伝説のレスラー番外編 全日本プロレスを襲った 伝説の外国人レスラー vol.3
伝説のレスラー 番外編
全日本プロレスを襲った
伝説の外国人レスラー vol.3
旗揚げシリーズにはブルーノ・サンマルチノがシリーズを通してのエースとして参戦していましたが、他にも大物中の大物がシリーズを通して参戦していました。
更にはテキサスから活きのイイ選手が来日していました。
翌年には第1回チャンピオンカーニバルが開催されているのですが、カーニバルに参戦しなかったものの、馬場のPWF王座に2日連続で挑戦した大物がいました。
今回はその3人が登場します。
それではVol.3をどうぞ(@^^)/
1.テリー・ファンク 188センチ 118キロ
得意技 ローリングクレイドル
1944年インディアナ州ハモンド出身
1966年に本拠地のテキサス州アマリロでデビュー。
70年にはNWA世界王者ドリー・ファンクJr.と共に日本プロレスのマットに初来日している。
全日マットには72年の旗揚げシリーズから参戦。
76年にはNWA王者として来日し、ジャンボ鶴田の挑戦を退けている。
テリー人気が爆発した切っ掛けは、77年に開催されたオープンタッグ選手権の決勝戦でアブドーラ・ザ・ブッチャー&ザ・シーク組と激突した1戦だろう。
アブドーラのフォーク攻撃で右腕をメッタ刺しにされ急遽、治療をしている最中に兄のドリーが孤軍奮闘。
包帯姿でリングに戻り、左のナックルパンチでドリーを救出したシーンはプロレス史に残る名場面を生んだ。
オープンタッグ選手権で優勝し大ブレイクしたファンクスは79年と82年には世界最強タッグ決定リーグ戦を制覇。
テリーは「テキサス・ブロンコ」の愛称と共にアイドル的な人気を博した。
83年にはヒザの故障で1度引退をするのだが、翌年にカムバックを果たしている。
今なお現役!
リビングレジェンドとして活躍している。
2.フレッド・ブラッシー 180センチ 105キロ
得意技 スイングネックブリーカードロップ
1918年ミズーリ州セントルイス出身
少年時代からボクシングとアマレスに没頭し、セントルイスの「ビジネスマンズ・ジム」でスカウトされ1946年にプロレス界に入った。
ジョージアやテネシーで長い前座時代を耐え抜き、59年にロサンゼルスで髪をシルバーに染めたヒール「フレッド・ブラッシー」に変身し大ブレイク。
相手を噛みつき攻撃で血ダルマにするという、前代未聞の悪党戦法で61年にはロサンゼルス地区認定のWWA世界ヘビー級王座に君臨した。
62年に日本プロレスに初来日。
噂の噛みつき攻撃でグレート東郷を血ダルマにし、試合を生中継で観た老人が10人以上ショックで死亡するという「ショック死事件」を引き起こし、社会的な事件となり「銀髪鬼」ブラッシーの悪名は日本中に知れ渡ったのである。
力道山亡き後は馬場に照準を絞り、インターヘビーにも挑戦している。
全日本プロレスには旗揚げシリーズにエースの1人として参戦。
必殺のスイングネックブリーカードロップは、54歳とは思えない絶品の切れ味で、馬場以下全選手を苦しめている。
WWWFでは後輩レスラー達や日本から来たレスラー達を親身になって可愛がり、アドバイザー的な役割を務めてビンス・マクマホン・シニアから全幅の信頼を得ていた。
シニアからジュニアに代わった後も、引退しているにも関わらず死ぬまでファイトマネーが支払われていたという。
死して尚、日本マット史に名を遺す偉大なる大ヒールの1人であった。
3.ザ・シーク 183センチ 105キロ
得意技 キャメルクラッチ
1926年ミシガン州ランシング出身
1952年にザ・シーク・オブ・アラビアを名乗り正統派レスラーとしてデビュー。
その後、アラビアの民族衣装であるクーフィーヤを被り、アラーに祈りを捧げる怪奇派のパフォーマンスと火炎殺法で一躍脚光を浴びた。
64年からはデトロイト地区の興行権を取得し、プロモーターとしての才能を発揮し「デトロイトの帝王」の称号を得ている。
