身勝手でゴメンね
50代前半  神奈川県
2023/12/23 22:57
身勝手でゴメンね
帰るべき家があり、守るべき家族のいる自分の立場を踏まえれば、家庭の外で恋愛したい、好きになりたいなどと考えること自体が、おこがましいというか、身の程知らずというか、とても身勝手なことだという自覚はある。
罪悪感というほどではないにしろ、いくばくかの後ろめたさを感じるのは、自分の身勝手さをわかっているから。

よく誤解されがちだけど、その後ろめたさを感じる対象は、「信頼を裏切ってすみません」という家族に対するものではないし、「人の道に反してすみません」などと世間体に対するものでもない。
不倫会見などでは、その2つに対して追及したり謝罪したりするような場面が多いけれど、自分の後ろめたさの正体はそのどちらでもない。

家族に対する責任は自覚している。
妻子が食うに困ることなく安心して暮らせるだけの糧を保証することは当然の責任として、残る余裕の一部を自分のために使ったところでバチは当たらないかと。
外で得た活力が次の糧を産み、また家庭に還元されたりもする。
それに加えて秘密を絶対にバラさず墓場まで持っていく器量と覚悟を持つことも、家族への最低限の責任だろう。
そうした責任は果たせていると、あくまで自己評価ではあるまものの、そう思っている。

世間体など正直どうでもいい。
法や秩序、常識とか倫理観とか、そういうことの外側にこそ人の幸せの本質があると思っている。
どんなに清く正しい社会になっても人は幸せになれないという価値観の裏返しとして、秩序に対する信頼感や忠誠心はもともとあまり高くない。
とは言え捕まっても困るから、一応従っているフリはするけれど、あくまで成りすましているだけで、本気で信じているわけではないというか。

自分が後ろめたさを感じる対象は、家族でも世間でもなく、こんな自分でも受け入れようとしてくれる相手に向けたもので。
将来になんの約束もできない、関係性の保証などなにも与えられない、いつ終わるとも知れない儚さを伴う刹那的な関係にならざるを得ない現実は、それも承知の上のしょうがないこととは言え、その身勝手さに後ろめたさを感じたりもするもので。

その代わりというわけではないけれど、今、その時に、その人へ精一杯の気持ちを込めることは約束できるし、それがたとえ家族や世間を欺く偽りの関係だとしても、嘘も偽りもない素直な気持ちで愛したいと思う。
ここで言う「その時」とは、会っている時だけを指しているわけではなくて、たとえ離れていても、ふと「どうしてるかな?」と思いを馳せた瞬間こそが、今、その時に、その人への気持ちという意味で。
愛しい気持ちは心の中に宿すものだから、時間も空間も関係ない、目の前にその人が居ようとも居まいとも関係ない、家族や世間の目も関係ない、誰からも何の制約もなく思うがまま自由に想える。

それで後ろめたさが軽くなるわけではないけれど、もし身勝手を許してくれるなら、せめて心の中にはいつも宿していたい。
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