顔の焼けただれた傷痍軍人さん
父の日なので、父との思い出を書いてみたい
何年か前の日記を大幅にリライトしてみました
★ ☆ ★ ☆
うだるように暑く、蝉の声が青い空に響き渡っていた夏
僕は小学生だった
「映画でも観にいくか」
父が誘ってくれた
僕は無口で武骨な父が苦手だった
父は四十代で結婚をした
たから、同級生の父親より年齢が一回りも二回りも離れている
そんな「年寄りの父」が、子供心にカッコ悪く、友達の若いお父さんがうらやましかった
だから映画に誘われても、嬉しさより気まずさを覚えた
★ ☆ ★ ☆
大阪のはずれにある僕の住む町は、町工場と貧乏長屋がひしめいている
もちろんうちもそのひとつだ
砂利道、汲み取り式のボットン便所
木の電柱や円柱型の郵便ポストが並ぶ、そんな風景があった
バスに揺られ映画館のある隣町へ
そこは舗装された道路で、コンクリート製の電柱がたち並んでいる
何キロか離れただけで、見える景色がまったく違っていた
★ ☆ ★ ☆
映画館の前で、汗と脂で汚れた白装束の男性が座っていた
甘く物悲しい曲調をハーモニカで奏でている
その人は片足が無く、顔には紫色の大きな火傷の痕があり歪んでいた
申し訳ないがその時の僕は、怖くなって怯えてしまった
戦争で傷ついた元軍人が生活の糧のため、町なかで楽器を演奏している姿を見る事があった
「傷痍軍人(しょういぐんじん)」
と呼ばれた人たちだ
父は足を止め、じっとその軍人さんを見つめていた
「早く映画を観ようよ」
僕はせかす
父はつかつかとその人へ近づき
「おい〇〇じゃないのか!?」
名前を呼んだ
驚いた軍人さんはハーモニカの演奏を止め、父を見た
★ ☆ ★ ☆
しばらくの間、二人は無言で見つめあっていた
お互いに手をとりあい
「苦労したな」
「貴様もな」
声をかけあう
父と軍人さんの頬に涙がつたう
ポケットから財布を取り出した父は、そのまま軍人さんへ差し出す
「少ないがこれで何か食べてくれ」
軍人さんは震える手で財布を受け取ると、静かに頭をさげる
★ ☆ ★ ☆
「行こか」
しばらくして父は僕の手を引いた
「ねえねえ、あの人は誰なん?」
僕は父に尋ねる
「同じ部隊の戦友だ」
ぽつりと父は答え、それ以上は口にしなかった
赤紙一枚で徴兵された父は、戦時中の話をほとんどしたことがない
タンスの奥にしまった勲章を時おり取り出して、寂しそうな表情で眺めていることがあった
戦争で、父やあの傷痍軍人さんがどれほど苦労したか、僕には想像することさえできない
けっきょく財布をすべて渡したから、映画を観る事は叶わなかった
「嘘つき、お父ちゃんの嘘つき!」
泣きながら私は父をなじった
父は困った顔をし、ズボンのポケットをまさぐる
10円玉が一枚見つかったが、それではバスにも乗れない
父は苦笑した
★ ☆ ★ ☆
じりじり太陽が照り付ける焼けた道を二人は歩く
「疲れたよう、もう歩かれへん」
僕は座り込んだ
本当に疲れていたというより、だだをこね構ってほしかったのだろう
「喉が渇いたよう、ジュースが飲みたい」
僕はぐずる
父は10円で、駄菓子屋で粉末ジュースを買ってくれた
そこのおばちゃんにコップを借り、水道水で粉末を溶かす
生ぬるい飲み物を僕は喉へ流し込んだ
★ ☆ ★ ☆
父は僕を背負い、何キロかの帰り道を歩いた
無言だったけど、一歩一歩確かな足の運びで
痩せてはいるが、父の背中の逞しさを僕は感じていた
汗がぐっしょりとにじんでいた
父が没して長い時がたつ
でもあの日、父の背中で嗅いだ汗のにおい
それは今でも懐かしさをともない、僕の記憶にクッキリ刻まれている
コメント
2021/06/26 7:25
44. >>43 すずきさん
いえいえ
こちらこそ長年にわたってのおつきあい、感謝ですよ
(⌒‐⌒)
またいつでもお越しやす
岩おこし、またおこし♪
返コメ
2021/06/25 21:32
43. >>42 力″ 口 ンさん
師匠ぉ~!
