今回は、不定期で連載している
「犯罪と人権シリーズ」
です。
このテーマでは「通り魔」「少年法」「被害者の人権」「現代社会の歪み」などをキーワードに毎回日記を書いています。
重苦しいテーマですので、苦手な方はどうか閲覧をお控えください。
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かつて日本中を震撼させた未成年者の残虐非道な殺人事件があった。
犯罪を犯したのは10代の『少年』たち。
被害者も10代の少女。
テレビは連日、この事件で持ちきりだった。
ある討論番組で『教育評論家』が、こんな意見をぶちまけていた。
「本当の犠牲者は犯行を犯した少年A君たちだ。
彼らこそが真の被害者だ。
A君らは『なぜ人を殺してはいけないのか』を、誰からも教わってこなかった。
彼にこれを教えなかった我々大人たちこそが罰せられるべきだ」
その後この教育評論家は、挑発的とも思える語気でこう締めくくった。
「大人たちは子供に『なぜ人を殺してはいけないのか』を論理的に説明できるのか!?」
と。
これを聞いた俺は
「こいつはいったい何をほざいてんねん
」
とあきれかえった。
「アカンものはアカンやろ
」
なぜ人を殺してはいけないのか?
いけないものはいけない、以外に俺は答えようがない。
『そもそも人間は人権を有し、命を奪う行為は生存権の侵害であり…』
六法全書を片手に、こんな論理を語らないと伝わらないのか?
そして、被害者と加害者をすり替える『人権屋』のお決まりの手口…
いつから日本は「当たり前」が通じなくなったのだろう?
俺が小さい頃、大人たちからよくこう諭された。
「おてんとう様が見ているから、悪い事をしたらあかん」
「恥ずかしい生き方をしたら、ご先祖様に申し訳ないやろ」
これらは決して『論理的な教え』ではない。
でも俺には、シンプルだけどこんな生活の教えが、ダイレクトに心に響いてくる。
そしてそれは、自分の生き方や考え方の、よりどころにもなっている。
【自分がされてイヤな事は他人にもしない】
戦火の外国の事は、俺には分からないし語る資格もない。
でもこの愛する日本で、そんな当たり前の事が当たり前として通じなくなり、いちいちもっともらしい理屈をつけないと人々に共有されないとなると、そんな世の中はあまりに寒々しい。
「なぜ人を殺してはいけないか」
その問い自体が、愚問にさえ感じる。