伝説のレスラー 番外編 日本プロレス界昭和の歩み PART5 1985年~1988年
伝説のレスラー 番外編
引き続き日本のプロレス界の歴史を纏めてみたいと思います。
昭和の時代に生まれ、昭和の時代に育った日本のプロレス界の歩みを、昭和の主な出来事だけになりますが追ってみましょう。
PART.5の今回は
1980年代後半期をお届けします。
それでは参りましょう(o゚◇゚)/
☆日本プロレス界の歩み PART.5
★1985年~1988年★
◇1985年(昭和60年)2月6日
猪木がキングコング・バンディと賞金1万5千ドルを賭けたボディスラムマッチで対戦。
試合には勝ったが、先にボディスラムで投げられてしまったため、賞金はバンディの手に。
◇1985年(昭和60年)3月21日
全日本プロレスのドル箱外人、ブルーザー・ブロディが新日の後楽園ホール大会に衝撃の初登場。
スーツ姿で右手に花束、左手にはチェーンを持って、ベートーヴェンの「運命」が流れる中、猪木と初コンタクト。
「イノキの目にワタシと同じバーニングスピリットを感じた!」の名言と共に新日マットに電撃移籍した。
◇1985年(昭和60年)4月18日
猪木とブロディが運命の初激突。
試合が始まる前にブロディが猪木の控え室を襲撃し、猪木の左腕を破壊するという暴挙に出た。
試合結果は両者リングアウトであったが、非常にスリリングな展開で納得のいく内容であった。
◇1985年(昭和60年)6月11日
第3回IWGP優勝戦。
猪木がアンドレをエプロンカウテッドアウトで破り連覇を達成した。
◇1985年(昭和60年)8月5日
長州がジャパンプロレス大阪大会で「馬場と猪木の時代は終わった。俺たちの時代だ!」と世代交代を高らかとアピール。
◇1985年(昭和60年)9月19日
藤波が猪木とスペシャルシングルマッチで対戦。
猪木の3回目の卍固めがガッチリ極ったところで特別レフリーのルー・テーズが試合をストップ
不可解なジャッジと言われていたが、あれは誰もが納得した判断だと思います。
◇1985年(昭和60年)10月11日
スーパータイガーが方向性の違いを理由にUWFを脱退。
◇1985年(昭和60年)11月4日
ジャンボ鶴田と長州力が初対決。
60分フルタイムドローに終ったが、鶴田の怪物的な強さだけが際立った1戦であった。
◇1985年(昭和60年)12月6日
新日本プロレスとUWFが業務提携を発表。
両国国技館大会に前田、藤原、木戸、高田、山崎のUWF5選手が現れリング上で猪木等と握手を交わした。
◇1985年(昭和60年)12月12日
IWGPタッグリーグ戦優勝決定戦。
ダントツ1位でリーグ戦を勝ち上がったブロディ&スヌーカ組がまさかのボイコット。
これにより猪木&坂口組vs藤波&木村組の試合が事実上の決勝戦となった。
試合は31分35秒に藤波が猪木からドラゴンスープレックスでフォール勝ちを奪う大金星でリーグ戦を制した。
◇1985年(昭和60年)12月18日
ハワイでピーター・メイビア追悼大会を開催。
猪木とアンドレが初タッグを結成。
アンドレの全日移籍が噂される中、テキサス・アウトローズと対戦し猪木組が勝利を上げた。
◆1986年(昭和61年)2月6日
「UWF代表者決定リーグ」を制した藤原が猪木と初対戦。
◆1986年(昭和61年)3月26日
新日本プロレスvsUWF5対5全面対抗戦がイリミネーションマッチで実現。
5-4で新日本が勝利。
◆1986年(昭和61年)5月21日
猪木が坊主頭で登場。
写真週刊誌に浮気現場をキャッチされたことへの反省の意味でのこと。
◆1986年(昭和61年)6月17日
猪木がアンドレから史上初のギブアップ勝ちを奪う快挙を達成。
ニュースは海外に瞬く間に拡がった。
◆1986年(昭和61年)8月17日
ジャパン女子プロレスが後楽園ホールで旗揚げ。
◆1986年(昭和61年)9月16日
猪木とブロディが7度目の一騎打ち。
60分フルタイムドローに終わる。
そしてこの試合が猪木とブロディの最後の試合となった。
◆1986年(昭和61年)12月12日