有り難い言葉ですワ~!
これからも時々、此処に、お邪魔しマッスル!
(^-^)/
返コメ
2021/06/25 17:48
42. >>41 すずきさん
まい丼ドンドン
(^-^)
昭和をつまみに酒を飲む
いいねいいえ
会話が尽きることはない
グダグダでも順序がどうなろうと
そんなことは何でもないよ
気持ちと気持ち
それが通じ合えばよいのですよ(*^^*)
返コメ
2021/06/25 11:33
41.
師匠~!
まい度ンキホーテ!
(^-^)/
昭和≒子供の頃…って感じで、そんな話題で師匠と呑めば、朝までかかるかも~
あぁ~でも、俺は物事を順序づけて話すのが苦手やから…会話がグダグダになってしまうかな…。
(^。^;)
返コメ
2021/06/23 18:25
39. >>38 ニャンタさん
良い心がけやね(^-^)
その通りで、いろいろ想像しても、戦争の悲惨さとか苦しみは俺たちには理解できない
だから困っている人に、優しさを分けられるくらいはしたいよな
戦後70年以上もたつから、風化していくのは仕方ないかもしれない
だから間接的であっても、語れることは語っていきたいよね
親の世代から聞いた話とか
伝えていくのは責務だと思う
返コメ
2021/06/23 18:01
38. そんな兵隊さん地下道の通路などにいたね。
俺も何か怖いと思った。
今は見ないから知らない人が殆どだろうね。
戦争が忘れかけて来た事と繋がるのかな。
戦後生まれの俺は幸せと思います。
親達は想像出来ないほどの苦労したのだろう。
知らない俺たちは、理解出来ない事多いと思います。
その分、俺は弱い立場にある人には、少しでも優しくなりたいと思います。
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2021/06/23 6:37
37. >>35 ニコラス 刑事。 さん
おはようさん(^-^)
昭和の風景だねえ
飲む打つ買うの三拍子
堅気とその筋の者、境界線が引けない世界もあったよね
職人とか、腕に技術があれば渡っていけるから、っていうのもあったんやろな
そういえば昔の銭湯は、背中に紋々の入った人もよく見たよ
鬼とか観音さまとか、カラフルなじだいやったわ(笑)
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2021/06/23 6:30
36. >>34 ☆SYDNEY☆さん
やあ、いらっしゃい(^-^)
その白紙の作文、お祖父さんの悲しみと苦しみがギッシリ詰まってるんやね・・・
書かなかったのではなく、書けなかった
胸にグッときたよ
しかし教師は、宿題をさぼったと見た目だけで判断
なぜ白紙なのかを考えず
けしからんわ
俺ならその白紙の作文に満点をあげるよ(^-^)
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2021/06/23 3:10
35. おはようございます
こんばんは
私の小さい頃の記憶は、親父が土建屋をはじめて
1、仕事の現場が競艇場(蒲郡)の近くだと、昼から職人がサボって親父怒ってた
2、10日の給料を貰うと、職人数人は行方不明になり、金がなくなると又戻って来て、頭下げて仕事してた
3、組の抗争が有ると、戦闘服来て職場に来ているのがいた(小さい頃は、わからなかった)
4、顔に、傷がある人とか、指の無い人がやけに多かった
補足、亡き親父は 宮野工業で 興業ではない
組関係でもない
仕事柄、ヤバい人も使ってた?かな
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2021/06/23 0:31
34. ガロン殿、お久し振りです。
小学生の頃、授業参観日に向けて、戦時中の課題の作文を宿題に出されました。私は兵隊だった祖父にインタビューしたら、祖父がうなだれポロポロ涙を流した。訳を母に聞いたら祖父は、終戦直後の軍の行進中に爆撃にあった、たった1人の生き残りだったと。詳細は割愛しますが、私は衝撃を受けた。そして何故か作文を、白紙で提出したのよね(笑)担任の先生には、むっちゃ怒られたけど(笑)(笑)
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