1945年真珠湾の真実②
--コピヘで申し訳ない----
筒抜けになっていた日本の動き
帝国海軍の山本五十六提督は、1941年1月には、日米開戦の場合は「まず真珠湾の米艦隊を叩く」という戦略を固め、その詳細を検討し始めていました。しかし、この情報はすぐに米大使館に漏れ、1月27日には駐日大使グルーが国務長官ハルに「日本軍の真珠湾攻撃計画」について情報を送っています。
ハルから情報を受け取ったマッカラムは、自らの対日挑発が予想通り進んでいることを確認しましたが、キンメル提督には「海軍情報部は、この噂には信憑性がないと判断する」という分析を送りました。
3月からは海軍スパイの吉川猛夫が、森村正の仮名でハワイの日本領事館に駐在し、真珠湾での艦船の停泊位置および陸軍飛行場での航空機の種類などを調べ、東京に報告していました。その暗号電文22通のうち19通は傍受・解読され、真珠湾が日本の攻撃対象になっていることが確認されてしまっています。
9月末には、日本は陸海軍戦力を中国から引き揚げ始め、同時に世界中の商船を呼び戻し始めました。これは部隊や物資の輸送に備えるためです。無線傍受でこれらの動きを逐一掴んでいたマッカラムは、「日本の開戦準備が新たな段階に達した」と判断しました。
11月2日の御前会議では、昭和天皇が「事態が謂う如くであれば、作戦準備も止むを得なかろうが、何とか極力日米交渉打開を計ってもらいたい」と憂慮の言葉を述べていますが、外交が行き詰まって開戦に至れば、「最初に真珠湾攻撃を行う」という山本提督の案が了承されました。しかし、この情報も翌日にはグルー大使から、ハル国務長官に伝えられています。
真珠湾攻撃「受け入れ準備」完了
11月25日、第一航空艦隊が真珠湾攻撃に向けて出発するのと同時に、ワシントンから米国および同盟国のすべての艦船に対して「北太平洋の航行を禁じる」という指示が出されました。
キンメルは独断で「演習」と称し日本海軍の動きを察知するためにハワイ北方に偵察用の艦船を配置していたのですが、ホワイトハウスはこれを中止させています。
翌26日、キンメルは空母2隻で航空機をウェーキおよびミッドウェイに輸送するよう命ぜられました。2隻の空母が19隻の新鋭艦に護衛されて真珠湾を出発すると、残るは第一次大戦の遺物のような老齢艦ばかりとなりました。
ハワイに近づきつつある日本の第一航空艦隊は、所在位置を秘匿するため無線封止を命ぜられましたが、実際には悪天候下での位置確認などのために無線発信を行っており、ワシントンは129件の無線を傍受して、時々刻々の位置を把握していました。
ワシントンの現地時間で12月6日午後3時、日本の宣戦布告文が14部に分割されて、順次ワシントンの日本大使館に送信されましたが、それらは同時に傍受・解読されて、午後9時30分にはルーズベルト大統領のもとに届けられています。
14部のうち13部目を読んだとき、大統領は「これは戦争を意味する」と言いました。側近は「先手を打って迎え撃っては」と提案しましたが、大統領は頷きながらも「いや、それはできない。我々は民主的で平和的な国民だ」と答えています。
電文の最後に宣戦布告を翌7日午後1時(真珠湾では午前7時30分)と指定した部分は、その3時間前、午前10時に大統領のもとに届けられましたが、ルーズベルトは別に驚いた様子もなくそれを読み、何のコメントもしなかったそうです。
リメンバー・パールハーバー
ワシントンでのこのような動きをまったく知らされていなかったキンメル提督は、その日曜日、朝9時30分からゴルフを予定していました。しかし、7時45分に日本の潜航艇が真珠湾入り口で発見されたという電話があり、急いでオフィスに向かおうと自宅で運転手を待っていた時、帝国海軍の爆撃が始まり、戦艦アリゾナは巨大な火の玉となって爆発。
7時52分に始まった攻撃は、9時35分に終わり、米太平洋艦隊は艦船16隻が大破、航空機188機が破壊されました。
ワシントンから何の情報もないまま、艦船に待機していた将兵たちは、予期しない空襲に、死者2273人、負傷者1119人という大損害を受けています。
米国では、それまでの反戦ムードが一転して、戦争に向けて統一されていきました。「リメンバー・パールハーバー」の声は米国全土に響き渡り、従軍希望の青年達が各地の陸海軍の募兵所で長い列を作ったと言われています。
翌8日、米国議会は日本に対する宣戦布告を決議し、その3日後にはドイツ・イタリアへの宣戦布告も行ったのでした。
さて、第二次世界大戦の結果、アメリカは戦争には勝ちましたが、東ヨーロッパはソ連の鉄のカーテンに閉ざされました。満州と支那から日本軍を駆逐しましたが、その代わりに全域が中国共産党の支配下となっています。かつてヒトラーが征服を試みた地域よりもはるかに広大な地域に、社会・共産主義政治を台頭させることになったのです。
そして、その後すぐに米ソの冷戦が始まり、米国では軍産複合体という怪物が誕生しました。
「政治の世界では、何事も偶然に起こるということはない。
もし何かが起こったならば、それは前もって、そうなるように謀られていたのだ。」
フランクリン・D・ルーズベルト
コメント
2012/12/08 7:34
2. >ゆういちろう@働くペロくん
さん
![[!!]](https://img.550909.com/emoji/ic_biccuri02.gif)
おはようございます
ルーズベルトの裏は何だったんですかね?
やっぱりユダヤなんでしょうか?
返コメ
2012/12/08 6:09
1. おはようございます![[犬]](https://img.550909.com/emoji/ic_dog.gif)
![[芽]](https://img.550909.com/emoji/ic_bud.gif)
ルーズベルトとスターリン、それにチャーチルによる策謀の数々があったと考えるのが普通ですね。
僕も、ハルノートへのソビエトの関与説を例のストーリーに採用しています。
返コメ