突きたい欲は撞いて流せ
50代前半  神奈川県
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突きたい欲は撞いて流せ
大晦日と言えば、紅白に年越しそばと除夜の鐘、自分の中でのイメージではそんな感じだろうか。
と言ってもそのイメージは子供の頃の記憶がそのまま定着しているだけで、実際のところ今でも毎年しているのはせいぜい年越しそばくらいだけど。

紅白を観ながら年越しそばを食べて、「ゴーン…」と遠くから聴こえる鐘の音に誘われ撞きに行く。
子供の頃はそれが大晦日の夜の行事だった。
実家の氏神様は近所というほど近所でもなくて、子供の足だと30分くらいの距離だけど、歩いてる途中で108回に達してしまわないか心配で、鐘の音を数えながら早足で向かっていた覚えがある。
地元の人しか来ないようなしがない小さなお寺なら、実際にはそんなキッチリ108回ではなくて、列に並べばもれなく全員撞けるんだろうけど。

108ある人の煩悩を浄化するのが除夜の鐘だと。
浄化というと、なんだか煩悩があってはならない悪いことのように思いがちだけど、たぶんそうではなくて、ここで一旦リセットして再起動しましょう、くらいの意味かと思う。

パソコンでもスマホでも、ずっとつけっぱなしで使い続けていると余計なゴミデータが貯まってきてだんだん動きが重くなってくるけど、一旦リセットして再起動すればスッキリ直る。

人の心というか魂というか、実際には脳だけど、生きていくために必要な煩悩(欲)は、ときに過剰で余計な情報までどんどん取り込んでしまい、煩悩に飲み込まれ、まるで煩悩のために生きているような手段と目的の逆転を引き起こす。
まして今の情報化社会は、知らなくていいことまで何もかも目に見える形に可視化してしまうから、煩悩をコントロールすることがますます難しい時代になっている。

この世の全ては絶えず移り変わっていくものだと、諸行無常を響かせるのは祇園精舎の鐘の声だけど、情報とは受け取った時点で既に過去のものだから、鐘の音と共に綺麗さっぱり流してしまえと撞くのが除夜の鐘なのかなと思う。
そういう意味では、昔とは情報量が違いすぎるから、本当は108じゃ足りないのかもしれないけれど。

生きていれば楽しいことばかりじゃなく、辛いことも悲しいこともあるし、見たくないものを見てしまったり、聞きたくないことを聞かされたりすることもあるけれど、それもこれも全ては過去のこと、今は絶えず変わっていくものだから、悩んでも悔やんでもしょうがないし、今日で一旦リセットして、また来年、というかまた明日から、新しい今を生きよう。

と、わかったようなこと言ってるけど、そう言う自分こそ一番煩悩まみれだったりして。
特に色欲が(笑)
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