伝説のレスラー番外編 全日本プロレスを襲った 伝説の外国人レスラー vol.5
伝説のレスラー 番外編
全日本プロレスを襲った
伝説の外国人レスラー vol.5
今回は74年に開催された新春NWAチャンピオン・シリーズに来日したBIG3の登場です。
現役のNWA王者を含む、超豪華な3選手の顔ぶれは全日本プロレスならではのラインナップ。
トップコンテンダー2名、全日所属選手達3名の挑戦を退けた5連続防衛戦は日本マット界に歴史を刻んでいる。
それではVol.5をどうぞ(@^^)/
1.ジャック・ブリスコ 188センチ 108キロ
得意技 フィギュア4レッグロック
1941年オクラホマ州ブラックウェル出身
1965年にデビュー。
初来日は67年に日本プロレス。
ドリー・ファンク・ジュニアがNWA王者だった時期には全米各地で30回以上も挑んだが遂にドリーを捕らえることはできなかった。
しかし73年5月24日、ドリーがハーリー・レイスに敗れる波乱が起きると即座に挑戦を表明し、2ケ月後の7月20日にテキサス州ヒューストンで見事にレイスを破り念願のNWA王座を獲得した。
全日本プロレスには王者として74年1月の「新春NWAチャンピオンシリーズ」に来日。
馬場、鶴田、ドリー、レイス、デストロイヤーを相手に5連続防衛戦という過酷なスケジュールを乗り切り見事にベルトを持ち帰っている。
だが同年の12月に再び馬場の挑戦を受けると、今度は1-2のスコアで不覚の敗北を喫してしまい、日本人に初めてNWA王座を明け渡してしまっている。
しかし翌週には奪還に成功。
王者としてアメリカにベルトを持ち帰った。
79年に1度新日本プロレスに参戦し猪木に挑戦したが、81年のチャンピオンカーニバル9回大会で再び全日にUターン。
計5度に渡り全日マットに登場した。
84年に43歳の若さで引退している。
ルー・テーズはブリスコについて「全てにおいて文句のつけようがないレスラー。NWAの権威を守った最後の王者である。」と絶賛している。
2.ドリー・ファンク・ジュニア 190センチ 110キロ
得意技 スピニングトーホールド
1942年インディアナ州インディアナポリス出身
父親であり偉大なレスラーでもあったドリー・ファンク・シニアの後を追って1963年にプロレス入り。
地元アマリロでデビューした。
69年2月にジン・キニスキーを破り第46代のNWA世界ヘビー級王者となり、同年11月には王者として日本プロレスのマットに初来日を果たしている。
アントニオ猪木、ジャイアント馬場の2大エースを相手にタイトル防衛に成功している。
全日マット初参戦は73年7月のサマーアクション・シリーズ。
弟テリーとのコンビで馬場&鶴田組の挑戦を受けインタータッグ王座の防衛に成功した。
74年の新春NWAチャンピオン・シリーズに再び来日。
NWAのベルトはレイスからブリスコに移動していたが、存在感のあるファイトでファンを魅了している。
その後はテリーとのコンビで77年のオープンタッグ選手権や79年、82年の世界最強タッグ決定リーグ戦を制し日本マット界で絶大なる人気を誇っている。
またシングル戦線でも81年には復活したインターナショナルヘビー級王座決定トーナメントを制し、第10代王者となっている。
この時の初防衛戦の相手を務めたのは弟のテリー・ファンクであった。
熱いファイティング・スピリットを前面に押し出すテリーとは対照的に、冷静沈着なファイトを売り物にしたドリー。
でも時には熱くなったドリー。
切れ味鋭いエルボースマッシュや伝家の宝刀スピニングトーホールド、更には相手の不意を突き絶妙なタイミングで繰り出す逆さ押さえ込みなどテクニシャンぶりを発揮し長年に渡りファンを魅了し続けてくれた偉大なるグレート・テキサンである。
3.ハーリー・レイス 185センチ 115キロ
得意技 ダイビングヘッドバット
1943年ミズーリ州メアリービル出身
1960年にデビュー。
65年にはラリー・ヘニングとのコンビでAWA世界タッグ王座を獲得。
68年に日本プロレスのマットに初来日を果たす。
全日マット初参戦は73年2月。
帰国後にはドリー・ファンク・ジュニアを破る大金星を上げ第47代NWA認定世界ヘビー級王者となり、この戴冠を皮切りに合計8度、NWA世界王座に君臨。
そして人は、いつしかレイスのことを「ミスター・プロレス」と呼ぶようになった。
74年の新春NWAチャンピオン・シリーズにブリスコ、ドリーと共に来日。
前王者としてブリスコに挑んだが王座奪回には至らなかった。
