伝説のレスラー 番外編 猪木の名勝負と名会場 vol.3 大阪府立体育会館
60代前半  埼玉県
2016/04/03 8:42
伝説のレスラー 番外編 猪木の名勝負と名会場 vol.3 大阪府立体育会館

伝説のレスラー 番外編

「猪木の名勝負と名会場」。


第3回目の今回は大阪府立体育会館です。


それではどうぞ(・◇・)┛


大阪府立体育会館での猪木の名勝負はかなりの数に上るが、やはりこの試合が最初でしょう。

1969年12月2日
猪木の数多い名勝負の中でも文句なくベスト5に入る闘いと言われている、ドリー・ファンク・ジュニアに挑戦した、自身初となるNWA世界ヘビー級選手権試合、60分3本勝負から。


この年の2月にジン・キニスキーからNWA王座を奪ったドリーは若冠26歳であった。

年齢もほぼ変わらない猪木は
王座奪取に燃えたのだ。

しかし張り切り過ぎた猪木はタイトルマッチの前日に左手中指を骨折。

テーピングを施し鎮痛剤を射っての世界ベルト初挑戦となってしまった。


オレンジ色のタイツが眩しい猪木は序盤からペースを掴みドリーの左腕狙い。

一方のドリーは左足に集中砲火を浴びせ明らかにスピニングトーホールド狙いだ。

20分過ぎた辺りからセコンドのシニアがアドバイスを飛ばすと、ドリーはガラリと戦法を変え、猪木の負傷した左手に集中攻撃を開始。

苦悶の表情を浮かべる猪木。

ドリーは不用意にヘッドロックにきた猪木をバックドロップでマットに叩きつけた。

猪木も負けじとコブラツイストで必死の反撃に出るがドリーは逆エビ固めで返す。

そしてリング中央で放ったドロップキックは相討ち。

猪木が3度目のコブラツイストを仕掛けたところで無念の時間切れとなった。

こうして猪木初のNWA挑戦は幕を閉じたのである。



次の試合はこちらヽ(・∀・)ノ


新日本プロレス時代から。

1974年6月26日、タイガー・ジェット・シンを挑戦者に迎えたNWF世界ヘビー級選手権試合、60分3本勝負。

この試合が名勝負と言えるかどうかは賛否両論あるだろうが、猪木とシンの8年間に渡る血みどろの抗争を語る上において絶対に外せない試合である。

所謂、腕折り事件と言われた試合だ。


この試合の1週間前にシンの火炎攻撃で左目を焼かれた猪木の怒りは頂点に達していたのだろう。

1本目は開始と同時に物凄い殴り合い。

サーベルとイスが乱れ飛ぶ壮絶な場外乱闘の末に両者リングアウト。

2本目はシンの反則ラッシュに猪木がプツンとキレ、右腕に攻撃目標を定めて鉄柱に何度も叩きつけてからショルダーアームブリーカーで制裁。

そしてゴキッという鈍い音と同時にシンは右腕を押さえたままマットにうずくまった。

日本のプロレス史上に残る腕折りの瞬間であった。


最後はこの試合。

シンとの壮絶な果たし合いとは打って変わって、ゴッチとのストロングスタイルレスリングの見応えある攻防。

シン戦から1ケ月半後の8月1日。

実力世界一決定戦二番勝負の第1戦目。

この年は猪木が黄金時代に突入した年であった。

ストロング小林との対決、ワールドリーグ戦の優勝。

北米タッグ王座獲得。

大木との因縁試合等々…。


その過程の中で絶対に果たさなければならない課題がひとつあったのだ。

それは猪木の師匠であり、プロレスの神様と呼ばれているカール・ゴッチ越えである。

2年前の旗揚げ戦と10月の東京と大阪。

この3試合で1勝2敗という成績しか残せなかった猪木にとっては「ゴッチを越える」がレスラーとしての悲願でもあった。


この試合を裁くレフリーは '鉄人'ルー・テーズ。

実力世界一決定戦に相応しい役者が揃った。

力対力、技対技の攻防は文句なく大阪のファンを酔わせたのだ。

新日本プロレスのストロング・スタイル・レスリングの真骨頂を遺憾なく発揮してくれた両雄。

ゴッチのジャーマンが決まった瞬間にはヒヤリとさせられたが、その後のローリングクラッチの攻防で猪木は一瞬のタイミングを見事に物にし、シングル戦では神様から初のピンフォール勝を収めている。



