顔の焼けただれた傷痍軍人さん
70代以上  大阪府
2021/06/20 6:05
顔の焼けただれた傷痍軍人さん
父の日なので、父との思い出を書いてみたい
何年か前の日記を大幅にリライトしてみました


★ ☆ ★ ☆

うだるように暑く、蝉の声が青い空に響き渡っていた夏
僕は小学生だった

「映画でも観にいくか」
父が誘ってくれた

僕は無口で武骨な父が苦手だった

父は四十代で結婚をした
たから、同級生の父親より年齢が一回りも二回りも離れている
そんな「年寄りの父」が、子供心にカッコ悪く、友達の若いお父さんがうらやましかった

だから映画に誘われても、嬉しさより気まずさを覚えた




★ ☆ ★ ☆

大阪のはずれにある僕の住む町は、町工場と貧乏長屋がひしめいている
もちろんうちもそのひとつだ

砂利道、汲み取り式のボットン便所
木の電柱や円柱型の郵便ポストが並ぶ、そんな風景があった


バスに揺られ映画館のある隣町へ

そこは舗装された道路で、コンクリート製の電柱がたち並んでいる
何キロか離れただけで、見える景色がまったく違っていた




★ ☆ ★ ☆

映画館の前で、汗と脂で汚れた白装束の男性が座っていた
甘く物悲しい曲調をハーモニカで奏でている

その人は片足が無く、顔には紫色の大きな火傷の痕があり歪んでいた
申し訳ないがその時の僕は、怖くなって怯えてしまった


戦争で傷ついた元軍人が生活の糧のため、町なかで楽器を演奏している姿を見る事があった
「傷痍軍人(しょういぐんじん)」
と呼ばれた人たちだ


父は足を止め、じっとその軍人さんを見つめていた

「早く映画を観ようよ」
僕はせかす

父はつかつかとその人へ近づき
「おい〇〇じゃないのか!?」
名前を呼んだ

驚いた軍人さんはハーモニカの演奏を止め、父を見た




★ ☆ ★ ☆

しばらくの間、二人は無言で見つめあっていた

お互いに手をとりあい
「苦労したな」
「貴様もな」
声をかけあう

父と軍人さんの頬に涙がつたう

ポケットから財布を取り出した父は、そのまま軍人さんへ差し出す
「少ないがこれで何か食べてくれ」

軍人さんは震える手で財布を受け取ると、静かに頭をさげる




★ ☆ ★ ☆

「行こか」
しばらくして父は僕の手を引いた

「ねえねえ、あの人は誰なん?」
僕は父に尋ねる

「同じ部隊の戦友だ」
ぽつりと父は答え、それ以上は口にしなかった

赤紙一枚で徴兵された父は、戦時中の話をほとんどしたことがない
タンスの奥にしまった勲章を時おり取り出して、寂しそうな表情で眺めていることがあった


戦争で、父やあの傷痍軍人さんがどれほど苦労したか、僕には想像することさえできない


けっきょく財布をすべて渡したから、映画を観る事は叶わなかった

「嘘つき、お父ちゃんの嘘つき!」
泣きながら私は父をなじった

父は困った顔をし、ズボンのポケットをまさぐる
10円玉が一枚見つかったが、それではバスにも乗れない

父は苦笑した




★ ☆ ★ ☆

じりじり太陽が照り付ける焼けた道を二人は歩く

「疲れたよう、もう歩かれへん」
僕は座り込んだ

本当に疲れていたというより、だだをこね構ってほしかったのだろう

「喉が渇いたよう、ジュースが飲みたい」
僕はぐずる

父は10円で、駄菓子屋で粉末ジュースを買ってくれた
そこのおばちゃんにコップを借り、水道水で粉末を溶かす

生ぬるい飲み物を僕は喉へ流し込んだ




★ ☆ ★ ☆

父は僕を背負い、何キロかの帰り道を歩いた
無言だったけど、一歩一歩確かな足の運びで

痩せてはいるが、父の背中の逞しさを僕は感じていた
汗がぐっしょりとにじんでいた


父が没して長い時がたつ

でもあの日、父の背中で嗅いだ汗のにおい
それは今でも懐かしさをともない、僕の記憶にクッキリ刻まれている
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コメント

70代以上  大阪府

2021/06/26 7:25

44.  >>43 すずきさん
いえいえ
こちらこそ長年にわたってのおつきあい、感謝ですよ
(⌒‐⌒)

またいつでもお越しやす
岩おこし、またおこし♪

50代前半  大阪府

2021/06/25 21:32

43.  >>42 力″ 口 ンさん

師匠ぉ~!

