王座を獲得している。
米国でのヒール人気は凄まじいものがあり、どの団体でもトップヒールでありました。
これもレスリングがしっかりできてるが故のことだと思います。
人望も厚く、パテラと一緒に逮捕された時には裁判で、ガニアやニックが証言台に上がってくれたそうです。
7人目はこの選手。
その7
☆長州力
★海外でのリングネーム
◇リッキー・チョーシュー
1982年3月
第5回MSGシリーズのリーグ戦終了後に何故かドバイに渡った。
その年、絶不調だった長州の心機一転を図るのが会社の目的だった。
ドバイからメキシコに入った長州は、会社の思惑通りに7月にUWAの帝王カネックからUWA世界ヘビー級王座を奪取したのである。
※メキシコではグラン浜田とのコンビでUWA世界タッグ王座も獲得している。
帰国直前でカネックに惜しくも奪い返されてしまったが、自信や活力が漲ってきたのだろう。
10月に帰国した長州はビジュアルだけでなく、目はギラギラしファイトスタイルも激しいものになり、まるで別の人間に生まれ変わったようであった。
長州はメキシコで猪木も腰に巻いたことのある、UWAのベルトを獲得したことで自信を身に纏っての凱旋帰国だった。
メキシコでトップレスラーになったんだという自負があった。
そして帰国第1戦で日本での自分の地位にイラつき例の発言となって噴火したのだ!
「藤波!なんで俺がオマエの下なんだ!なんで俺がオマエの前を歩かなきゃならないんだ!なんで俺のコールがオマエより先なんだ!」
「俺とオマエと何処が違う!オマエはチャンスを与えられただけだ!勝負しろ!勝負してやる!オマエをぶっ倒してやる!!」
言わずと知れた「咬ませ犬発言」であります。
その後、長州は体制に噛みつき、猪木に噛みついたのであります。
藤波とWWFインターナショナルヘビー級王座を懸けた一連の闘いが「名勝負数え歌」と呼ばれ時代の寵児へと成長。
新日を離脱し全日へ移籍してからも勢いは止まるどころか、更に加速し谷津とのコンビで鶴龍コンビからインタータッグを奪取!
そしてハンセンを破り、鶴田も天龍も巻いたことのなかったPWFヘビー級王座をも手中に収めるのであった。
正に革命戦士!
その後は新日にUターンし、猪木を破り名実共に新日の頂点へと登り詰めたのであります。
新日の至宝IWGPヘビーも手に入れ、G1クライマックスも優勝。
IWGPタッグ王座も3回獲得している。
1度引退しているが、大仁田の挑発に乗り現役復帰し電流爆破マッチも経験している。
その後はWJプロレスを旗揚げしたり、藤波や佐山達とレジェンド・ザ・プロレスリングを旗揚げし、まだまだ元気に活動している。
続いて8人目はこの選手。
その8
☆前田日明
★海外でのリングネーム
◇クイックキック・リー
前田の海外初遠征は1982年。
イギリスに渡英している。
サミー・リー(佐山サトル)の弟というギミックでクイックキック・リーのリングネームでファイトしていた。
イギリスに渡ってから約1年後にヨーロッパ・ヘビー級王座を獲得。
その年に開催されたIWGPに欧州代表として参加するため凱旋帰国した。
84年に再び海外に遠征。
今度はニューヨーク。
MSGで新設されたWWFインターナショナルヘビー級王座を獲得した。
(藤波の保持しているベルトとは別の王座。)
そのベルトを手土産に帰国した際にUWFの旗揚げに参加している。
その後UWFは藤原や佐山、木戸の参戦により路線変更し、キックとサブミッションを武器に台頭してくるのである。
しかし内部分裂を起こしてしまい、前田は藤原達と86年に新日本プロレスにUターン。
藤波との壮絶なバトルやアンドレとのセメントマッチ、ドン・中矢・ニールセンを相手にした異種格闘技戦などで活躍した。
88年に再び新日本を離脱。
第2次UWFを発足し若者の絶大なる支持を集めている。
この時代にはクリス・ドールマンやウィリー・ウィルヘルムとの異種格闘技戦なども行っている。
UWF解散後はリングスを旗揚げして活躍。
しかし度重なる膝の故障により現役続行は困難を極めたため引退。
引退後はビッグマウスやHERO'Sのスーパーバイザーやアウトサイダーズなど格闘ビッグイベントのプロデュースを手掛けている。
9人目はこの選手。
その9
☆グラン浜田
日本でのリングネームはリトル浜田。
浜田の初遠征は1975年にメキシコ。
メキシコでリングネームをグラン浜田に改名している。
翌年にはUWA世界ミドル級王座を獲得。
その試合がその年のベストバウト賞を授賞。
浜田個人も最優秀外国人賞を授賞した。
その後、UWAではジュニアライトヘビーとライトヘビー級王座を獲得し3階級制覇を成し遂げている。
79年に凱旋帰国しマリポーサ殺法と呼ばれた空中戦術で人気を博した。
81年には人気絶頂のタイガーマスクとも対戦している。
他にもペロ・アグアヨとのダブルタイトルマッチに勝利しWWFライトヘビー級王座を奪取している。
