伝説のレスラー 番外編 日本プロレス界昭和の歩み PART5 1985年~1988年
60代前半  埼玉県
2017/02/16 12:48
伝説のレスラー 番外編 日本プロレス界昭和の歩み PART5 1985年~1988年

伝説のレスラー 番外編

引き続き日本のプロレス界の歴史を纏めてみたいと思います。

昭和の時代に生まれ、昭和の時代に育った日本のプロレス界の歩みを、昭和の主な出来事だけになりますが追ってみましょう。


PART.5の今回は
1980年代後半期をお届けします。


それでは参りましょう(o゚◇゚)/



☆日本プロレス界の歩み PART.5

★1985年~1988年★


◇1985年(昭和60年)2月6日

猪木がキングコング・バンディと賞金1万5千ドルを賭けたボディスラムマッチで対戦。

試合には勝ったが、先にボディスラムで投げられてしまったため、賞金はバンディの手に。

◇1985年(昭和60年)3月21日

全日本プロレスのドル箱外人、ブルーザー・ブロディが新日の後楽園ホール大会に衝撃の初登場。

スーツ姿で右手に花束、左手にはチェーンを持って、ベートーヴェンの「運命」が流れる中、猪木と初コンタクト。

「イノキの目にワタシと同じバーニングスピリットを感じた!」の名言と共に新日マットに電撃移籍した。

◇1985年(昭和60年)4月18日

猪木とブロディが運命の初激突。

試合が始まる前にブロディが猪木の控え室を襲撃し、猪木の左腕を破壊するという暴挙に出た。

試合結果は両者リングアウトであったが、非常にスリリングな展開で納得のいく内容であった。

◇1985年(昭和60年)6月11日

第3回IWGP優勝戦。

猪木がアンドレをエプロンカウテッドアウトで破り連覇を達成した。

◇1985年(昭和60年)8月5日

長州がジャパンプロレス大阪大会で「馬場と猪木の時代は終わった。俺たちの時代だ!」と世代交代を高らかとアピール。

◇1985年(昭和60年)9月19日

藤波が猪木とスペシャルシングルマッチで対戦。

猪木の3回目の卍固めがガッチリ極ったところで特別レフリーのルー・テーズが試合をストップ

不可解なジャッジと言われていたが、あれは誰もが納得した判断だと思います。

◇1985年(昭和60年)10月11日

スーパータイガーが方向性の違いを理由にUWFを脱退。

◇1985年(昭和60年)11月4日

ジャンボ鶴田と長州力が初対決。

60分フルタイムドローに終ったが、鶴田の怪物的な強さだけが際立った1戦であった。

◇1985年(昭和60年)12月6日

新日本プロレスとUWFが業務提携を発表。

両国国技館大会に前田、藤原、木戸、高田、山崎のUWF5選手が現れリング上で猪木等と握手を交わした。

◇1985年(昭和60年)12月12日

IWGPタッグリーグ戦優勝決定戦。

ダントツ1位でリーグ戦を勝ち上がったブロディ&スヌーカ組がまさかのボイコット。

これにより猪木&坂口組vs藤波&木村組の試合が事実上の決勝戦となった。

試合は31分35秒に藤波が猪木からドラゴンスープレックスでフォール勝ちを奪う大金星でリーグ戦を制した。

◇1985年(昭和60年)12月18日

ハワイでピーター・メイビア追悼大会を開催。

猪木とアンドレが初タッグを結成。

アンドレの全日移籍が噂される中、テキサス・アウトローズと対戦し猪木組が勝利を上げた。


◆1986年(昭和61年)2月6日

「UWF代表者決定リーグ」を制した藤原が猪木と初対戦。

◆1986年(昭和61年)3月26日

新日本プロレスvsUWF5対5全面対抗戦がイリミネーションマッチで実現。

5-4で新日本が勝利。

◆1986年(昭和61年)5月21日

猪木が坊主頭で登場。

写真週刊誌に浮気現場をキャッチされたことへの反省の意味でのこと。

◆1986年(昭和61年)6月17日

猪木がアンドレから史上初のギブアップ勝ちを奪う快挙を達成。

ニュースは海外に瞬く間に拡がった。

◆1986年(昭和61年)8月17日

ジャパン女子プロレスが後楽園ホールで旗揚げ。

◆1986年(昭和61年)9月16日

猪木とブロディが7度目の一騎打ち。

60分フルタイムドローに終わる。

そしてこの試合が猪木とブロディの最後の試合となった。

◆1986年(昭和61年)12月12日

'86世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦

鶴田&天龍の鶴龍コンビが2年ぶり2度目の優勝を飾る。


◇1987年(昭和62年)2月20日

マサ斎藤が猪木への挑戦を表明。

◇1987年(昭和62年)3月25日

「INOKI闘魂LIVE part.2」レセプションにマサ斎藤の代理人として長州力が登場。

猪木と握手し、新日再登場の機運が高まる。

◇1987年(昭和62年)3月26日

新日大阪城ホール大会「INOKI闘魂LIVE part.2」の猪木vsマサ斎藤戦に謎の海賊男が乱入。

