伝説のレスラー番外編 全日本プロレスを襲った 伝説の外国人レスラー vol.1
伝説のレスラー 番外編
全日本プロレスを襲った
伝説の外国人レスラー vol.1
全日本プロレスは日本プロレスを離脱した馬場が、理想のプロレスを求めて1972年7月29日に設立表明。
同年10月22日に日大講堂で旗揚げ戦を行っている。
正式名称は
「全日本プロレスリング株式会社」。
(現在はオールジャパン・プロレスリング株式会社)
通称 全日。または全日プロ。
「王道プロレス」を標榜し、そのリングにはアメリカマット界の大物外国人レスラーが大勢参戦しています。
今回からは、そんな全日本プロレスのマットを襲った外国人レスラーから数名ずつをピックアップして紹介していきたいと思います。
全日本プロレスは旗揚げ当初からテレビ局がバックに付き、外国人レスラーも馬場が自らアメリカに出向き、全米各地のプロモーターに協力を要請、更にレスラー個人個人にお願いし招聘して来たレスラーが大挙来日してきました。
第1回目は全日初期のビッグ3に登場してもらいましょう。
それではいざっ!
「王道プロレス」の世界へ!
1.ブルーノ・サンマルチノ 180センチ 120キロ
得意技 カナディアンバックブリーカー
1935年イタリア・アブルットォ州キエーティ出身
1958年にNWAのプロモーター、ルディ・ミラーのスカウトでプロレス入り。
63年にMSGでバディ・ロジャースを必殺のカナディアンバックブリーカーで僅か48秒でギブアップさせ、第2代WWWF世界ヘビー級王者に君臨。
「人間発電所」の異名を取り、怪力王者としてビッグスターとなった。
サンマルチノはニューヨークの帝王として
先ずは63年5月17日から71年1月18日の7年8ケ月間。
その後、73年12月10日から77年4月30日の3年4ケ月。
延べ11年間に渡りMSGの帝王として頂点に君臨していました。
この記録は現在でも破られていない偉大な記録であります。
馬場は米国武者修行時代にサンマルチノと遭遇。
サンマルチノも新人だったこともあり、2人は「将来必ず世界王者になろう。」と誓いあい無二の親友関係となりました。
そして約束通り世界王者となったサンマルチノは、64年に馬場の挑戦を退け、MSGで王座防衛に成功。
72年に馬場が全日本プロレスを旗揚げすると全面協力を表明し、旗揚げシリーズにエース外人として参戦した他、75年には馬場を相手に日本初のWWWF王座防衛戦を敢行するなど、全日本草創期への貢献は多大なものがあった。
81年に行われた創立10周年記念シリーズにも特別参戦し、馬場と友情タッグを結成するなど馬場との友情を最優先し1度も新日マットには上がりませんでした。
2.ザ・デストロイヤー 183センチ 110キロ
得意技 フィギュア4レッグロック
1931年ニューヨーク州バッファロー出身
1954年にデビュー。
デビュー当時は素顔でファイトしていたが62年に白覆面のジ・インテリジェント・センセーショナル・デストロイヤーに変身。
同年にWWA世界王座を奪取。
翌年、WWA王者として日本プロレスのマットに初来日し、必殺の足4の字固めを武器に力道山を大いに苦しめた。
力道山との死闘は64%という驚異的な視聴率を記録。
日本中にデストロイヤーの名と足4の字固めの名を広めている。
力道山死去後は馬場とライバル関係を構築したが、全日マット初参戦となった72年の「旗揚げジャイアント・シリーズ第2弾」での馬場との一騎打ちで敗退。
馬場の軍門に下り、以降は助っ人として日本陣営で闘った。
74年から76年に掛けて覆面世界一決定十番勝負を行い、マスカラスやスーパー・デストロイヤーらを相手に9勝1分けの成績を残し、覆面世界一を名乗ることに成功している。
79年から再び戦場をアメリカに戻したが、その後も定期的に全日マットに上がり続けていた。
3.アブドーラ・ザ・ブッチャー 186センチ 140キロ
得意技 ジャンピングエルボードロップ
1941年カナダ・オンタリオ州ウィンザー出身
1961年にモントリオールのプロモーターであるジャック・ブリットンにスカウトされてプロレス界入り。
(1958年にシークにスカウトされプロレス入り説あり。)
70年に日本プロレスに初来日を果たすと瞬く間に頭角を現し、そのシリーズ最終戦では馬場が保持するインターヘビー級王座に挑戦する抜擢を受けている。
全日マットには72年の「旗揚げジャイアント・シリーズ第2弾」に初参戦。
永遠のライバルである馬場やデストロイヤーと死闘を展開していたが、その凶悪ぶりを強烈に印象付けたのが77年に開催された「オープン・タッグ選手権」最終戦での対ファンクス戦であろう。
アブドーラは凶器にフォークを用意し、事もあろうかテリー・ファンクの右腕をメッタ刺しにしたのである。
