最近の私は小説を読むことが少なくなったが、私の大好きな小説家の1人に阿刀田高という作家がいる。
ご存じのかたがどのくらいいるかわからないが、怪談~ミステリー系、震え上がるほど怖いお話ではなく読むとちょっと心がザワッとくる、そんな小説を多く書いている。
彼は恐怖の本質は想像力の中に存在するものだと言う。
たしかに、ちょっと不思議なできごとに遭遇し、実は恐ろしいその原因を知ったときに読者は恐怖を覚える、
そんな語り口のお話が多かったが彼の小説を読むと本当にそのことが理解できる。
多くはないが彼の小説にはときどき官能的な場面も出てくる。
官能小説のような即物的な表現はなく、ラノベよりも控えめなくらいだが、その抑えが利いた表現が逆に想像力を駆り立てる。
以前から私が考えていたこと…
エロティシズムもその本質は想像力にあるのではないか。
私が撮影系の出会いを始めた当初、撮るものは裸になった女の子だけだった。
一番初めの出会いは文字通りハメ撮りを3枚写しただけだ。
何度目かになってやっと服を脱ぐ前のカットを撮るようになったのだが、実はこれが大きな転機になった。
いかにナイスバディであれ裸の写真だけだとそこにストーリーはない。
服を来ている段階から1枚ずつ服を脱いでベッドに入る、だからこそストーリーを思い出すことができる。
私はソープには若い頃3、4回行っただけだが、個室に案内されると同時に女の子は全裸になる、ここに想像力を働かせる余地はない。
結局3、4回行って飽きてしまった。
ワクワクで出会う、待ち合わせにはいろいろな格好の女の子がやって来る。
Tシャツにショートパンツのようなごく普通の女の子、
胸元を半分くらい開けて谷間をアピールする女の子、
デニムをわざと下げておしりを半分出してアピールする女の子、
たとえ合流してホテルに入るまでが数分しかなくてもその数分間にいろいろと想像を巡らすことができる。
…こんなごく普通の女の子がホテルではどんな風に変わるのだろう…
…こんなに胸を出したりおしりを出したり、業者の子なのだろうが抵抗を感じないのだろうか…
…もしかすると相手に断られたくない一心で恥ずかしさをこらえて頑張っているのだろうか…
そんな官能的な現実はほとんどないのだろうが、それでも少し想像を巡らせるだけで出会いのシチュエーションは大きく違ってくるものだ。
もちろん、結果の約束された割り切りの出会いは結末がわからない本来の男女の恋愛には比べるべくもない。
それでも想像の余地が残っているだけでイマジネーションは膨らませることができる。
私がまだ学生だったころ「ノーパン喫茶」なるお店がブームになっていた。
おしりは丸見えだが肝心なところは見えそうで見えない、その見えそうなところに想像力をかき立てられて何度か足を運んだ。
私が行くようになったのはもうブームはピークを過ぎていたころだったと思うが、まもなく同じ業態の店が乱立し競合のためショウタイムなどで内容が濃厚化していった。
だが濃厚化したショータイムで客が自分の想像力を満足させてしまうと、もう想像力をかき立てられることはない。
こうしてあっという間にブームは終焉を迎えたのだが、案外男をエロにかき立てる原動力とはこんなものなのかもしれない。
写真は2年前にワクワクであった女の子…
かなりムッチリ体型だったがこのローライズに魅せられて合流してしまった
コメント
2012/08/28 0:59
1. あぁ。つぶやきコメント返しに対して更にお返しようとした事が、こうも忠実に説明されるとは。
私はU助さんの一歩手前、つまりパンツにエロティシズムとリアルの境を感じるので、ノーパンしゃぶしゃぶには関心ないっす(とコメントしようとした)
返コメ