家族を飢えから救うため一片のパンを盗んだ、小説「レ・ミゼラブル」の主人公ジャン・バルジャン。
このような犯罪ならば温情もかけたくなるが(それでも罪は罪、犯罪を正当化はできないが)
逆に、卑劣極まりない最も許しがたい犯罪だと考えるのは、薄汚いおのれの性欲の対象に子供を狙うヤツらだ。
小学生の女児を襲った30代の魔物のような男は、自分の欲望が遂げられないと、女の子の顔の骨をほとんど、複雑骨折させるほど蹴り砕いた。
そいつは裁判で、「極めて悪質」として、懲役11年の実刑判決を食らった。
俺に言わせたら
「極めて悪質で、たかが11年
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」
だ。
この悪魔は恐らく、数年も収容されたらまたシャバへ野放しにされるだろう。
再犯を繰り返し、また痛ましい犠牲者が出るかも知れない。
日本の刑罰の甘さは、世界的に類を見ない。
甘過ぎる
「どんな犯罪者にも人間として良い部分がある、生きて更生し罪を償う事が大切」
こんな理想を語る人もいる。
そんなものは幻想だ
こんな犯罪を犯すようなヤツが真人間になる事が、俺には信じられない。
百万歩譲って、たとえ更生しようが、犯した罪は償えない。
それだけ取り返しのつかない事をしでかしたのだから。
原始共同体には、禁忌(タブー)としての領域が存在した。
踏み込んではならない土地、破ってはいけないルールが生活に根付いており、それを犯した者は、共同体からの追放、時には命を奪われる事もあった。
俺は思う。
今日の行き過ぎた「加害者の人権を護る社会」より、未開部族と呼ばれる社会の方が、犯罪に対してはるかに健全な感覚を持っていたのではないかと。
未開なのは、我々だ。
子供を襲うような、取り返しのつかないタブーを犯した者には、やり直しのチャンスなどはいらない。
世の中には、絶対に踏みいってはならない領域が確実にあるのだから。
「赦し、受容する愛」
が絶対的に正しいわけではない。
「憎み、排斥する愛」
というものもあるはずだ。
日本の刑罰は「教育刑」という考え方が下地になっている。
「教育し直し、また社会に受け入れましょう」
って話だ。
しかし、悪魔を、どうやって教育できるんだ
人を傷つけても何も痛みを感じない、逆に快楽を覚え、刑務所さえ「タダ飯を食える場所」くらいにしか考えていない腐りきったヤツらがごまんといる。
コメント
2014/12/01 5:56
1. いい話しです、同賛します。
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