伝説のレスラー番外編 新日本プロレスを襲った 伝説の外国人レスラー vol.1
伝説のレスラー 番外編
新日本プロレスを襲った
伝説の外国人レスラー vol.1
新日本プロレスは日本プロレスを追放された猪木が理想のプロレスを求めて1972年1月28日に設立。
同年の3月6日に大田区体育館で旗揚げ戦を行っている。
新日本プロレスの正式名称は
「新日本プロレスリング興行株式会社」。
通称 新日。または新日プロ。
キング・オブ・スポーツの文字と百獣の王ライオンの顔がトレードマーク。
「ストロングスタイル」を標榜し、そのリングにはプロレスラーのみならず多種様々な格闘技選手が参戦するなど、プロレスが世界一の格闘技であることを証明するための闘いが繰り広げられてきた。
今回からは、そんな新日本プロレスのマットを襲った外国人レスラーから数名ずつをピックアップして紹介していきたいと思います。
新日本プロレスは旗揚げ当初、外国人レスラーの招聘ルートが弱かったのですが、それでもゴッチのブッキングや東京スポーツ新聞社の力を借りて、どうにか外国人レスラーを登場させていました。
第1回目は新日初期のビッグ3に登場してもらいましょう。
それではいざっ!
闘いのワンダーランドへ!
1.カール・ゴッチ 188センチ 110キロ
得意技 ジャーマンスープレックス
1924年ベルギー・アントワープ出身
1948年のロンドン五輪にアマレスのベルギー代表で出場。
1950年にプロレス入りし、イギリスに渡ってウィガンにあった「ビリー・ライレー・ジム」に入門した。
師匠のライレー、師範代のビリー・ジョイスから徹底的にランカシャー・スタイル・レスリング(キャッチ・アズ・キャッチ・キャン)を叩き込まれ、あらゆる関節技をマスターし、50年代後半には「欧州に敵なし」と言われる存在となる。
1960年にアメリカに進出。
切り札のジャーマンスープレックスと関節技を武器に大ブレイクしている。
初来日は1961年に日本プロレス。
67年には日本プロレスのコーチに就任。
この時に猪木に関節技や卍固め、ジャーマンスープレックスを伝授し強い師弟関係を構築している。
新日本プロレスが旗揚げするとブッカー兼トップレスラーとして全面協力し、旗揚げ戦のメインでは体調が万全でなかった猪木をリバーススープレックスで叩きつけ完勝。
その後も幾度となく猪木に胸を貸しプロの厳しさを叩き込んでいる。
2.ルー・テーズ 191センチ 110キロ
得意技 バックドロップ
1916年ミシガン州バナット出身のハンガリー系アメリカ人で、ミズーリ州セントルイスで育ち。
父親のマーチン・テーズもレスラーであった。
1935年に19歳でレスラーとなり、1937年に弱冠21歳でエベレット・マーシャルからNWA世界ヘビー級王座を奪取。
以降、1966年に49歳でジン・キニスキーに敗れるまでの28年間、合計6度、通算世界王者期間12年8ケ月に渡りNWA王座に君臨し、前人未踏の936連勝を達成するなどして「鉄人」と呼ばれた。
初来日は1957年に日本プロレス。
新日マット初見参は1972年に行われた猪木対ゴッチ戦の特別レフリーとして。
その試合に触発されたテーズは現役復帰し、翌73年にゴッチとのコンビで猪木&坂口の黄金コンビと激突している。
1975年には猪木の保持するNWF世界ヘビー級王座に挑戦。
59歳とは思えない切れ味鋭いバックドロップを披露してくれている。
「ヘソで投げる」と形容されたバックドロップはプロレス史上屈指の必殺技である。
3.ジョニー・バレンタイン 193センチ 115キロ
得意技 ブレーンバスター(脳天へのエルボー)
1928年ワシントン州レキシントン出身
ポーランド系アメリカ人。
ロープワークや投げ技を嫌い、絞め技や関節技、打撃技だけで試合を組み立てていた。
特に肘での攻撃は凄まじく肘に何か仕込まれていると言われていた程の破壊力を秘めていた。
1946年にアルゼンチンに渡り、往年の名選手スタニスラウス・ズビスコ門下に入り、翌1947年にデビュー。