不可解な展開がまたも暴動を引き起こした。

◇1987年(昭和62年)3月28日

長州が全日後楽園ホール大会を欠場。

◇1987年(昭和62年)3月30日

ジャパンプロレスが長州力の追放を発表。

◇1987年(昭和62年)4月6日

赤坂のキャピタル東急ホテルで長州問題に対して馬場、猪木、坂口が会談を行う。

◇1987年(昭和62年)5月13日

新日の札幌大会にジャパンプロレスを追放された長州が乱入。

6月1日付けで新日へ復帰。

◇1987年(昭和62年)6月4日

全日マットで天龍が阿修羅原と共闘。
天龍革命が始まる。

◇1987年(昭和62年)6月12日

IWGP決勝戦後、長州がマイクで世代交代をアピール。

長州の呼び掛けに藤波、前田、木村健吾らがリングに上がり共闘宣言。

怒り狂った猪木はIWGPのベルトを手に「力ずくで奪ってみろ!」と逆下克上発言で会場を湧かせた。

◇1987年(昭和62年)10月4日

猪木とマサ斎藤が巌流島で激突。

2時間5分14秒の長時間の死闘を制したのは猪木であった。

◇1987年(昭和62年)10月4日

猪木vs斎藤の昭和の巌流島決戦と時を同じくして、全日本プロレス群馬県伊勢崎大会のメインイベント終了後にブルーザー・ブロディが登場。

全日復帰を発表した。

◇1987年(昭和62年)11月19日

前田が長州の顔面を後ろからキックし顔面を骨折させる事件が勃発。

前田は無期限出場停止処分となった。

◇1987年(昭和62年)12月27日

新日両国国技館大会に、ビートたけし率いるTPGがビッグバン・ベイダーを引き連れ登場。

猪木に対戦を要求。

急遽カードを変更したが納得のいかないファンが暴徒と化し再び暴動が起きてしまった。

これにより、新日本プロレスは両国国技館の使用停止処分が下された。


◆1988年(昭和63年)1月6日

新日本プロレスの藤波辰巳が猪木主体のマッチメークに不満を爆発させ、試合を欠場。

◆1988年(昭和63年)1月22日

新日本プロレスが初のイタリア遠征。

サンボの帝王 クリス・ドールマンが猪木に挑戦を表明し、猪木もこれを受諾した。

◆1988年(昭和63年)3月1日

長州の顔面を骨折させ謹慎中だった前田日明の解雇を発表。

◆1988年(昭和63年)4月22日

沖縄で藤波が試合後に猪木に造反。

飛龍革命の幕が開いた。

◆1988年(昭和63年)4月23日

猪木が試合前のランニングの最中に左足第五中足骨折により欠場。

これによりIWGPヘビー級王座は返上。

◆1988年(昭和63年)5月12日

新生UWFが後楽園ホールで再始動。

◆1988年(昭和63年)7月16日

昭和の時代で最大の惨劇が発生。

遠征先のプエルトリコでブルーザーブロディがナイフで腹部を刺されて死亡。

◆1988年(昭和63年)8月8日

IWGPヘビー挑戦者決定リーグ戦を制した猪木が、王者藤波辰巳に挑戦。

60分フルタイムドローに終り王座奪還はならず。

しかし、久々に新日の原点であるストロングスタイルプロレスの攻防が展開され、ファンは両者の闘いに酔いしれた。

そして、この試合のためだけに実況には古舘伊知郎氏が復活。

解説の山本小鉄との名コンビで中継を熱く盛り上げてくれた。

◆1988年(昭和63年)10月10日

猪木の「闘魂復活七番勝負」が、この日スタート。

10月27日まで続いた七番勝負は5勝2敗(反則負け2)の戦績であった。

◆1988年(昭和63年)11月7日

新日本プロレスとソ連国家スポーツ委員会によるプロレス交流記者会見で全面提携を発表。

それによりアマレス世界選手権4連覇の実績を誇る、サルマン・ハシミコフを筆頭にソ連の強豪選手団が来日することが決定した。

◆1988年(昭和63年)12月11日

'87 世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦。

鶴田と谷津の五輪コンビが優勝を飾る。

この優勝で鶴田は2年連続、合計4度 最強タッグを制したことになる。



昭和の時代の主な出来事をピックアップしてお届けした今回のシリーズ。

力道山の時代から様々な事が起こりましたが、一時も我々プロレスファンを飽きさせることなくブラウン管の前に釘付けにさせてくれました。

沢山のスター選手が存在しましたが、今なおカリスマと呼ばれる選手は3人しか居なかったように思われます。

平成に入ってから会場の規模は大きくなり、それを支える団体の努力により日本のプロレス界はどんどん繁栄していくものだと思っていましたが、やはりカリスマ不在の現在のプロレス界ではそれも不可能な気がしてなりません。

衣装や言動だけ格好良くても、真のプロレスラーの格好良さをを知っている昭和のプロレスファンからはそっぽを向かれるでしょう。

平成のプロレス界がもっともっと隆盛を極めることを祈りながら、今回はこの辺で終わりたいと思います。


以上(^-^)/

日本のプロレス界 昭和の歩みPart.5

1985年~1988年でした!


