最後の手紙にこめられた母の愛
70代以上  大阪府
2017/05/13 7:08
最後の手紙にこめられた母の愛


僕が生まれ育ったのは6畳一間の貧しい長屋。

そこで親子が暮らしていた。



母は30代の半ばで僕を産んでくれた。
よく働く人で、家事をし、パートや内職もしていた。

物乞いを見かけると、財布にある小銭を全部空き缶の中へ入れてあげる優しい人だった。


動物が好きで、棄てられている猫や犬をよく飼っていた。

だから狭い我が家は、動物たちでますます狭くなっていくことになる(笑)




貧しかったけれど、本だけはたくさん買ってくれた。
だから僕が本を読むことや文章を書くことを好きになったのは、母のおかげである。

自分の人生で、読んだ本の数だけは僕は誰にも負けない自信がある。



小学生の頃、僕の書いた作文が大阪のコンクールで入賞したことがある。

そのときの賞状を、母は神棚にあげ毎日水をそなえパンパンと柏手をうっていた。


「そんな恥ずかしいことやめてえや」
僕が文句を言うと。


「お母ちゃん、こんな嬉しいことあらへんねん」
そう答え、また柏手をパンパンうつ。





僕が高校生の時、病気で胃の大半を切除する手術を受けた。

相撲取りみたいだった体型の母が、バレリーナよりも細くなってしまった。



その手術で大量の輸血を受けた恩返しのために、僕は献血を始めた。

その後の人生で、僕は111回の献血をすることになる。

それは世のため人のためというより、母の命が救われた感謝の気持ちが強いと思う。





母は晩年肝臓を患い、その毒が脳にまでまわってしまった。

意思の疎通も不可能になり、最後はかなり苦しんでいた。



医者から延命措置をどうするか迫られた。

僕は拒否した。

それ以上苦しみ続ける母を見ることがしのびなかった。



鎮静剤をうたれた母は、その半日後、静かに旅立っていった。

最後の言葉を聞くことさえできなかった。



延命を拒否した僕の決断が正しかったのかどうか、それは今でもわからない・・・



自分の人生で僕が一番泣いたのが、母が亡くなった時だ。

泣いて泣いて泣いて・・・・

そのあと虚無感に支配されてしまう。





取り残された僕は、茫然自失で遺品の整理をしていた。

すると、僕にあてた1通の手紙が出てきた。



手紙の書き出しはこう。


「おまえが産まれたとき、それはそれは可愛い顔の男の子で、お母ちゃんは天にも昇る気分でした」


また涙がドドドーとあふれてくる。




で、手紙の続き。


「ところが、大きくなるにつれ、段々可愛いさがなくなり、とうとう普通の顔になり、がっかり。お母ちゃんは海の底に沈みました」




「なんでやねん!天から海の底ってどんだけ落ちとんねん。最後の手紙がこれかい」

本当に声にして、僕は手紙にツッコミをいれていた。



そしてそのあと反動で声をあげながら大笑いしてしまった。

笑って笑って笑って・・・

その後、また涙が。



ユーモアがあり気配りの行き届いた母の、これが最後の優しさなんだとようやく気づいた。

自分が亡くなり残された僕が読んだとき、その悲しさを少しでも和らげようと、ユーモアをこめた手紙を残してくれたのだ。

その後は、自分が幸せであったこと、残された家族への思い、などが綴られていた。



ありがたい、本当にありがたい。

僕は手紙に頭を下げていた。



人はたとえその物理的な姿や形がこの世を去ったとしても、優しさや思いやりといった心はいつまでも残すことができる。

そのことを教えられた気がした。



僕がそれから後に介護士の道を歩みだしたのも、亡き母の導きであったのかもしれない。




でもね、一つの疑問が。

「可愛さがなくなりがっかり」
て手紙のあの部分。

あれが本音やったらいややなあ(笑)

それはいつか自分もあちらの世界へ行ったとき、じっくりと母にツッコミをいれてみたいと楽しみにしている。





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