1949年にアメリカ本土へ戻り、エルボー攻撃でサディスティックに相手を血ダルマにする冷血ファイトで一気にスターダムにのし上がった。
ニューヨークではボブ・エリスとのハンサム・コンビで人気を博している。
またNWA世界王者時代のバディ・ロジャースの最大のライバルとも言われていた。
1966年に東京プロレスに初来日し、猪木との激闘で日本でも有名となっている。
試合中に見せる鬼気迫る表情が彼の真骨頂である。
新日本プロレスには1973年に参戦。
坂口と血みどろの激闘を繰り広げ、レギュラーのエース外国人レスラーとして再来日が期待されたが、1975年に飛行機事故で背骨と両足を複雑骨折して引退を余儀なくされてしまった。
もしもバレンタインが事故に遭遇しなければ新日で大活躍間違いなしだったのにと思うと残念でなりません…。
初期の新日本プロレスに来日した外国人レスラーは一部を除いて、まったく無名のB級レスラーばかりでした。
NWAに所属する外国人レスラーはライバル団体の全日本プロレスが押さえ、AWAは国際プロレスが提携。
このままではB級のキワモノしか来ない(--;)
苦悩の新日・猪木丸を救ったのはカナダからの刺客と、五大湖地区の世界王者だったのです。
次回は新日本プロレスを一躍トップ団体に成長させた、あの狂乱ファイター達の登場です。
以上(^_^)/
新日本プロレスを襲った
伝説の外国人レスラー vol.1でした!
どうもありがと~(-o-)/
コメント
2015/03/29 8:09
24. >>23 アギーさん
ゴッチの五輪ベルギー代表説は微妙だったらしいけど、当時の記録を観たらちゃんと名前が載ってたんだって(^.^)
テーズの連勝記録も引き分けを挟んだ記録だけど立派だよね(^^)
バレンタインは若い頃は物凄い
ハンサムだったからね(^_^)
ハンサムは歳を重ねてもハンサムなんだよね(~_~)
返コメ
2015/03/29 7:56
23. どれも劣らぬLEGENDたち。
ゴッチはドイツの印象なんだけど、実はベルギーという(笑)
テーズの連勝記録の見事さは、それだけの信頼感と集客力があった証拠。王者は転戦を繰り返す当時としては、真の大記録と言える。
バレンタインは写真でしか見てないけど、猪木の記念試合に松葉杖で来日していた。笑顔の素敵な渋いオヤジだったなぁ。
返コメ
2015/03/27 15:25
22. >>21 ☆空我☆『JuIie』Rock’n Tourさん
そりゃ社員さん大喜びですね(^ー^)
1番大喜びなのは社長さんだと
思いますが(o⌒∇⌒o)
返コメ
2015/03/27 12:05
21. >>20 ☆コイサン☆さん
臨時休業ですよ。
ワタクシ。優しいから。『自分で言う』
☆空我☆
返コメ
2015/03/27 12:03
20. >>19 ☆空我☆『JuIie』Rock’n Tourさん
臨時休業ですか(。-∀-)
それとも社員に働かせて
自分は花見ですか( ̄ー ̄)
いいな~("⌒∇⌒")
返コメ
2015/03/27 11:58
19. >>18 ☆コイサン☆さん
はい。
そうみたいですよーっこい しょーいち。
ワタクシは 独立開業の自営業。
社長ですから。融通きくんですよ。
☆空我☆
返コメ
2015/03/27 11:15
18. >>17 ☆空我☆『JuIie』Rock’n Tourさん
月曜日に花見ですか( ; ゜Д゜)
皆さん休みなんですか( ・◇・)?
返コメ
2015/03/27 8:40
17. >>16 ☆コイサン☆さん
そこには。
30日ですロックンロール。
オフ会で ござる。笑
☆インド人☆
返コメ
2015/03/27 8:38
16. >>15 ☆空我☆『JuIie』Rock’n Tourさん
おはようございます(^^)
今日は上野恩賜公園が
スゴイことになりそうですね(*´∀`)♪
行ってはダメですよ(* ̄∇ ̄*)
返コメ
2015/03/27 8:33
15. オハヨウゴザイマス。☆インド人☆
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