メキシコでは長州とのコンビでUWA世界タッグ王座を獲得。
84年から新日を離れ、第1次UWFや全日本プロレスに参戦。
92年に再びメキシコでUWA世界ジュニアライトヘビー級王座を獲得。
94年には久々に新日に参戦し金本からUWA世界ウェルター級王座を奪取した。
現在でも現役で活躍している。
そして最後はこの選手。
その10
☆佐山サトル
★海外でのリングネーム
◇サトル・サヤマ
◇サミー・リー
佐山の初遠征は1978年にメキシコ。
サトル・サヤマのリングネームで活動。
翌年にはリンゴ・メンドーサを破りNWA世界ミドル級王座を獲得し10回防衛している。
後に佐山は「このタイトル(NWAミドル)が1番嬉しかった。」と話している。
80年にはイギリスに渡りブルース・リーの従弟という大胆なギミックでサミー・リーのリングネームで活動。
マーシャルアーツスタイルに人気に火が着き、大ブレイクするのである。
ロイヤルアルバートホールやウェンブリーアリーナといった名だたる大会場をフルハウスにしイギリスでトップに登り詰めるのであった。
その時のライバルが後にブラック・タイガーとして佐山を苦しめた、ローラーボール・マーク・ロコであった。
2人の闘いはイギリス中を興奮の坩堝に叩き込んだのである!
しかし抗争中にも関わらず新日本プロレスに呼び戻された佐山はチープな虎の覆面を被らされタイガーマスクとして我々の前に姿を現すのであった。
そこからは皆さんご存知の通り。
黄金の虎として伝説を築き上げるのであります。
82年にWWFジュニアヘビーとNWA世界ジュニアヘビーの2大タイトルを獲得。
WWFジュニアヘビーは3度の戴冠で合計23回の防衛を記録している。
タイガーマスクとしてデビューしてからTVの視聴率は毎回25%を越えていた。
シングルの戦績は165戦155勝1敗9引き分けで1敗もフェンスアウトによる敗戦でピンフォール敗けは1度もない。
以上
海外と日本
両方で活躍した日本人レスラーでした(^∧^)/
どうもありがと~(-o-)/
コメント
2014/10/10 21:49
30. >>27 レインメーカーさん
クスリ…失敬\(__)
栗栖は長かったね(・o・)
向こうでルチャ雑誌にも
アグアヨとかとトップルードとして
取り上げられてるしね(^_^)
全日だと三沢と越中が
一緒に行ってるしね。
メキシコは登竜門なのかな(^^)
返コメ
2014/10/10 21:21
29. グラン浜田を評価したい。
小さな体を利点に変えて、メヒコで結婚までして腰を据えたから。娘も優秀。
しかし、メヒコで修行した選手は、皆、浜田に意地悪をされたらしい。
返コメ
2014/10/10 20:34
28. >>24 ☆コイサン☆さん
混乱させてsorry(/▽\)♪
題名は初代タイガーになっていたから多分合っていると思うよ( ・∇・)
この話はここまでにしよう(笑)( ^∀^)
返コメ
2014/10/10 18:43
27. >>26 ☆コイサン☆さん
隆に…失礼。
確かに新日のレスラーは、キリがないほど居ますね~〓
栗栖まで、行ってるんスよね~。
返コメ
2014/10/10 18:28
26. >>25 レインメーカーさん
ほとんどかどうかは貞子…シツレイ\(__)
定かではないけど
メキシコは多いですよね(^.^)
パク・チュー、テムヒン・エル・モンゴル、ドクトル・フヒナミ、サトル・サヤマ、マサノブ・クリス、グラン・ハマダ、リッキー・チョーシュー…数え上げたらキリがない(・・;)
他にもヒロ・サイトーやジョージ・タカノも行ってますしね(^.^)
邦昭も!
返コメ
2014/10/10 18:21
25. 当時の海外修業で、メキシコはほとんどのレスラーが行ってマスよね~
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2014/10/10 18:18
24. >>23 ふらっと[おかげさまで生きる]さん
樋口?
じゃあ三沢じゃね~の(・・;)
よぐわがんね( ̄O ̄;)
返コメ
2014/10/10 17:56
23. >>22 ☆コイサン☆さん
多分レフェリーがジョー樋口さんだったような( ̄~ ̄;)
そうだね(笑)
観てもつまらなかったし(  ̄▽ ̄)
返コメ
2014/10/10 17:28
22. >>21 ふらっと[おかげさまで生きる]さん
なんだべな( ̄~ ̄;)
わがんね(・・;)(;^_^A
返コメ
2014/10/10 17:06
21. >>20 ☆コイサン☆さん
なんか昔の試合っぽかったよ(^^)
マスクかぶった三人のレスラーが場外で大仁田をボコボコにしていて
佐山タイガーが手を叩いて喜んでいた(*´-`)
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