伝説のレスラー番外編 新日本プロレスを襲った 伝説の外国人レスラー vol.8
伝説のレスラー 番外編
新日本プロレスを襲った
伝説の外国人レスラー vol.8
80年代初頭の新日本プロレスに参戦して来た選手はWWF勢が多かった。
今回はWWFから送り込まれて来た選手と欧州マット界の異端児、更には新日外人歴代ナンバーワンの売れっ子が登場します。
それではどうぞ(@^^)/
1.ハルク・ホーガン 201センチ 140キロ
得意技 アックスボンバー
1953年フロリダ州タンパ出身
高校時代からウェイトリフティングで鍛える一方、UCLA在学中にはロックバンドでベースギターを担当していたという変わった経歴の持ち主。
ヒロ・マツダの厳しいコーチを受けて1977年にテリー・ブルドーのリングネームでデビュー。
1979年にWWFマット初登場を機にハルク・ホーガンと改名し、その初戦でテッド・デビアスを破って一気にスターダムへ。
初来日は1980年にブラッシーをマネージャーに帯同して新日本プロレス。
粗削りながら超人的なパワーを披露した。
同年の再来日では猪木の保持するNWF王座に挑戦している。
暮れのMSGタッグリーグ戦ではハンセンとのコンビで準優勝。
81年末にハンセンが全日に引き抜かれたのを機に必殺のアックスボンバーを開発して一人立ち。
1983年にはアントニオ猪木を場外に葬り、第1回IWGPを制している。
84年にアイアン・シークを破りWWF世界王座に就いたため、長期間の滞在が困難となり、85年6月を最後に新日とWWFの提携破棄によって参戦が途絶えている。
新日本プロレスで猪木の最大の敵となり、ハンセンのように日本マット界に貢献してくれたら日本のファンも、もっとホーガンのことを好きになったことでしょうね。
2.ローラン・ボック 191センチ 118キロ
得意技 ダブルアームスープレックス
1944年西ドイツ・ゲイシュリンゲン出身
1968年にレスリングでメキシコ五輪に出場。
1973年にプロレス入り。
妥協なきファイトスタイルで一躍トップグループ入りを果たしている。
1978年に初代WWU世界ヘビー級王座に就いた。
プロモーター業にも着手し、78年には猪木を招き「欧州選手権シリーズ」を開催。
まったく休む暇のない地獄の日程で猪木を苦しめ、終盤戦のシュツットガルトで猪木を圧倒して判定勝ちを収めている。
所謂「シュツットガルトの惨劇」と呼ばれているその試合が日本で録画中継されたため、ボックの強さが日本でも知れ渡った。
伝説の実力者となったボックは81年に新日マットに初来日。
強引に相手を叩きつける脅威のダブルアームスープレックスで木村健吾、長州力を秒殺。
直接その力を日本のファンの前で披露した。
翌年の元旦決戦で遂に猪木と激突したが反則負けに終わっている。
その後は来日せず、脱税容疑で逮捕されたとの報も伝わり、マット界も去って生死さえ不明だったが、2011年に健在が判明している。
3.アドリ・アンアドニス 183センチ 130キロ
得意技 マンハッタンドロップ
1953年ニューヨーク州ニューヨークシティ出身
鬼コーチとして知られるフレッド・アトキンスからトレーニングを受け1974年にデビュー。
78年からアマリロ地区に入ると、自らの首に5000$の懸賞金を懸け"賞金男"ゴールデンボーイ・アドリアン・アドニスとして売り出し、数多くのレスラーや、腕自慢の観客からの挑戦を次々と退けて名を上げた。
80年からAWA入りするとジェシー・ベンチュラを相棒にAWA世界タッグ王座に君臨。
初来日は82年に新日本プロレス。
大胆不敵なファイトっぷりで注目を集めている。
翌年にボブ・オートン・ジュニアとのマンハッタン・コンビで斬新かつ強烈なツープラトン攻撃「ハイジャック攻撃」で鮮烈な印象を残し、後のタッグマッチに於けるツープラトン攻撃の礎を築いている。
僅か1シリーズでコンビを解消してしまったのが実に惜しまれる名コンビであった。
同年の夏場にマードックと合体。
スーパーバイオレンス軍団を結成し2年連続でMSGタッグリーグ戦に準優勝している。
84年にはマードックとのコンビでWWF世界タッグ王座を獲得しMSGを席巻した。
新日本とWWFの提携が破綻したため来日が途絶えたが、88年に3年ぶりに新日マット復帰を果たしている。
WWFでは金髪にピンクのコスチュームのオカマキャラで奮闘していたが、新日マットでは本来の暴走狼スタイルを取り戻し、その牙が錆び付いていないことを証明した。
4.ボブ・オートン・ジュニア 196センチ 120キロ
得意技 スーパースープレックス
1950年カンザス州カンザスシティ出身
