割り切りをしないのにその相場を論じることの矛盾
よく日記ランキングを見ると割り切りの相場が高すぎる、あるいは安すぎる、と論じる日記をみかける。
そして日記を読んでみるとなぜか「自分は割り切りはしない」、「割り切りはすべきじゃない」とする
立場で書いていることが少なくない。
私は割り切り肯定派、というより実践派であるが、割り切り反対派の意見を否定するつもりはない。
割り切りしたい人はしてもよい、したくない人はしなければよい、それだけのことだ。
気になるのは自分は割り切りはしない、と言いつつ「イチゴは安すぎる」「2は高すぎる」という意見だ。
もちろん、安すぎの意見は女性側に多く、高すぎは男性側に多い。
本来、割りはすべきでないとするなら、それがイチゴでなく10万であれ100万であれ割りはすべきではない、
つまりいかに高額であろうともそれは妥当ということにはならないのだ。
もちろん逆に1000円であれ100円であれ割りをしない男であればそれは妥当と言うべきではない。
割り切りをしない立場であればその適正価格をつけることはできない、つまり適正価格は存在しないはずなのだ。
適正価格、つまり評価する基準が存在しない立場である価格を高すぎ、あるいは安すぎと論評する、
この自己矛盾にどれだけの人が気づいているだろうか。
コメント
2011/05/08 9:23
2.
俺は割り切りはしない
だから反対も賛成もしません
反対派の人は何か
倫理観をもってして自分が如何に正常な人間かを主張してるように思えてしまう
でも割り切りをする男女其々に大人なんだし
其々に事情もあるんでしょうね
女性との恋愛に縁がない
お金が必要だ
どうなろうと双方が納得してどうなろうが責任を持てるなら好きにしたらいいよね
返コメ
2011/05/08 9:23
1. 実践派のU助さん![[手(パー)]](https://img.550909.com/emoji/ic_p_hand.gif)
熱い日記ですネ〓
肯定派の人たちとはどこまで議論しても答えが出ない訳ですから「それぞれの世界」で生きるだけです
教師や警察官など、したくてもできない人もいますからね
平凡な民間人の特権ですね
いま流行りの自己責任…で楽しくやりましょう
明日死んでしまうかもしれませんからね〓
返コメ