この試合はテリー・ファンクの大ブレイクの切っ掛けにもなった歴史的試合でもある。
以降、テリーとの血の抗争劇は大きな注目を集めている。
シングルでも76年と79年に「チャンピオン・カーニバル」を制覇しヒール人気が大爆発している。
78年にはビル・ロビンソンを下しPWFヘビー級王座を獲得。
80年にはジャンボ鶴田を破りUNヘビー級王座に就くなど、全日外人レスラーのトップに君臨した。
人気絶頂の81年に新日本プロレスに電撃移籍。
レスリングウォーの導火線に火を着けている。
しかし新日では思うように働けず、87年の世界最強タッグ決定リーグ戦で全日にUターン。
水を得た魚のように暴れまわっている。
90年代に入るとベビーフェイス的な人気にも火が着き、中でも独特な間と共に繰り広げた馬場との楽しいプロレスではファンの歓声を独り占めし、試合後の「「ブッチャー・コ-ル」の中、客席に向かって空手のアクションを披露する姿が定番となった。
お待ちどうさま!
いよいよ始まりました、シリーズ「〇〇マットを襲った伝説の外国人レスラー」。
トリを務めるのは全日本プロレスです。
初期の国際プロレスに負けず劣らずの超豪華ラインアップとなっておりますので最後まで楽しんで読んでいってくださいm(__)m
以上(^_^)/
全日本プロレスを襲った
伝説の外国人レスラー vol.1でした!
どうもありがと~(-o-)/
コメント
2015/06/08 16:32
87. >>86 殉星のシンさん
周りを気にしなさ過ぎなとろころも彼の魅力のひとつですね(^ー^)
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2015/06/08 15:54
86. >>85 ☆コイサン☆さん
先駆者だね、異種格闘技もだし。 この前国家中継で猪木が質問にだってて見てたら、ほぼ自慢話だった。 その前は元気ですか~の声がデカ過ぎて注意されてた。 さすが猪木だ~
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2015/06/08 15:08
85. >>84 殉星のシンさん
猪木さんは先見の明がありすぎたんですよね(。・_・。)
彼には誰も敵いませんよ┐('~`;)┌
返コメ
2015/06/08 14:54
84. >>81 ☆コイサン☆さん
猪木って凄いな~プロレス意外も色々な事してる、永久電池は失敗したけど発想力が宇宙人
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2015/06/07 21:55
83. >>82 藤夫さん
こんばんは。
ユセフ・トルコは特徴がありますからね(^^)
しかし後ろまでよく見ましたね(^.^)
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2015/06/07 21:01
82. こんばんは、真ん中の写真でデストロイヤーの後ろに いるのは レフェリーの ユセフ トルコじゃないですか?懐かしすぎて 感動しました
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2015/05/15 21:00
81. >>80 殉星のシンさん
猪木が負けた試合ですね(-_-;)
猪木ファンは記憶から抹消してます(+_+)
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2015/05/15 19:20
80. >>79 ☆コイサン☆さん
そうそう~アックスボンバーって凄い? ウェスタンラリアートのほうが強力だよね~ 今日はパチンコ猪木で 長州の6連発ラリアット見ました。 猪木試合後泣いたんやね
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2015/05/10 17:08
79. >>78 殉星のシンさん
馬場さんが言ってましたけど、準備もなしに急に出場してくれたハンセンはスゴイと(^.^)
それであれだけのファイトをしてくれたんだから、以前からハンセンvsホーガン戦が組まれていたら間違いなくハンセンが勝ったでしょうね(^^)
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2015/05/10 8:47
78. >>77 ☆コイサン☆さん
俺もよく考えてました~ 今のプロレスは技が軽い感じする。 ホーガンvsハンセン 実際はホーガン勝ったけど、納得できない あんなドキドキは二度とないだろうね
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