伝説のレスラー 番外編 日本プロレス界昭和の歩み PART4 1980年~1984年
60代前半  埼玉県
2017/02/13 6:12
伝説のレスラー 番外編 日本プロレス界昭和の歩み PART4 1980年~1984年

伝説のレスラー 番外編

引き続き日本のプロレス界の歴史を纏めてみたいと思います。

昭和の時代に生まれ、昭和の時代に育った日本のプロレス界の歩みを、昭和の主な出来事だけになりますが追ってみましょう。


PART.4の今回は1980年代前半期をお届けします。


それでは参りましょう(o゚◇゚)/



☆日本プロレス界の歩み PART.4

★1980年~1984年★


◇1980年(昭和55年)2月8日

スタン・ハンセンが猪木からNWF王座を奪取。

◇1980年(昭和55年)2月27日

蔵前国技館で極真空手の"熊殺し"ウィリー・ウイリアムスが猪木と激突。

両者ドクターストップの痛み分けに終わる。

◇1980年(昭和55年)5月1日

第8回チャンピオンカーニバル優勝戦。

鶴田がディック・スレーターを原爆固めで下し初優勝を飾る。

◇1980年(昭和55年)9月4日

馬場がハーリー・レイスを下し第57代NWA世界ヘビー級王者に。

これで馬場は日本人として3度目の戴冠となる快挙を達成。

◇1980年(昭和55年)12月10日

第1回MSGタッグリーグ戦優勝戦。

猪木&バックランドの帝王コンビがハンセン&ホーガン組を破り優勝を飾る。


◆1981年(昭和56年)1月18日

「ジャイアント馬場 3000試合連続出場記念試合」第1弾として、後楽園ホールでPWF王者馬場とAWA世界王者のバーン・ガニアがダブルタイトルマッチで対戦。

◆1981年(昭和56年)4月23日

猪木がハンセンからNWF王座の奪回に成功。

しかしIWGP開催に向けて王座を返上。

同日、タイガーマスクがダイナマイト・キッドを破り衝撃的デビューを果たし一大ムーブメントを巻き起こす。

◆1981年(昭和56年)5月8日

全日本プロレスのドル箱外人アブドーラ・ザ・ブッチャーが、いきなり新日本プロレス川崎大会に出現しIWGP参戦を表明。

レスリングウォーの火蓋が切って落とされた。

◆1981年(昭和56年)8月9日

北海道・羅臼町民グラウンド大会を最後に、国際プロレスが14年の興行活動に終止符を打った。

◆1981年(昭和56年)9月23日

新日本プロレス田園コロシアム大会に元国際プロレスのラッシャー木村、アニマル浜口、寺西勇の3選手が登場。

伝説の迷言「こんばんは。」が話題に。

同日行われたアンドレVSハンセンの超ド級バワフル対決は未だに語り継がれている。

◆1981年(昭和56年)11月5日

猪木が木村とランバージャック・デスマッチで激突。
TKO勝ちを収めた。

◆1981年(昭和56年)12月13日

'81 世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦。

ブロディ&スヌーカ組がファンクスを破り初優勝。

入場時にはスタン・ハンセンが現れ会場内は大パニック。

ヒートアップする引き抜き合戦の行方は?