有り難い言葉ですワ~!

これからも時々、此処に、お邪魔しマッスル!
(^-^)/

70代以上  大阪府

2021/06/25 17:48

42.  >>41 すずきさん
まい丼ドンドン
(^-^)

昭和をつまみに酒を飲む
いいねいいえ
会話が尽きることはない

グダグダでも順序がどうなろうと
そんなことは何でもないよ

気持ちと気持ち
それが通じ合えばよいのですよ(*^^*)

50代前半  大阪府

2021/06/25 11:33

41. 
師匠~!
まい度ンキホーテ!
(^-^)/

昭和≒子供の頃…って感じで、そんな話題で師匠と呑めば、朝までかかるかも~

あぁ~でも、俺は物事を順序づけて話すのが苦手やから…会話がグダグダになってしまうかな…。
(^。^;)

70代以上  大阪府

2021/06/23 18:25

39.  >>38 ニャンタさん
良い心がけやね(^-^)
その通りで、いろいろ想像しても、戦争の悲惨さとか苦しみは俺たちには理解できない
だから困っている人に、優しさを分けられるくらいはしたいよな

戦後70年以上もたつから、風化していくのは仕方ないかもしれない
だから間接的であっても、語れることは語っていきたいよね
親の世代から聞いた話とか
伝えていくのは責務だと思う

70代以上  埼玉県

2021/06/23 18:01

38. そんな兵隊さん地下道の通路などにいたね。
俺も何か怖いと思った。
今は見ないから知らない人が殆どだろうね。
戦争が忘れかけて来た事と繋がるのかな。
戦後生まれの俺は幸せと思います。
親達は想像出来ないほどの苦労したのだろう。
知らない俺たちは、理解出来ない事多いと思います。
その分、俺は弱い立場にある人には、少しでも優しくなりたいと思います。

70代以上  大阪府

2021/06/23 6:37

37.  >>35 ニコラス 刑事。 さん
おはようさん(^-^)

昭和の風景だねえ
飲む打つ買うの三拍子
堅気とその筋の者、境界線が引けない世界もあったよね

職人とか、腕に技術があれば渡っていけるから、っていうのもあったんやろな

そういえば昔の銭湯は、背中に紋々の入った人もよく見たよ
鬼とか観音さまとか、カラフルなじだいやったわ(笑)

70代以上  大阪府

2021/06/23 6:30

36.  >>34 ☆SYDNEY☆さん
やあ、いらっしゃい(^-^)

その白紙の作文、お祖父さんの悲しみと苦しみがギッシリ詰まってるんやね・・・
書かなかったのではなく、書けなかった
胸にグッときたよ

しかし教師は、宿題をさぼったと見た目だけで判断
なぜ白紙なのかを考えず
けしからんわ

俺ならその白紙の作文に満点をあげるよ(^-^)

60代半ば  東京都

2021/06/23 3:10

35. おはようございます
こんばんは

私の小さい頃の記憶は、親父が土建屋をはじめて

1、仕事の現場が競艇場(蒲郡)の近くだと、昼から職人がサボって親父怒ってた

2、10日の給料を貰うと、職人数人は行方不明になり、金がなくなると又戻って来て、頭下げて仕事してた

3、組の抗争が有ると、戦闘服来て職場に来ているのがいた(小さい頃は、わからなかった)

4、顔に、傷がある人とか、指の無い人がやけに多かった

補足、亡き親父は 宮野工業で 興業ではない
組関係でもない
仕事柄、ヤバい人も使ってた?かな

70代以上  秋田県

2021/06/23 0:31

34. ガロン殿、お久し振りです。
小学生の頃、授業参観日に向けて、戦時中の課題の作文を宿題に出されました。私は兵隊だった祖父にインタビューしたら、祖父がうなだれポロポロ涙を流した。訳を母に聞いたら祖父は、終戦直後の軍の行進中に爆撃にあった、たった1人の生き残りだったと。詳細は割愛しますが、私は衝撃を受けた。そして何故か作文を、白紙で提出したのよね(笑)担任の先生には、むっちゃ怒られたけど(笑)(笑)

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