伝説のレスラー 番外編 日本プロレス界昭和の歩み PART2 1960年~1969年
60代前半  埼玉県
2017/02/07 6:00
伝説のレスラー 番外編 日本プロレス界昭和の歩み PART2 1960年~1969年

伝説のレスラー 番外編

引き続き日本のプロレス界の歴史です。

昭和の時代に生まれ、昭和の時代に育った日本のプロレス界の歩みを、昭和の主な出来事だけになりますが追ってみましょう。


PART.2の今回は1960年代をお届けします。


後の日本プロレス界を代表する2大カリスマが
デビューしますよ~ヽ(・∀・)



それでは参りましょう(o゚◇゚)/



☆日本プロレス界の歩み PART.2

★1960年~1969年★

◇1960年(昭和35年)4月11日

日本プロレスが元プロ野球投手の馬場正平と、力道山がブラジルでスカウトして来た猪木完至の入門を発表。

◇1960年(昭和35年)5月13日

第2回ワールドリーグ戦決勝戦で力道山がレオ・ノメリーニを下しV2達成。

◇1960年(昭和35年)6月7日

力道山&豊登が第3代アジアタッグ王座を獲得。

◇1960年(昭和35年)9月30日

日本プロレスの台東区体育館大会で馬場正平と猪木完至が同日デビュー。

馬場は田中米太郎を相手に股裂きでギブアップ勝ちを収めるが、猪木は大木を相手に腕固めでギブアップ負け。

明暗を分けたデビュー戦となったが、両雄のライバル関係が遂に幕を開けた。


◆1961年(昭和36年)4月28日

"密林王"グレート・アントニオが初来日。

神宮外苑で大型バス4台を引っ張るデモンストレーションを披露し話題になる。

◆1961年(昭和36年)6月29日

第3回ワールドリーグ戦決勝戦で力道山がミスターX(ビル・ミラー)を破りV3達成。

◆1961年(昭和36年)7月

馬場がデビューから僅か9ケ月でアメリカ武者修行へ出発。

◆1961年(昭和36年)7月30日

東京・渋谷区大和田町(現在の道玄坂)に"スポーツと芸能の殿堂"リキ・スポーツパレスが完成。

◆1961年(昭和36年)9月18日

馬場が力道山も上がったことのないニューヨークのMSGに出場する快挙を達成。


◇1962年(昭和37年)3月28日

ロサンゼルスのオリンピック・オーデトリアムで力道山がフレッド・ブラッシーを下し、第2代WWA世界ヘビー級王座を獲得。

◇1962年(昭和37年)4月27日

銀髪鬼 フレッド・ブラッシーが初来日。

噛みつき殺法を観た全国のお年寄りの内4人がショック死を起こしてしまい社会現象となった。

◇1962年(昭和37年)5月25日

第4回ワールドリーグ戦決勝戦。
力道山がルー・テーズを破りV4達成。


◆1963年(昭和37年)5月17日

第5回ワールドリーグ戦決勝戦。

力道山がキラー・コワルスキーを破りV5達成。

◆1963年(昭和38年)5月24日

力道山がデストロイヤーの保持するWWA世界ヘビー級王座に挑戦するが、両者ドクターストップで王座奪取ならず。

◆1963年(昭和38年)12月2日

力道山がデストロイヤーの挑戦を退け、インターナショナルヘビー級王座の18回目の防衛に成功。

◆1963年(昭和38年)12月8日

力道山が銀座のナイトクラブ「ラテン・クォーター」で暴漢によりナイフで腹部を刺される事件が勃発。

怒り狂った日本プロレスの若手が質屋で日本刀を購入し、暴力団事務所に突入しようとしたが銃刀法違反で逮捕される。

◆1963年(昭和38年)12月15日

12月8日に刺された力道山が死去。

39歳の若さでこの世を去った。

◆1963年(昭和38年)12月20日

力道山の追悼大会開催。

豊登、吉村道明、遠藤幸吉、芳の里の4人による合議制がスタート。

新生日本プロレスのエースは豊登であった。


