お父ちゃんも、人を撃ったことあるん?
毎年8月のこの時期。
「戦争と平和について考え、亡き父を偲びたい」
その思いを込めてこの日記をあげています。
書き加えたり削ったり、表現を変えたり・・・
そうやって毎年少しづつ手を加えて、この日記を育てています。
皆さんにも、戦争や平和について考えるきっかけになれば嬉しく思います。
私が子供の頃は、毎年8月15日にテレビでは
「終戦特別番組」
を朝から夜まで、どの局もずっと放送していた記憶がある。
(今はいつもと変わらない編成の放送だが・・・)
私が小学校3年生だった。
終戦の日、父と二人でカルピスを飲みながら、テレビの終戦特番を見ていた。
画面には戦時中の映像が流れている。
行軍する兵士や銃撃の様子が、ブラウン管の中で映し出されていた。
私は何も知らず何も考えず、無邪気に父に尋ねた。
「お父ちゃんも、人を撃ったことあるん?」
父は私の問いに、否定も肯定もせず、ただ悲しげな顔を見せた。
初めて見る、父のとても寂しそうな顔だった。
父は40半ばで結婚したから、私とはずいぶん年が離れていた。
同級生の父親より、一回りも二回りも年上で、子供の頃はそんな年寄りな親が恥ずかしくて嫌だった。
友達の若いお父さんが羨ましくて仕方がなかった。
父は物静かな人だった。
生き方が不器用な人でもあった。
父は若かりし頃、当時の多くの若者と同じように徴兵され、戦地(南方)へ赴き、外地で終戦を迎えた。
その頃の苦労を、父はほとんど語りたがらなかった。
タンスの小引き出しには、勲章が仕舞われていた。
それは、父と戦争を結びつける、たった一つの形だった。
大切な勲章を私が勝手に胸につけ、友達と戦争ごっこをしたことがある。
普段おだやかな父は、私を叱った。
父の顔には、怒りではなく、涙がにじんでいた。
父や、当時の男たちは、人を殺めたいために銃を手にしたのではない。
一銭五厘の赤紙と呼ばれる召集令状によって召集され、命を賭けて祖国や家族のために戦ったのだ。
政治や歴史では取り残されてしまいがちな、個人の物語がそこにはある。
戦争を知らず今の平和を享受している我々に、その事をとやかく言う資格のある者は誰もいない。
私も、もちろん戦争を知らない。
私は、戦争なんて断固反対する。
だから軽々しく交戦を支持する者を、軽蔑する。
そして、どの立場どんな思想や信条であれ、戦争で苦労された人たちを冒涜するような言動や行為は、決して許されない。
「お父ちゃんも、人を撃ったことあるん?」
そう聞いたあの日に帰れるなら、愚かだった私は父に土下座して詫びたい。
自分で自分をぶん殴りたい。
子供だから無知だからと言って、何を口にしても許されるわけではない。
現代の平和は、尊い数多くの方の犠牲の上に成り立っていることを、絶対に忘れてはならない。
戦争を体験した方々、戦火で命を失った人たちはもちろん、戦地へ赴き銃を手に命をかけ散った人も、命からがら帰国した人も、同じくまた犠牲者である。
父が病気で他界してから十何年かが過ぎた。
貧乏な中、身を粉にして家族を養ってくれた父。
父の子としてこの世に生を受けた私は、今何より父を誇りに思う。
「本当にありがとうございます」
ただその一言を父に捧げたい。
戦後72年目の終戦記念日がやってくる。
私は静かに祷りを捧げる。