どうもアリガト~(^O^)/♪



※写真は左から

◇猪木vsブロディ初戦

◇前田の長州蹴撃

◇鶴龍コンビ最強タッグ優勝
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コメント

60代前半  埼玉県

2017/02/22 22:20

38.  >>35 タカアキさん

団体間の駆け引きは凄かったみたいですよね(・o・)

表面上は穏やかに事を進めてるようで実際は水面下で可成悪どい事もやっていたような記事を読んだ記憶があります(--;)

60代前半  埼玉県

2017/02/22 22:17

37.  >>34 タカアキさん

前田のインタビューを読んだら「長州さんが急に動いたから変なところに蹴りが入ってしまった。」なんて言ってましたよ(-.-)

後付けの言い訳かもしれませんがね(-_-)

60代前半  埼玉県

2017/02/22 22:15

36.  >>33 タカアキさん

前田はともかく、高田に関しては前座で揉まれる前に人気が出てしまったから歯痒かったんでしょうかね(~_~;)

素質はあっても技術が追い付いていかないみたいな感覚だったんでしょう(-.-)

60代前半  東京都

2017/02/22 20:05

35. 
キャピタル東急での、緊急3者会談の話は知ってます。
最初は馬場、坂口両名による緊急会談とかいわれましたが、猪木さんもいたんですよね。

長州が維新軍、ジャパンを率いて全日に出稼ぎに行く際の条件として、馬場さんの引退を最も重視したとか。
確かに第1線は退き、鶴田がエースとして君臨しましたが、結局は約束は果たされなかった。

まぁ、この時代はお互いの団体のいろんなものが、複雑に絡み合っていましたからね。

60代前半  東京都

2017/02/22 19:43

34.  >>32 ☆コイサン☆さん

そんな中、あの小鉄さんをして1番恐ろしかったのが、やはりゴッチさんだったようです。

本物の怖さでは群を抜いていたと。

前田のあの顔面蹴りは、世代闘争をブチ上げたものの、一向にラチがあかない苛立ちを長州へぶつけたんでしょうね。

実際には、あれは急にテレ朝がブチ上げた案で、猪木さんはまったく乗り気じゃなかったそうですから。

60代前半  東京都

2017/02/22 19:37

33.  >>32 ☆コイサン☆さん
前田、高田に関しては、本物のプロとしての達人の極意を、小鉄さんは伝授したがっていたようです。

小鉄さん曰く、本物のプロレスラーとは、身体にある1000箇所以上の急所と、顔面にも30以上の急所があり、そこを指で押さえつければ、ヘッドロック1つ外せなくなり、身体の動きが止まってしまう。

昔は猪木さんをはじめ、日本のプロレス創成期に来日した外国人や、日本ではヒロ・マツダさんとか、その極意を知る達人だらけだったと。

60代前半  埼玉県

2017/02/21 22:29

32.  >>29 タカアキさん

前田のあの顔で挑発されたら
誰でもイラッとしますよね(-.-)

ハッキリ言って前田は大して
強くないですからね( ̄* ̄)

プロレスと街の喧嘩は違うのです( ̄ー ̄)

しかし小鉄サンのその話しは
笑えますね(^∇^)

猪木サンもやんちゃでしたからね(^。^)

60代前半  埼玉県

2017/02/21 22:26

31.  >>28 タカアキさん

大仁田は天才肌の選手ですね(^.^)

アイデアとファンを盛り上げる術だけは素晴らしいものがあります(^∧^)

でも弱いけど(≧∇≦)

60代前半  埼玉県

2017/02/21 22:24

30.  >>27 タカアキさん

一応 馬場サン、猪木サン、坂口サンで長州問題の3者会談はやってるんですけどね(--;)

結論が出ないままズルズルと引き延ばしになったから、長州が待てなかったんだと思います(~_~;)

60代前半  東京都

2017/02/21 21:40

29. 
この前田の背後からの顔面蹴りは、モロに長州の右目に入り眼底陥没骨折でしたよね。

さらに前田が、ロープ際で「殴ってみいや!」って、片方の頬を突きだして挑発したら、長州のパンチがモロに入った。

小鉄さん曰く、「あれで前田が解雇になるのなら、若い頃の猪木さんは何回もクビになっていた!」と…。

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