◇1964年(昭和39年)1月10日

故・力道山夫人の百田敬子未亡人が日本プロレスリング興業の社長に就任する。

副社長に豊登道春が就いた。

◇1964年(昭和39年)2月17日

ニューヨークのMSGでジャイアント馬場が、時のWWWF世界ヘビー級王者ブルーノ・サンマルチノに挑戦する。

着実に馬場は1流選手へと成長している。

◇1964年(昭和39年)3月9日

猪木が初の海外武者修行へ出発。

◇1964年(昭和39年)5月12日

第6回ワールドリーグ戦決勝戦。

豊登がジン・キニスキーを下し初優勝を飾る。

◇1964年(昭和39年)5月29日

豊登&馬場組がカリプス・ハリケーン&ジン・キニスキー組を破りアジア・タッグ王座を獲得。

◇1964年(昭和39年)12月4日

豊登がデストロイヤーを破りWWA世界ヘビー級王座を獲得。


◆1965年(昭和40年)3月10日

日本プロレスリング興業の社長に定野道春(豊登)が就任する。

◆1965年(昭和40年)5月21日

第7回ワールドリーグ戦決勝戦。

豊登がフレッド・ブラッシーを破りV2達成。

◆1965年(昭和40年)11月24日

復活したインターナショナルヘビー級王座決定戦で馬場がディック・ザ・ブルーザーを下し第3代王者となる。

これにより新生日本プロレスのエースは馬場に。

◆1965年(昭和40年)12月31日

豊登が金銭トラブルのため辞表を提出。


◇1966年(昭和41年)1月5日

日本プロレスリング興業が豊登の社長辞任を発表。

◇1966年(昭和41年)1月17日

日本プロレスリング興業新社長に芳の里が就任。

◇1966年(昭和41年)4月23日

豊登が猪木と共にハワイから帰国。

豊登が社長を、猪木がエースを務める新団体「東京プロレス興業」の設立を発表。

◇1966年(昭和41年)5月13日

第8回ワールドリーグ戦決勝戦。

馬場がウイルバー・スナイダーを下し初優勝を飾る。

馬場時代の到来。

◇1966年(昭和41年)10月5日

吉原功が日プロを辞職。
ヒロ・マツダをエースに国際プロレスを発足。

◇1966年(昭和41年)10月12日

東京プロレスが蔵前国技館で旗揚げ戦。

猪木のストロングプロレスの原点とも言われている伝説のジョニー・バレンタインで満員のファンを熱狂させた。

◇1966年(昭和41年)11月19日

東京プロレスの猪木が大阪球場でジョニー・バレンタインを下しUSヘビー級王座を獲得。
猪木初のシングルタイトル戴冠となる。

◇1966年(昭和41年)12月3日

日本プロレスがプロレス史上初となる日本武道館大会を開催。

ジャイアント馬場がフリッツ・フォン・エリックを下しインター王座を防衛。


◆1967年(昭和42年)1月5日

国際プロレスが大阪府立体育会館で旗揚げ。

東京プロレス勢も参戦した。

メインではヒロ・マツダがダニー・ホッジの保持するNWA世界ジュニアヘビー級王座に挑戦したが60分時間切れ引き分けに終わる。

◆1967年(昭和42年)1月8日

猪木が豊登他2名を業務上横領で告訴へ。
東京プロレスは事実上の倒産。

◆1967年(昭和42年)2月17日

日本プロレスが柔道全日本選手権者、坂口征二の入団を発表。

◆1967年(昭和42年)4月6日

猪木が日プロへ復帰。

他のメンバーは日プロと国際に分かれて移籍した。

斎藤は単身アメリカへ。

◆1967年(昭和42年)5月12日

猪木が馬場と初タッグを結成。
BI砲の誕生。

◆1967年(昭和42年)5月17日

第9回ワールドリーグ戦決勝戦。

馬場がデストロイヤーを下し2連覇達成。

◆1967年(昭和42年)8月14日

日プロと国際の興行戦争が勃発。

日プロが大阪球場、国際が府立体育会館で開催。

「大阪夏の陣」と言われている。

