武家政権の影に佐藤家あり[妄想。]
こんにちはm(._.)m。
足利尊氏が奥州佐藤一族に伊勢一群を与えたっとウィキィで書いてありました。
ふ~ん。。。なんでぇ?。
奥州佐藤一族は、奥州平泉藤原家の一族で、今の福島県と山形県と宮城県に勢力を誇った家です。
妄想の結果から言うと、この佐藤一族は伊賀氏等を配下に持っていた事から、日本最強の軍事集団だったのではっと思うようになりました。
源平合戦では、源義経が有名ですが、佐藤一族が軍事顧問っとして側に居て、合戦の調略、平たん、戦術、戦略を担ってったのではっと思います。
吾妻鏡の記述書を読んだ人が書いた記述ですが、あまりにも雑にしか書いてないです。
そして、中国地方に進行した本軍は、負けに負けて解散したと思いました。
その後の、奥州合戦においての吾妻鏡の記述も、雑です。
全国から御家人クラスを動員して、頼朝を総大将っとして鎌倉軍が赤子を捻るが如く奥州平泉藤原軍の要塞を突破して勝ったっとなってます。
現地の古戦場を見て歩いて思ったのが、佐藤一族の内乱だったのでは?です。
2万から3万の遠方から遠征してきた鎌倉軍が、2万の要塞に篭る藤原軍に勝てるわけが無い。
っという事でしょうね。
徳川が情報戦術で勝ち残れたのも、佐藤一族の末裔がって思って終わります。
書くの疲れちゃったm(._.)m。
コメント
2020/01/17 17:43
2. >>1 ゴンタ2号さん
多分、空城の計っを使ってるっと思います(・∀・)戦略すげぇ町内の佐藤さんw。
実際に、私の住んでる処は、明治初期は奥州鎮守が置かれ、東北の中心地でした。
それくらい、防備に完璧な程の地の利があります。
じゃぁ~町内の佐藤さんは?。
情報、心理戦で結果を出してるのでしょう~w。
返コメ
2020/01/17 13:32
1. こんにちは!
普通兵力が拮抗していたら守るほうが強いってイメージですよね。
近所の佐藤さんも町内会役員選出の時なんか毎度のように出張に出かけ、抜け目ない人だと思っておりました(笑)
少し違うか?
返コメ