父のボブ・オートンやヒロ・マツダ、ジャック・ブリスコ等に英才教育を受け1972年にデビュー。
初来日は75年に全日本プロレスのマット。
チャンピオンカーニバル1回戦で鶴田と激突したが惜しくも敗れている。
帰国後の77年からボブ・ループとの喧嘩屋コンビで南部地区のタッグタイトルを総ナメにた。
1982年にWWFルートから新日本プロレスに初登場。
83年には前述のアドニスとのコンビで新日マットを席巻。
2人が繰り出すツープラトン攻撃は「ハイジャック攻撃」と呼ばれ維新軍団やミラクルパワー・コンビも拝借する程の一大ムーブメントとなっている。
88年には"海賊男"ビリー・ガスパーに変身し、新日マットを混乱させている。
88年に新日マットに復帰した、かつての盟友アドニスとも激突し、新たな展開が期待されたが、アドニスが遠くに旅立ってしまったため実現しなかった。
文中にもありましたが、新日本プロレスは85年にWWFとの提携を解消します。
その後は国際プロレスの社長だった吉原功さんが新日本プロレスの顧問となり、吉原さん繋がりでカルガリーに住む大剛鉄之助のブッキングでカルガリーマット界からレスラーがやって来たり、ダラスのエリック王国、WCCWとの提携が始まったりと80年代中盤から来日する外国人もガラッと変貌します。
次回はエリック王国からの選手と、ベートーベンの「運命」の旋律に乗って、突如新日マットに現れた、あのビッグネームの登場です。
以上(^_^)/
新日本プロレスを襲った
伝説の外国人レスラー vol.8でした!
どうもありがと~(-o-)/
コメント
2015/04/10 14:12
12. >>11 九郎ser 義経![[ウマ]](https://img.550909.com/emoji/ic_horse.gif)
![[あせあせ(飛び散る汗)]](https://img.550909.com/emoji/ic_asease.gif)
さん
ボックと猪木サンの元旦決戦は
ワタクシのアニキが観て来たよ(^。^)
当時は川崎に住んでたくせに
わざわざ後楽園ホールまで行ってる(-。-)
返コメ
2015/04/10 13:22
11.
リアルタイムな猛者ばかりに('◇'`)7
やはり来日少なき、ボックの試合を多々見たかった覚えありし( ̄^ ̄)ゞ
返コメ
2015/04/10 13:06
10. >>9 銀毛狐さん
お疲れさ~ん(^◇^)
ホーガンにまだ胸毛も背毛もあった頃に来日してるんだよ(^ー^)
髪の毛はハンセンと組んでた時も
まだあったけどね(・o・)
返コメ
2015/04/10 12:55
9. お疲れさまだす<(_ _)>
あっし出張から戻りましただ、またいつも通りよろしくお願いしまつ<(_ _)>
ホーガンってハンセンとコンビを組んでた頃くらいからなんとなく記憶に残っとりまつがアックスボンバーでキャラが立つまでにはそういう経緯があったんだすなあ(ΦΦ)
返コメ
2015/04/10 12:05
8. >>5 小3だよたくちゃんさん
大森はガタイが良かったからね(^.^)
まっ 破壊力云々は別として日本人でアックスボンバーがちゃんと形通りにできるのは大したもんだよね(^_^)
返コメ
2015/04/10 12:03
7. >>4 たけしさん
オハヨウ(^^)
ホーガンは娘の…と…して…とは………………………………………………………………………………………………………………………………………………ですね(・o・)
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2015/04/10 12:01
6. >>3 ヒデ丸
WITH LOVE MUSICさん
ホーガンて役者なんだよね(^_^)
WWF王者になってからは更に
それが目立ってきた(^^)
返コメ
2015/04/10 11:58
5. >>2 ☆コイサン☆さん
意外とパワフルな
アックスボンバーでしたね
元祖ホーガンの方が
破壊力はありますが
返コメ
2015/04/10 11:52
4. おはようさん。
ホーガン
俺の最後の記憶?(笑)
では現役ながらの俳優業を、今は何をしてるのかな?と………
嫌。知らんで良いや(笑)夢は崩さず思い出のママにだ!(笑)
ご健在なら良いです
(笑)
返コメ
2015/04/10 11:45
3.
お疲れさまです('◇')ゞ
子供ながらに、ホーガンは“エンターテイナー”という感じで見てました(^_^)
斧爆弾、グレイト
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