65年にジョニー・バレンタインを破り、NWA認定USヘビー級王座に君臨。
防衛戦では凶器攻撃や場外乱闘、流血戦によって挑戦者を翻弄。
ここぞという場面では奥の手の火炎殺法を繰り出し、リングアウトや反則決着によってベルトを死守している。
72年に日本プロレスに初来日。
全日本マット初登場は74年4月。
第1回チャンピオンカーニバルの終盤戦に特別参加の形で登場。
2日連続で馬場の保持するPWF世界ヘビー級王座に挑戦した。
77年のオープンタッグ選手権ではアブドーラ・ザ・ブッチャーと「史上最凶悪コンビ」を結成。
優勝決定戦ではファンクスと壮絶な死闘を繰り広げた。
79年の最強タッグではアブドーラと仲間割れし、いきなり火の玉を浴びせ、のた打ち回せている。
全日本最後の参戦は81年の最強タッグリーグ。
その後、90年代はFMWでも活躍した。
シークもブラッシー同様、最後までヒールを貫き徹したプロ中のプロであった。
本国アメリカでは敬意を表し、オリジナル・シークと呼んでいるのだ。
次回は第1回チャンピオンカーニバルに
初来日した大物他2名の登場です。
以上(^_^)/
全日本プロレスを襲った
伝説の外国人レスラー vol.3でした!
どうもありがと~(-o-)/
コメント
2015/05/20 17:06
29. >>28 パワーさん
この写真のテリーはまだ肉体的にも全然衰えてないし、顔つきも精悍な顔つきしてるね(・o・)
今のテリーは渋いよね(^.^)
返コメ
2015/05/20 15:39
28. テリー、カッコイイ!
年をとってからもまだまだカッコイイです(≧∇≦)
返コメ
2015/05/15 8:25
27. >>26 オルファさん
テリーが言うバカってプロレスバカってことなんだと思いますよ(^ー゜)
プロレスを心底愛してる(^ー^)
愛して愛して
愛しているんだと思います(^o^)
返コメ
2015/05/15 8:07
26. テリー
色んなレスラーに影響与えたね(^_-)
魅せる事に長けていたから…日本じゃスーパーアイドル(^O^)
こういった人気は…バカじゃ獲得出来ないけど
バカになってテリーファンク演じてきたんだろうね!(^ω^)
返コメ
2015/05/13 19:33
25. >>24 ☆空我☆『JuIie』Rock’n Tourさん
ワタクシも2日に1回はマスカラ
着けてますから(  ̄ー ̄)ノ
返コメ
2015/05/13 18:55
24. >>19 ☆コイサン☆さん
こんばんは。
マスカラ毎日つけてますから。
☆大塚 愛☆
返コメ
2015/05/13 18:01
23. >>22 福ちゃんさん
かなりレアな話が聞けて
良かったです(*^ー^)ノ♪
色々な事を試してたんですね(^^)
ありがとうございましたm(__)m
返コメ
2015/05/13 17:38
22. >>21 ☆コイサン☆さん
返コメ有りがとうございます。
力道山のブ-レンに、興行士がいました。
カラーで、記録映画的でした。
テレビが普及になる前で、隣の理容店が購入し
ましたが、かなり高くアンテナを立てましたが
映りは、良くなかったです。それでも隣近所30人は集まりました。
福島県の限界でした
返コメ
2015/05/13 14:59
21. >>20 福ちゃんさん
こんにちは|^▽^)ノ
劇場公開まで
やってたんですか~(@ ̄□ ̄@;)!!
当時としたら画期的ですよね?
誰の発案なんですかね(´-ω-`)
時代の先端を走ってますね(^_^)
返コメ
2015/05/13 14:29
20. >>15 ☆コイサン☆さん
![[にこにこ]](https://img.550909.com/emoji/ic_smile.gif)
こんにちは
街頭テレビの後です
確か‥その頃は劇場公開も有りました。
ロスでの試合は録画放映で、力道山が元気な頃でした。
デストロイヤ-が、登場する前でした。
返コメ