正月ということもあって
いろんな映画が流されてて、途中からだけど
「タイタニック ( 97年 : J.キャメロン作 ) 」
を久々に見てました。中学校の英語の教材でその話を知って自分の中では
「備えを怠った豪華客船の悲劇」
程度の認識でした。
主にSFアクション映画を手掛けてたJ.キャメロン監督が、一転して挑んだ
ラブロマンス+α。この事だけでもインパクトは十分。
ドキュメンタリー+再現ドラマを前半はラブストーリー、後半はパニック
映画さながらの緊迫感のある展開。
氷山激突から最後までの展開、あとは沈むだけ、と分かってはいるものの
目が離せなかった。実際沈み行くさまを見た訳じゃないけどそれでもリアル
過ぎるだろうって。
単に沈んでゆく船の話じゃなく、そこに貧しい青年と上流階級の娘との報われ
ない恋(悲恋)にスポットを当てたのも功を奏したかと。
確かに死の間際まで紳士たらんとした男性の話や沈む直前まで音楽を演奏して
いた音楽家の話では少しインパクトには欠けるかと…
船と運命を共にした人のエピソードもあれば、生き残った人のエピソードもある
訳でして…
今回は事故から生還したある人物の話を紹介してみようかと思います。
細野正文。タイタニック号の事故に遭遇したものの、運良く生還を果たした
唯一の日本人乗客。
仕事の関係でロシアへ赴き、その帰途でタイタニック号に乗船、事故に遭遇した
ものの奇跡的に生還を果たし日本へ帰国。しかし、同じく生き残った乗客の手記
の中に
『他人を押しのけてまでボートに乗った日本人がいた』
という記述があり、そのおかげで以後、正文氏は
『女、子供を押しのけて助かった卑怯者』
という風に非難に晒されました。しかし、正文氏は何一つ弁解することもなく
汚名を着せられたまま、1939年(昭和14)3月、68歳でこの世を去りました。
その後、息子が遺品を整理していたらタイタニック号の事故当時の状況と心情を
克明に記した手記が発見されました。検証の結果、正文氏は
死を覚悟していたものの『あと2人乗れる』と言われ、周りを見ても
自分を含めて2人しかいなかったのでそのまま乗った。
女子供を押しのけてまで乗ってはいない( 別人と判明 )
という事が判明。それにより正文氏の名誉が回復された、との事ですが…
ちなみにこの方、
YMOの細野晴臣の祖父にあたります。
事故当時正文氏に子供はおらず、日本に帰国した後に子を設けた、と記載されて
いたので、
もし正文氏がタイタニック号と運命を共にしていれば晴臣氏はこの世に生まれて
来なかった。また、YMOも結成されなかったかもしれない。
仮にYMOが結成されたとしてもそこに晴臣氏は存在しない、という事になります。
晴臣氏がインタビューで語った
『(祖父が生き延びてなかったら)僕はここにいない訳ですから…』
この言葉がずっと印象に残ってます。
個人的には正文氏が生き残ったのは『運命』だったんじゃないかと感じずには
いられません。
そしてこのエピソード、意外と知らない人が多かったのであえてここに記させて
もらいました。