'86世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦
鶴田&天龍の鶴龍コンビが2年ぶり2度目の優勝を飾る。
◇1987年(昭和62年)2月20日
マサ斎藤が猪木への挑戦を表明。
◇1987年(昭和62年)3月25日
「INOKI闘魂LIVE part.2」レセプションにマサ斎藤の代理人として長州力が登場。
猪木と握手し、新日再登場の機運が高まる。
◇1987年(昭和62年)3月26日
新日大阪城ホール大会「INOKI闘魂LIVE part.2」の猪木vsマサ斎藤戦に謎の海賊男が乱入。
不可解な展開がまたも暴動を引き起こした。
◇1987年(昭和62年)3月28日
長州が全日後楽園ホール大会を欠場。
◇1987年(昭和62年)3月30日
ジャパンプロレスが長州力の追放を発表。
◇1987年(昭和62年)4月6日
赤坂のキャピタル東急ホテルで長州問題に対して馬場、猪木、坂口が会談を行う。
◇1987年(昭和62年)5月13日
新日の札幌大会にジャパンプロレスを追放された長州が乱入。
6月1日付けで新日へ復帰。
◇1987年(昭和62年)6月4日
全日マットで天龍が阿修羅原と共闘。
天龍革命が始まる。
◇1987年(昭和62年)6月12日
IWGP決勝戦後、長州がマイクで世代交代をアピール。
長州の呼び掛けに藤波、前田、木村健吾らがリングに上がり共闘宣言。
怒り狂った猪木はIWGPのベルトを手に「力ずくで奪ってみろ!」と逆下克上発言で会場を湧かせた。
◇1987年(昭和62年)10月4日
猪木とマサ斎藤が巌流島で激突。
2時間5分14秒の長時間の死闘を制したのは猪木であった。
◇1987年(昭和62年)10月4日
猪木vs斎藤の昭和の巌流島決戦と時を同じくして、全日本プロレス群馬県伊勢崎大会のメインイベント終了後にブルーザー・ブロディが登場。
全日復帰を発表した。
◇1987年(昭和62年)11月19日
前田が長州の顔面を後ろからキックし顔面を骨折させる事件が勃発。
前田は無期限出場停止処分となった。
◇1987年(昭和62年)12月27日
新日両国国技館大会に、ビートたけし率いるTPGがビッグバン・ベイダーを引き連れ登場。
猪木に対戦を要求。
急遽カードを変更したが納得のいかないファンが暴徒と化し再び暴動が起きてしまった。
これにより、新日本プロレスは両国国技館の使用停止処分が下された。
◆1988年(昭和63年)1月6日
新日本プロレスの藤波辰巳が猪木主体のマッチメークに不満を爆発させ、試合を欠場。
◆1988年(昭和63年)1月22日
新日本プロレスが初のイタリア遠征。
サンボの帝王 クリス・ドールマンが猪木に挑戦を表明し、猪木もこれを受諾した。
◆1988年(昭和63年)3月1日
長州の顔面を骨折させ謹慎中だった前田日明の解雇を発表。
◆1988年(昭和63年)4月22日
沖縄で藤波が試合後に猪木に造反。
飛龍革命の幕が開いた。
◆1988年(昭和63年)4月23日
猪木が試合前のランニングの最中に左足第五中足骨折により欠場。
これによりIWGPヘビー級王座は返上。
◆1988年(昭和63年)5月12日
新生UWFが後楽園ホールで再始動。
◆1988年(昭和63年)7月16日
昭和の時代で最大の惨劇が発生。
遠征先のプエルトリコでブルーザーブロディがナイフで腹部を刺されて死亡。
◆1988年(昭和63年)8月8日
IWGPヘビー挑戦者決定リーグ戦を制した猪木が、王者藤波辰巳に挑戦。
60分フルタイムドローに終り王座奪還はならず。
しかし、久々に新日の原点であるストロングスタイルプロレスの攻防が展開され、ファンは両者の闘いに酔いしれた。
そして、この試合のためだけに実況には古舘伊知郎氏が復活。
解説の山本小鉄との名コンビで中継を熱く盛り上げてくれた。
◆1988年(昭和63年)10月10日
猪木の「闘魂復活七番勝負」が、この日スタート。
10月27日まで続いた七番勝負は5勝2敗(反則負け2)の戦績であった。
◆1988年(昭和63年)11月7日
新日本プロレスとソ連国家スポーツ委員会によるプロレス交流記者会見で全面提携を発表。
