有島武郎の情死事件を知って
60代前半  静岡県
2016/05/09 1:00
有島武郎の情死事件を知って
有島武郎は、ご存じの方もいらっしゃると思うが
明治から大正時代に活躍した文豪、白樺派同人。人道主義の立場を
取った。同じ白樺派に属する志賀直哉や武者小路実篤らがいる。
私も大学生の頃、『生れ出づる悩み』を読んだ記憶がある。

しかし、最近になって瀬戸内寂聴さんの「孤独を生きる」という
本の中でタイトルの事件を知りました。
有島武郎 46歳 3人の子持ち(12才の長男を頭に2人の男の子)
波多野秋子 29歳 波多野春房(44歳、英語塾経営)の奥さん
          但し中央公論社の婦人記者として有島に接近。
二人は、結局深い仲になり、春房の知るところとなり、姦通罪として
訴えても、余計有島が箔がつくだけだと思い、金品を要求。

二人して大正12年6月9日に二人が有島」の軽井沢の別荘で
心中した。首つり自殺であり、発見されたのは、それから一か月後であった。

その時の遺書に次のような文書がある。
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実際私たちは戯れつゝある二人の小児に等しい。
愛の前に死がかくまで無力なものだとは此瞬間まで思はなかった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーここまで

今は、姦通罪もなく、自由に恋愛が許される時代になった。

私は、積極的にこのような出会いをすすめるつもりはないが、

人の心に綱をつけられず、心を格子のない牢屋に閉じ込めても

一旦心に灯った情愛はますます燃え盛り、消えることを止めません。

まして、波多野秋子はとびきりの美人であった。その美貌の写真が

残っている。

死ぬしかないと決心して武郎は、未練がなかったわけではないだろう。

大正5年に愛妻安子(28歳で結核で死去)を亡くし、その後シングル

ファーザーとして3人の子供を育ててきたのだから、自分の亡くなった

後の生活の糧や誰を頼って生きればいいか、ちゃんと遺書に記載していた。

この二人の度胸というか、愛の強さは、深い絆で結ばれ、死を恐れなかった

というんだから。その当時センセーショナルな事件であったはずである。

私がこれに類した情死事件で知っているのは、太宰治、芥川龍之介(但し

未遂)くらい。

合掌。
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