大阪府立体育会館では
まだまだ名勝負があります。


1967年10月31日。

吉村の代打で馬場とのBIコンビで挑んだインタータッグ戦。

ビル・ワット&ターザン・タイラー組に渡ってしまったインタータッグのベルトを見事に奪回し、BI時代の幕を開けた記念すべき試合

1978年5月30日

アンドレを破り優勝を決めた、第1回MSGシリーズ決勝戦

1978年12月14日

ボブ・バックランドをリングアウトで破りながらもルールによってタイトル移動が認められなかったWWF戦


1980年12月10日

バックランドの帝王コンビでハンセン&ホーガン組を破って初優勝を飾った第1回MSGタッグリーグ戦


1982年9月21日

1981年秋から勃発したラッシャー木村との抗争の頂点的なヘアーベンド・マッチ

1988年2月4日

挑戦者に長州を迎えて行われた4度目のIWGP防衛戦。

パンチで血ダルマにし最後は卍固めでレフリーストップさせ、まだまだ力の差を見せつけた試合

まだまだ在りますが
キリがないのでこの辺で(^ー^)



以上(^-^)/

猪木の名勝負と名会場 vol.2

大阪府立体育会館でした!


どうもアリガト~(^◇^)/♪



☆Special Thanks
★企画・発案 九郎義経氏



※写真は左から

・旧大阪府立体育会館外観。

・初のNWA世界戦、対ドリー・ファンク・ジュニア

・腕折り事件勃発!シンの右腕を破壊したショルダーアームブリーカー!。




◇大阪府立体育会館

1952年に大阪府立体育館の名称で竣工。

1982年に老朽化に伴い閉館。

1985年からの解体工事を経て、1987年に現在の建物に姿を変え、名称も大阪府立体育館から大阪府立体育会館に改称してオープン。

その後、名称はボディメーカーコロシアムから現在はエディオンアリーナ大阪と変わっている。



猪木の名勝負は殆んどが旧大阪府立体育会館でのもの。

空調設備が無く、夏場は灼熱地獄で冬場は凍てつくような寒さだったという。


夏場になると、団扇でパタパタ扇ぎながら観戦しているファンの姿がテレビ画面に映し出されていた時代が懐かしいですね。

コメントする

コメント

60代前半  埼玉県

2016/04/03 11:37

4.  >>2 ババーテレサさん

チワッス( *・ω・)ノ

あの時代って当然のように毎週生中継だったから、今が信じられないですよね(~_~;)

テレサさんがヤマンバギャルだった
時代ですね(-◇-)←シツコイ

60代前半  埼玉県

2016/04/03 11:34

3.  >>1 ワイルド☆ファンキーさつき[野球][決定][グッド(上向き矢印)]さん

オツカレチャ~ン( *・◇・)ノ

あの頃がひとつのピーク時だったね(-.-)

でもシンの火炎攻撃には驚いたよ(・。・)

60代前半  東京都

2016/04/03 11:27

2. こんにちわ

歴史ある体育館ですねぇ

プロレス中継がTVではゴールデンの時間帯で放映されてた頃ですね

2016/04/03 11:25

1. お疲れチン[手(パー)]
シンの腕で折り試合はテレビで観てたよ[決定]
そんな伏線があったのだな(  ̄▽ ̄)[手(チョキ)]

…━…━…━…

無料会員登録はコチラ

…━…━…━…