◇1982年(昭和57年)1月28日

猪木がブッチャーと引き抜き後、初対決。

遅すぎた感は否めなかった。

◇1982年(昭和57年)2月4日

正式に全日と契約したハンセンは早くも馬場と激突。

両者反則決着だったが、馬場はタイミングを逃さない天才ぶりを見せつけてくれた。

◇1982年(昭和57年)3月7日

大仁田厚が米シャーロットでチャボ・ゲレロを下し第7代NWAインターナショナル・ジュニアヘビー級王座を獲得。

藤波が巻き起こしたジュニアヘビー級ブームが、全日に飛び火した形で広がっていった。

◇1982年(昭和57年)4月1日

第5回MSGシリーズ優勝戦。

アンドレがキラー・カーンを破り初優勝を飾る。

これによりアンドレは国際のIWAワールドシリーズに次ぐ、2団体でのシングルリーグ戦を制する快挙を達成。

◇1982年(昭和57年)9月21日

猪木と木村が新日マット初となる敗者髪切りマッチで激突。

しかし敗者の木村は逃走。

◇1982年(昭和57年)10月8日

メキシコから凱旋帰国した長州力が6人タッグで藤波に噛みつく。

「なんで俺がお前の前を歩かなくちゃならないんだ!なんで俺のコールが先なんだ!なんで俺がお前より先に試合に出なくちゃならないんだ!」

と子供じみた事が原因であった。

※プロレス界では格下が前を歩き、格下が先にコールされ、格下が先に試合に出るのが暗黙のルールとなっているため。

◇1982年(昭和57年)12月10日

第3回MSGタッグリーグ戦優勝戦。

猪木&ホーガン組が戸口&カーン組を破り優勝。


◆1983年(昭和58年)2月11日

アメリカからザ・グレート・カブキが凱旋帰国。

カブキブームが巻き起こる。

◆1983年(昭和58年)4月3日

反旗を翻した長州が遂に藤波を撃破。

WWFインターナショナルヘビー級王座を奪取。

◆1983年(昭和58年)4月21日

欧州から凱旋帰国した前田日明がポール・オーンドーフに快勝。

試合後オーンドーフはレフリーのミスター高橋に「なんであんな危険な技を使わせるんだ!」と前田のニールキックにクレームをつけた。

◆1983年(昭和58年)6月1日

長州と浜口が新日を脱退しフリーランスとなることを宣言。

1983年(昭和58年)6月2日

IWGP優勝決定戦。

猪木がホーガンのアックスボンバーで場外憤死。

失神KOを負けを喫し、野望であった世界統一を逃してしまった。

◆1983年(昭和58年)8月11日

タイガーマスク(佐山聡)が新日本プロレスに契約日解除を通達し事実上の引退。

◆1983年(昭和58年)8月25日

猪木の会社、アントンハイセルが事業失敗。

それに絡み新日の首脳陣を一新。

猪木が社長を、坂口が副社長を辞任。

新間寿営業本部長が謹慎処分となった。

◆1983年(昭和58年)9月8日

ハンセンが馬場を破り第8代PWF王者となる。

◆1983年(昭和58年)10月5日

長州力、アニマル浜口、キラー・カーン、谷津嘉章が維新軍団を結成すると京王プラザホテルで発表。

◆1983年(昭和58年)11月11日

猪木が、あっという間に新日本プロレスの社長に復帰する。

◆1983年(昭和58年)12月12日

'83 世界最強タッグ決定リーグ戦優勝戦。

ハンセン&ブロディのミラクルパワーコンビが鶴龍コンビを破り初優勝を飾る。


◇1984年(昭和59年)2月3日

札幌中島体育センターで予定されていた藤波VS長州の試合前に、藤原喜明が花道で長州を襲撃。

俗にいう"雪の札幌テロ事件"である。

この事件を切っ掛けに藤原人気が急上昇。

前座で燻っていたがメインで猪木とタッグを組むようになった。

◇1984年(昭和59年)2月23日

AWA世界ヘビー級王者 ニック・ボックウインクルとインターナショナルヘビー級王者のジャンポ鶴田のダブルタイトルマッチが実現。

見事に鶴田が勝利し、日本人初となるAWA世界王者となった。

◇1984年(昭和59年)4月11日

新日本プロレスを離脱した前田日明をエースとする新団体 ユニバーサル・レスリング・フェデレーション(UWF)が大宮スケートセンターで旗揚げ。

試合後に前田がマイクをマットに叩きつけたのは有名な話である。

◇1984年(昭和59年)4月17日

UWFオープニングシリーズの最終戦に新日の藤原が前田と対戦。

何やら、きな臭い匂いが漂い始めてきた。

◇1984年(昭和59年)4月19日

猪木率いる新日正規軍と長州率いる維新軍団が2度目の対抗戦。

正規軍が4勝3敗1分けで勝利。

◇1984年(昭和59年)4月25日

新設されたPWF世界タッグ王座決定リーグ戦最終戦でハンセン&ブロディが馬場&ドリー組を破り初代王者となる。

◇1984年(昭和59年)6月14日

第2回 IWGP決勝戦。

2度の延長戦の末、猪木がホーガンにリングアウト勝ちを収めるも、長州の乱入に怒った観客が試合後に暴動を起こしてしまう。

これによりIWGPは「呪われたIWGP」という不名誉な呼び方をされるようになってしまった。

◇1984年(昭和59年)6月27日

新日の藤原と高田がUWF移籍を表明。

やはりなと言う感じの移籍であった。

◇1984年(昭和59年)7月23日・24日

UWFの「UWF無限大記念日」が後楽園ホールで開催され、引退していた佐山聡が再び虎のマスクを被り『ザ・タイガー』となって復活を遂げる。