それによりアマレス世界選手権4連覇の実績を誇る、サルマン・ハシミコフを筆頭にソ連の強豪選手団が来日することが決定した。
◆1988年(昭和63年)12月11日
'87 世界最強タッグ決定リーグ戦最終戦。
鶴田と谷津の五輪コンビが優勝を飾る。
この優勝で鶴田は2年連続、合計4度 最強タッグを制したことになる。
昭和の時代の主な出来事をピックアップしてお届けした今回のシリーズ。
力道山の時代から様々な事が起こりましたが、一時も我々プロレスファンを飽きさせることなくブラウン管の前に釘付けにさせてくれました。
沢山のスター選手が存在しましたが、今なおカリスマと呼ばれる選手は3人しか居なかったように思われます。
平成に入ってから会場の規模は大きくなり、それを支える団体の努力により日本のプロレス界はどんどん繁栄していくものだと思っていましたが、やはりカリスマ不在の現在のプロレス界ではそれも不可能な気がしてなりません。
衣装や言動だけ格好良くても、真のプロレスラーの格好良さをを知っている昭和のプロレスファンからはそっぽを向かれるでしょう。
平成のプロレス界がもっともっと隆盛を極めることを祈りながら、今回はこの辺で終わりたいと思います。
以上(^-^)/
日本のプロレス界 昭和の歩みPart.5
1985年~1988年でした!
どうもアリガト~(^O^)/♪
※写真は左から
◇猪木vsブロディ初戦
◇前田の長州蹴撃
◇鶴龍コンビ最強タッグ優勝
コメント
2017/02/16 21:58
18. >>17 たくやさん
行ったんですかぁ~(*゜O゜*)
しかも結婚式の打ち合わせを
すっぽかしてまで( ̄~ ̄)
返コメ
2017/02/16 21:47
17. >>7 ☆コイサン☆さん
島なんで当然、舟で渡りました(^^;
島内では、柵があってリングには近づけませんでしたが、遠目にはのぼりとかが見えて、雰囲気だけは伝わって来ました(^^;
返コメ
2017/02/16 19:20
16. >>15 コテツさん
まいどっ( *・ω・)ノ
本当は「ギブアップまで待てない!」にも触れたかったんだけど、ワタクシの中で無かったことになってるので割愛した(* ̄∇ ̄*)
返コメ
2017/02/16 19:17
15. ばんわ(^-^)/
80年代後半から新日迷走しだしたなぁって感じですかね(^^;
プロレスラーがプロレスしてほしいですね。
返コメ
2017/02/16 19:15
14. >>13 ケンジさん
巌流島を決闘の場に選んだアントニオ猪木のセンスの良さに今更ながら脱帽です(^。^)
後に馳が真似してたけど二番煎じにもなりゃしなかった(* ̄∇ ̄*)
猪木サンが巌流島を選んだのなら逆に大都会のど真ん中でやるとかすればまだ良かったのにって思いますけどね(・。・)
例えば都庁とかね(^.^)
なかなかインパクトあると思うんですけど(^^)
返コメ
2017/02/16 19:09
13. 巌流島は強烈でした( ̄▽ ̄;)
猪木さんや馬場さん、闘魂三銃士などを超えてる選手はまだいないと思ってる今日この頃です( ̄▽ ̄;)
返コメ
2017/02/16 19:06
12. >>11 風來坊さん
こんばんは(・∀・)ノ
ブロディはとてもセンスの良い
レスラーでしたよね(^_^)
バーニングスピリットが燃える闘魂って意味だと知っててチョイスしたのかは判りませんが(・。・)
返コメ
2017/02/16 18:58
11. こんばんは。
Mr.ブロディが猪木サンと対面した際のコメント…
イノキの目にバーニングスピリットを見た
元新聞記者らしいMr.ブロディの名言が印象に残っております。(・∀・)
返コメ
2017/02/16 18:12
10. >>9 あやさん
おつかれチャン( *・ω・)ノ
何を観てたんだ( ̄ー ̄)
太陽にほえろは
もうやってなかっただろ( ̄◇ ̄)
o(* ̄○ ̄)ゝテキサ~ス!
返コメ
2017/02/16 17:21
9. お疲れチャマヨ〓
この時代は他のを見てたかも(;>_<;)
でチャンネルカチャカチャ交えてました(笑)
返コメ