伝説のレスラー番外編 全日本プロレスを襲った 伝説の外国人レスラー vol.6
伝説のレスラー 番外編
全日本プロレスを襲った
伝説の外国人レスラー vol.6
今回は全日プロ常連組の中から、創成期に尽力してくれたレスラーと全日マットで大ブレイクしたレスラー、及びシングルでもタッグでも見事なまでに仕事を熟した天才肌のレスラーの登場となります。
それではVol.6をどうぞ(@^^)/
1.パット・オコーナー 185センチ 105キロ
得意技 オコーナーズロールアップ
1924年州ニュージーランド・ウェリントン出身
1949年にアマレスで英連邦選手権ヘビー級部門において全勝優勝を飾り、地元ニュージーランドのマスコミに大々的に報じられた。
この活躍を聞き付けたミネアポリスの大物プロモーター、トニー・ステッカーの誘いに応じ、50年の秋にアメリカに渡っている。
そして同年末にプロレスラーとなった。
アマチュアレスリングの本格派らしいスピードとテクニックで、早くもトップグループの仲間入りを果たし、スカイロケットと呼ばれた華麗なるドロップキックと、オコーナーズ・ロールアップと呼ばれた芸術的な丸め込み技、後方回転エビ固めを武器に連勝街道を驀進。
59年にはNWAの総本山セントルイスでディック・ハットンを破り、34歳で世界最高峰のNWA世界王座に就いている。
初来日は63年に日本プロレスのマット。
力道山の保持するインターナショナル選手権に挑戦したが惜しくもベルト奪取には至らなかった。
全日本プロレス初登場は72年。
48歳という年齢にも拘わらず、PWF王座を巡って馬場と二度の名勝負を残している。
86年には元横綱、輪島大士のプロレスラー転向にあたり、馬場の依頼でアメリカに於ける輪島のトレーナー役を任されている。
セントルイスのマットではNWA会長サム・マソニックの右腕として有能なマッチメーカーとしても活躍していた。
2.ミル・マスカラス 180センチ 105キロ
得意技 ダイビングボディアタック
1942年メキシコ・サンルイスポトシ州サンルイスポトシ出身
学生時代はアマチュアレスリングで鳴らし、ボディビルの世界でも19歳の時にミスター・メキシコに輝いている。
1965年にルチャの聖地、アレナ・メヒコで正式にデビュー。
その後、ロサンゼルス地区での活躍ぶりがメディアで報じられるようになると、日本のファンの間でも"まだ見ぬ強豪"として人気と話題が沸騰。
この頃のマスカラスは日本で悪魔仮面と呼ばれていた。
そして71年に日本プロレスのマットに待望の初来日を果たしている。
「千の顔を持つ男」の異名通り、試合毎に新たなマスクを着用し、逆三角形の見事な肉体から繰り出される、フライングクロスチョップやダイビングボディアタック、ドロップキック、見たこともない丸め込み技や固め技にファンは酔いしれた。
全日マット初参戦は73年10月の「創立1周年記念ジャイアント・シリーズ」。
77年には田園コロシアムで行われた鶴田との雨中のUN選手権で年間最高試合賞に輝いている。
入場テーマ曲の「スカイハイ」がマスカラス・フィーバーの一翼を担ったのは言うまでもない。
86年を最後に全日から遠ざかっていたが2001年に15年ぶりに参戦を果たしている。
もはや伝説中の伝説となりつつあるマスカラスだが、72歳の現在でも現役を続行中とは畏れ入った。
3.ディック・マードック 195センチ 125キロ
得意技 ブレーンバスター
1946年テキサス州ワックスハイチ出身
1968年に日プロに初来日。
73年の6月に国際に参戦。
同年10月に全日初参戦。
以降81年3月までに全日には延べ14度参戦している。
キラー・カール・コックスとのオリジナル・ブレーンバスター伝承試合や、NWA王者時代のレイスを相手に60分フルタイムドローの名勝負を残した。
80年には鶴田を破りUNヘビー級王座を奪っている。
UN初防衛戦ではタイガー戸口と60分フルタイムの激戦を展開した。
81年3月以降は新日マットに転戦。
この新日参戦で昭和の4団体全てのマットに上がったことになった。
試合は新日で行っていたが、来日の度に馬場と旧交を暖めたりしていたため、全日マット復帰が噂されたが、実現には至らなかった。
名レスラーだったフランキー・マードックを父に持ち、次期NWA王者候補と言われながらトンパチな性格がNWA王者になることを許さなかった。
トレーニングなど一切しないのにパワーもスタミナも技のキレもある根っからの天才レスラーであった。
次回は強面3人衆揃い踏みです!
以上(^_^)/
全日本プロレスを襲った
伝説の外国人レスラーvol.6でした!
どうもありがと~(-o-)/
コメント
2015/05/18 18:21
1. 全日プロレスと言ったら。やっぱり、武藤さんだよね
返コメ