“3.11”の記憶
40代後半  北海道(道央)
2021/03/11 16:30
“3.11”の記憶
バスツアーの添乗で
日光東照宮を出発し
宇都宮日光道へと向かう道中の交差点
携帯のアラームと共に
揺れを感じ
バス車中も騒然とする中
周囲の信号機や電柱なども激しく揺れていた

そう
14:46の事

東日本大震災
まさに
その瞬間でした


その後
ツアー一行が宿泊予定だった
水戸市内のホテルの従業員の携帯電話より
ライフラインが麻痺したため宿泊を受け入れられない旨の連絡が有った

派遣先(旅行会社)や派遣会社や家族などに電話を入れるも
着信や相手側の声は届くものの
こちらからの発信や声が届かない状態
途中で小休止を入れ
真っ先に公衆電話に駆け込み
久々にテレホンカードを片手に行列に並んだ

会社の方で成田市内のホテルを手配してくれたが
高速道路も不通となり
ひたすら一般道を走る形となり
信号機も麻痺した状態で
長い道程となりました

周囲の家屋は
瓦が割れ
塀が崩れ
一瞬にして別世界に迷い込んだかの状態
沿線の
コンビニやスーパーでは
食料や日用品を求める人だかり

日が暮れた後では
道の駅のトイレも停電状態の為
バスのライトと携帯電話のライトだけを頼りにトイレを済ませてもらい
女性客から
“水が流れない!”
と嘆きの声

この震災以来
添乗中は必ず懐中電灯とテレホンカードは
必ず持ち歩く様になったが…

やっとの思いで
成田に到着
お客さんの部屋は確保されていたものの
自分とドライバーとバスガイドの部屋が確保されておらず
空きを聞いたところ
シングル1Rとツイン1Rしか空いていなかったため
シングルはバスガイドさんに
ツインはドライバーさんと自分で当初は相部屋にする方向だったが
翌日も長距離を任せないといけなかったので
よけいな負担を与えたくない一心で
ツイン1室はドライバーさんに譲り
自分は帰宅困難者らと共に
ロビーで一晩明かす形になった

一晩中
警報音と余震が続き
全く熟睡出来る状況ではなかった

翌日は
予てから旅程に入っていた
成田山新勝寺を訪れたが
石段や石畳は軒並み崩れた状態で
あちこちにカラーコーンやポールが置かれていた

立ち寄った
土産店では
外壁が剥がれ落ち
中も被災し大変な状況の中で
ツアー客や我々に
温かい茶菓子をもてなしてくれた

沿道
前日寄った道の駅では
電気が不通の為か
立ち入りが出来なくなっていた

この日は
帰路に向かう日だったが

不幸中の幸い

福島空港は
内陸部(須賀川市)のため
津波の影響なく
遅延はしたものの
ほぼ予定通りに家路に着く事が出来た

福島空港では
偶然にして
小中の同期に遇ったが…

震災から10年
今在る事に感謝しつつ

改めて
被災された方々へ心よりお見舞い申し上げ
亡くなられた方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます
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