その後、再びNWA王者となり、全日に登場し、馬場や鶴田、さらにはディック・マードック、アブドーラ・ザ・ブッチャー、ミル・マスカラスらを相手に防衛戦を行い、その老獪な試合運びでベルトを守り抜いている。
典型的なシングルプレイヤーで、82年にはニークラッシャーの体勢から変形バックドロップで鶴田かをマットに沈めUNヘビーを奪い、83年には必殺のダイビングヘッドバットで馬場から3カウントを奪い、PWFヘビー級王座も獲得している。
ダイビングヘッドバットの他にバーティカルスープレックスと呼ばれた大きな弧を描くブレーンバスターも得意とした。
84年にはAWAの顔でもある、ニック・ボックウインクルとの帝王コンビで世界最強タッグ決定リーグ戦に参戦している。
86年からWWFと契約を結んだため全日マットとは疎遠となったが、89年のチャンピオンカーニバルに特別参加している。
この89年の来日がレスラーとしては最後の来日となってしまった。
次回は全日常連の夏男と狂犬、そして創成期に尽力してくれた魔術師が登場しますのでお楽しみに。
以上(^_^)/
全日本プロレスを襲った
伝説の外国人レスラーvol.5でした!
どうもありがと~(-o-)/
コメント
2015/05/15 18:19
10. >>7 ☆コイサン☆さん
恋賛殿は狭山の鼻毛マンにあるな
( ̄^,, ̄)ゞ
返コメ
2015/05/15 18:17
9.
こんにちは。
プロレスラーには
胸毛マンが 多いんですかね。
☆空我☆
返コメ
2015/05/15 18:02
8. >>6 アギーさん
ブリスコは引退してからは自動車修理工場をやってたよ(^_^)
解説は知らない(^_-)-☆
弟のジェリーはWWFでロードエージェントとかやってたみたいだけどね(^.^)
返コメ
2015/05/15 17:58
7. >>3 九郎 義経![[ウマ]](https://img.550909.com/emoji/ic_horse.gif)
![[あせあせ(飛び散る汗)]](https://img.550909.com/emoji/ic_asease.gif)
さん
ブリスコさん 胸毛マンですね(・o・)
南部の胸毛マン( ̄^ ̄)
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2015/05/15 17:55
6. >>4 ☆コイサン☆さん
素晴らしい!
そんなブリスコは後に、解説者になったんだよね?
返コメ
2015/05/15 17:54
5. >>2 ハルさん
あの優勝決定戦は日本のプロレス史上に残る試合でしたよね(^_^)
あの試合を観てプロレスファンになった人やファンクス・ファンになった人って多いと思います(^ー^)
それだけインパクトのあった
試合でしたから(^o^)
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2015/05/15 17:50
4. >>1 アギーさん
ブリスコが子供の頃にプロレス観戦に行ったら会場の前の方の席は白人が占めていて、後ろの方は黒人が占領していたんだって(゜゜)
インディアン系は更にその後ろの立ち見しかなかったらしい(¨;)
まだまだ人種差別や貧困の差が激しかった頃の南部地区の話だけどね(O.O;)
だからブリスコはインディアン系の人も前の方で観ることができるように自分がチャンピオンになろうって思ったらしい(^.^)
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2015/05/15 17:40
3.
…サック、振りシコ?
~サッ!!
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2015/05/15 17:31
2. 全日の第一回(?)オープンタッグの決勝戦、ファンク兄弟 対 シーク、ブッチャー組の試合は当時(今でも)としてはショッキングな試合でした。
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2015/05/15 16:48
1. ブリスコはインディアン系なんだよね。
キラーカーンはブリスコが最も強かったと証言してた。
でも、試合の印象が残ってない。
スカパーで馬場との試合は面白かったね。
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