◆1967年(昭和42年)10月31日

馬場と猪木がインターナショナル・タッグ王座を獲得。

本格的なBI砲時代の幕開けとなった。


◇1968年(昭和43年)1月3日

またまた興行戦争が勃発。

日プロが蔵前国技館、国際が日大講堂。

「隅田川決戦」と呼ばれている。

この決戦からTBSが国際を放送開始。

日プロの日本テレビとの視聴率合戦も話題に。

◇1968年(昭和43年)5月17日

第10回ワールドリーグ戦決勝戦。

馬場がキラー・コワルスキーを破りV3。

◇1968年(昭和43年)6月29日

全日本女子プロレス興業株式会社が発足。

◇1968年(昭和43年)7月18日

全女が九段会館大ホールで旗揚げ戦。

◇1968年(昭和43年)12月19日

国際プロレスで開催された第1回IWAワールトシリーズでビル・ロビンソンが優勝。
初代IWA世界ヘビー級王者に認定される。


◆1969年(昭和44年)5月13日

NETテレビが日プロの実況中継を発表。

主力は猪木、吉村、大木。

馬場と坂口は日本テレビが独占。

7月に放映を開始。

これにより日本テレビ、TBS、NET(現テレビ朝日)の3局の視聴率合戦が始まる。

◆1969年(昭和44年)5月16日

第11回ワールドリーグ戦決勝戦。

アントニオ猪木がクリス・マルコフを破り初優勝を飾る。

◆1969年(昭和44年)12月2日

大阪で猪木がドリー・ファンク・ジュニアの保持するNWA世界ヘビー級王座に挑戦。

ノーフォールのまま60分3本勝負を闘い抜いた。

◆1969年(昭和44年)12月3日

今度は馬場がドリー・ファンク・ジュニアに挑戦したが、又しても60分フルタイムのドローに終わる。

ドリーは2日連続で日本プロレスのツートップと60分フルタイムを闘い抜き、強さと巧さと無尽蔵のスタミナ、そしてNWA王者の底力を満天下のファンに見せつけたのであった。


以上(^o^)/

日本プロレス界 昭和の歩み PART2

1960年~1969年でした!


どうもアリガト~(^O^)/



※写真は左から

◇馬場・猪木お披露目

◇豊登WWA獲得

◇馬場インターヘビー獲得
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コメント

60代前半  埼玉県

2017/02/07 8:24

7.  >>6 シャワーの後の髪のしず九郎♪義経[ウマ][ぴかぴか(新しい)]さん

テレ朝は日テレが独占契約ではないという事に気付いたらしい(・o・)

50代後半  愛知県

2017/02/07 8:21

6. なるほろ、日テレとテレ朝がかぶっていたのは知らんかったわ( ΦωΦ )ノ

60代前半  埼玉県

2017/02/07 7:41

5.  >>2 コテツさん

おはようちゃん( ・ω・)ノ

ワタクシもタイムリーで観たかった(^_^)

DVDで猪木戦は観たけどね(^^)

60代前半  埼玉県

2017/02/07 7:39

4.  >>1 エリ[ぴかぴか(新しい)]神恩感謝[ぴかぴか(新しい)]さん

おはようちゃん( *・ω・)ノ

プロレスが日本で産声を上げてから60年以上が経ってますからね(^.^)

調べるのにも一苦労です(~_~;)

40代前半  広島県

2017/02/07 7:02

2. おはようです(^-^)/
ドリーのNWA王者時代見たかったですね(^-^)
馬場も猪木もフルタイムNWAチャンピオン凄いわぁ(゜ロ゜)

50代半ば  大阪府

2017/02/07 6:39

1. おはようございます[晴れ]

私が生まれた頃に、こんなことがあったんですね~
まさに、歴史ですね(*^-^)

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