この佐山の復活でUWFが若者を中心に爆発的な人気を確保するのだ。

◇1984年(昭和59年)8月2日

再び両国に移転する国技館。

蔵前最後の試合は猪木対長州であった。

猪木がグラウンドコブラでフォール勝ちを収め、この試合をもって長州は新日離脱。

新天地を求めて旅立って行った。

◇1984年(昭和59年)8月25日

ライオネス飛鳥&長与千種のクラッシュ・ギャルズがジャンボ堀&大森ゆかり組を破りWWWA世界タッグ王座を獲得。

クラッシュ・ギャルズブームが巻き起こる。

◇1984年(昭和59年)8月26日

今まで新日本プロレスの興行を担当していた新日本プロレス興業が、全日本プロレスの田園コロシアム大会から提携興行を開始。

2代目タイガーマスクがデビュー戦を行った。

◇1984年(昭和59年)9月11日

UWFが後楽園ホールで「UWF実力No.1決定戦」を開催。

スーパータイガーが藤原にチキンウイングフェイスロックで勝利。

◇1984年(昭和59年)9月21日

長州を筆頭とする維新軍団が新日本プロレスを離脱。

新日本プロレス興業(後のジャパン・プロレス))入りを発表。

◇1984年(昭和59年)11月14日

新日本プロレスの「第5回MSGタッグリーグ戦」に出場予定であったダイナマイト・キッド&デイビーボーイ・スミスの2人が全日本プロレスに電撃移籍を表明。

契約を無視した掟破りの行動に業界は騒然となった。

◇1984年(昭和59年)12月4日

ジャパン・プロレスが高松市民文化センターで旗揚げ。

◇1984年(昭和59年)12月5日

第5回MSGタッグリーグ戦優勝戦。

猪木&藤波の新日最強師弟コンビがディック・マードック&アドリアン・アドニス組を破り初優勝を飾る。

◇1984年(昭和59年)12月12日

'84 世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦。

ジャンボ鶴田&天龍源一郎組が優勝。

長州力らジャパンプロレス勢が全日マットに初登場。



この時代になると「守る」事の大切さが如何に大事かを痛感させられる出来事が、頻繁に起きていた気がします。

自分のポリシーを貫く事も時には必要かと思いますが、人とし守らなければならない事が守られていなかった80年代前半だったなと調べていてそう感じました。


以上(^o^)/


日本プロレス界昭和の歩み PART4

1980年~1984年でした!


どうもアリガト~(^O^)/♪



※写真は左から

◇チャンピオンカーニバル初優勝を決めた
 鶴田のジャーマンスープレックス

◇衝撃のデビューを飾った
 タイガーマスクのジャーマンスープレックス

◇藤波に噛みついた長州力
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コメント

60代前半  埼玉県

2017/02/14 8:20

18.  >>17 ランさん

ですね(^.^)

これ以降は世代交代が進み、2大カリスマが急速に萎んでいってしまいプロレスを観る気がなくなりましたからね(´Д`)

50代半ば  東京都

2017/02/14 7:33

17. この頃が、一番盛り上がった、時代だと思いますね。

60代前半  埼玉県

2017/02/14 0:45

16.  >>15 たくやさん

オールスター戦の試合後にリング上で猪木サンが馬場サンに対戦を要求したのも猪木サンならではでしたけど、馬場サンはそういうところが信用ならないって言ってましたからね(´Д`)

60代半ば  沖縄県

2017/02/14 0:13

15.  >>10 ☆コイサン☆さん
ですねぇ(^^;
馬場さんも何で猪木と対戦しないのかなぁって思ってましたが…。
いわゆる、信用度の問題だったらしいですねぇ。
猪木サンは、ああいう人だから(笑)

60代前半  埼玉県

2017/02/13 22:20

14.  >>13 あやねさん

ハンセンとブロディの超ド級のファイトはブラウン管越しでも伝わってきますからね(^。^)

生で直接観ることが出来なかったのは残念ですけど、是非DVDとかでミラクルパワーコンビのファイトを観てください(^_^)

40代後半  北海道(道東)

2017/02/13 19:58

13. このくらいから、自分もわかる歴史になってきます!

やっぱり、ハンセン&ブロディは生で見たかったですね!

60代前半  埼玉県

2017/02/13 16:47

12.  >>11 あやさん

日本人同士の対決が多かったからな(^.^)

50代半ば  熊本県

2017/02/13 16:36

11. なるほどが多い年代だったから

脱退 引き抜きとか知らなかった私は

あれ味方どうしの試合もあるだなーでした(笑)

60代前半  埼玉県

2017/02/13 14:05

10.  >>9 たくやさん

どちらかと言うと上半期の方が
色々ありましたね( ̄ー ̄)

後半はそうでもないのでサラッと
いきます( ̄▽ ̄)ゞ

やはりタイガーマスクと長州のインパクトが
強いみたいですね(・o・)

60代半ば  沖縄県

2017/02/13 13:46

9. 色々あった時代でしたねぇ(^^;

僕的には、佐山タイガー、長州の反乱あたりが印象深いですけど(^^;

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