伝説のレスラー番外編 新日本プロレスを襲った 伝説の外国人レスラー vol.4
伝説のレスラー 番外編
新日本プロレスを襲った
伝説の外国人レスラー vol.4
1974年にWWWFと提携した新日本プロレスであったが、肝心の世界王者が来日しない日々が暫く続きました。
それでも猪木はストロング小林や大木金太郎といった大物挑戦者と対決し、プロレスブーム到来の確かな手応えを感じていた。
そんな中、WWWFの政権が交替し、遂に新日本プロレスにニューヨークの帝王が登場するのです。
更に新日本プロレスは単独で大物の招聘に成功。
そしてNWAに加盟する以前に、NWAからNWA認定北米タッグ王者の招聘に成功するのである。
今回は超が付くビッグネームとNWA北米タッグ王者、更にはWWWFから来日した選手の登場です。
それではどうぞ(@^^)/
1.ザ・シーク 183センチ 108キロ
得意技 キャメルクラッチ
1926年ミシガン州ランシング出身
シークの初来日は1972年に日本プロレス。
田園コロシアムと大阪府立体育館の2試合だけ特別参加する「超大物」ぶりだった。
そして来日初戦で坂口を破り、UNヘビーを奪うという離れ業をやってのけた。
翌年には全日本プロレスに参戦。
馬場のPWFの初防衛戦の相手として、この来日でも大阪府立体育館と日大講堂の2試合だけの特別参加の超VIP待遇であった。
そのまま全日の常連になるかと思われていたが、翌年には新日本プロレスを襲っている。
日プロや全日と違い新日本プロレスではシリーズ中盤戦の6試合の特別参戦であった。
沖縄で猪木とシングルマッチ2連戦。
因縁の坂口ともシングルマッチで2戦している。
猪木とはランバージャック・デスマッチまで敢行し完全決着を目論んだが、猪木のラフファイトの前に敢え無く玉砕してしまった。
シークの新日マット参戦はこのシリーズのみであった。
2.ハリウッド・ブロンドス
*ジェリー・ブラウン 188センチ 113キロ
1937年ミネソタ州アルバート・リー出身
ミズーリ州カンザスシティ育ち
*バディ・ロバーツ 182センチ 110キロ
1945年オクラホマ州デル・シティ出身
カナダ・ブリティッシュコロンビア州バンクーバー育ち
昭和プロレス史に残る名タッグチーム。
70年代に新日マットで活躍したタッグ専門チームの中では群を抜いて横綱格の実力コンビであったブロンドス。
元々はブラウンとダンディ・ジャック・ドノバンがコンビを組んで「ブロンド・ボンバーズ」として活動していたが、ドノバンが足首を負傷したためロバーツが急遽新しいパートナーに起用され、2代目ブロンド・ボンバーズとして活動。
後にコンビ名も「ハリウッド・ブロンドス」に変更され、マネージャーにサー・オリバー・フンパーティングを迎え、NWA地区で大ブレイクしている。
とにかくこの2人、シングルプレイヤーとしては大したことないのですが、タッグとなると別人のように超1流のプレイヤーに変身するのです。
初来日は2人揃って1971年に国際プロレス。
新日マット初登場は1975年。
ロサンゼルスで猪木・坂口組の保持する北米タッグ王座に挑戦するも1-1の引き分けに終わっているが、猪木の負傷によって返上された同王座を坂口&小林組と争い、見事2-1のスコアで破り3代目の王者に君臨している。
この試合はこのチームのベストバウトであった。
以降も79年まで新日のレギュラーとして頻繁に来日。
その後チームは解散し、ロバーツはマイケル・ヘイズ、テリー・ゴディの2人と「ファビュラス・フリーバーズ」を結成。
タッグプレイヤーとして、もう一花咲かせている。
3.スーパースター・ビリー・グラハム 195センチ 125キロ
得意技 スーパースターリクライニング(キャメルクラッチ)
1943年アリゾナ州パラダイスバレー出身
10代の頃からボディビルとフットボールに熱中し、3つのフットボール球団に在籍後、カルガリーのスチュ・ハートにスカウトされプロレス入り。
1969年にデビュー。
1970年にフロリダでジェリー・グラハムに出会い、悪名高きゴールデン・グラハムズの末弟ビリー・グラハムに変身した。
1974年に国際プロレスに初来日。
新日本プロレス初登場は1976年。
猪木とシングルマッチで対戦するも卍固めで敗れている。
1977年にWWWFでサンマルチノを破りWWWF認定世界ヘビー級王座を獲得。
ヒール王者としては異例の10ケ月という長い期間、MSGの帝王に君臨した。
そして1978年にWWWF世界ヘビー級王者として新日マットに登場。
提携後ようやく新日本マットにWWWFの頂点を招聘したのである。
当然防衛戦も行い、日本武道館で坂口征二の挑戦を退けている。
本格的にステロイドを使用して肉体をビルドアップして大成功した最初のレスラーである。
4.ビル・ロビンソン 191センチ 115キロ
得意技 ダブルアームスープレックス
1938年イギリス・マンチェスター出身
1956年と57年のイギリスアマレス王者。
1957年の暮れに19歳でプロスラーとしてデビューした。
イギリスのウィガンにあったビリー・ライレー・ジムに入門し、地獄の特訓に耐え抜き、あらゆる関節技をマスターしている、プロレス界を代表するシューターであり、フッカーでもある。
1968年に国際プロレスのマットに初来日。
日本マット史上初の「善玉外人エース」として国際のリングを大いに盛り上げた。
新日マット初登場は1975年。
蔵前国技館で猪木の保持するNWF世界ヘビー級王座に挑戦。
猪木を崖っぷちまで追い込む、凄絶な試合を展開して、立会人のルー・テーズとカール・ゴッチをも唸らせている。
この試合は、今でも猪木のベストバウトと評する声が多いが、プロレス史に残る名勝負と言っても過言ではない大熱戦であった。
シークやロビンソンといった超大物外人レスラーの招聘や、ストロング小林に大木金太郎のビッグネームとの興行に成功。
更にWWWF世界王者の招聘と、新日本プロレスは、業界トップの座に王手を掛けた。
次回は怒濤のWWWF勢の来襲。
更にはNWAミッドアトランティック地区から謎の覆面レスラーの登場。
そして遂にサンマルチノの首をヘシ折った、あのバッドボーイが新日初登場!
パワーの洪水が新日本マットを襲います。
以上(^_^)/
新日本プロレスを襲った
伝説の外国人レスラー vol.4でした!
どうもありがと~(-o-)/
コメント
2015/04/04 13:25
4. シークってブッチャーのタッグパートナーくらいの印象しかなかったんだすがそんな大物やったんだすなあ(ΦДΦ;)
返コメ
2015/04/04 9:54
3. シークが新日本に来日したのは、知らなかったッスね~(;o;)
ビリーグラハムの写真を見ると、J.ベンチュラも思い出してしまう。
返コメ
2015/04/04 9:43
2. 濃いなぁ~(≧∇≦)
中でも…ロビンソンと猪木の一戦
アレは
新日の歴史の中のベストバウトだと俺は思う
返コメ
2015/04/04 9:36
1.
おはよーヌ!(^_^)/
ロビンソン戦はかろうじて覚えてるじょ!
∵ゞ(´ε`●)ブハッ
返コメ