御巣鷹の尾根に行って
60代前半  静岡県
2017/06/07 20:30
御巣鷹の尾根に行って
昨日、梅雨入り間際の晴天を狙って、念願の御巣鷹山の尾根に

慰霊登山に行って来た。

三島からだと、御巣鷹山は、ちょうど真ん中に山並みの障害物があって

東回りか、西回りしか道路がない。東回りでは、西回りに比べて距離が

ある。高速道路網は、発達している。

西回りは、高速道路網は発達しておらず、一般道、あるいは林道まがいの

山道を横切る必要がある。

距離の近い西回りの道を選ぶ。

御殿場ー山中湖ー河口湖ー甲府ー清里ー小海--(山道)--しおじの湯

ー上野ダムートンネル幾つかー御巣鷹の尾根駐車場(登山道入り口)

距離 203キロ 時間(休憩含む)5時間半 (自宅出発 5時半)

車のナビでも御巣鷹の尾根は、データが入っていず、出たとこ勝負って

ところもあった。

ここ(御巣鷹山の尾根)は、群馬県上野原村楢原という住所に該当する。

駐車場には、乗用車が8台収容できるスペースがあり、私が到着した時

には、すでに7台駐車していた。関東圏の群馬、千葉、埼玉ナンバーで

関西圏のナンバーはなかった。

またその駐車場手前にバスが駐車できるスペースもあり、1台駐車して

いた。

まだ見ぬ神聖な場所、ここへJAL123便(羽田発伊丹空港向け)に搭乗

し墜落遭難した520名の乗客、乗員の尊い命が眠っている。

遭難が起きたのは、1985年(昭和60年)8月12日(お盆の入り)

午後6時56分にこの御巣鷹の尾根に激突して、機体が真っ二つに

折れ、後ろ半分が、沢側に投げ出された。

登山道は、しっかり整備され、あの事故以来早いもので32年も

経つ。慰霊碑までは登山口より高度180mアップ、歩行時間は

20分から30分。熊よけ用の鐘が3か所程、用意されていた。

森の中は、静謐であり、ここに命を亡くされた沢山の方々の霊が

眠っていることに思いを馳せると、怖いという気持ちが引っ込み、

心が落ち着く感じがした。

登山道の脇には、なぎ倒されたブナ等の代わりに、新たに植樹

された桜の木、もみじ、石楠花(しゃくなげ)が見える。

ちょうど石楠花の淡いピンクの花が咲いていて、霊に慰みを

与えていた。

途中で会った下って来られた慰霊登山の4人グループの方

たちは、私より年配の70代の方と思われた。

男性3名、女性1名であったが、遺族の方であろうか?

またバスの一行と思しき若者達をちらっと認めた。

登山道が切れて視界が開けると「昇魂之碑」と彫られた

石碑が立っており、そこが慰霊碑の場所である。

登山道のあちらこちらに亡くなった人達が見つかった場所に

簡単なお墓が作られており、親族がその霊を慰めている。

私は、この墜落事故を海外のテレビを通して知った。

私が、長期海外出張(中近東 クウェート)で8月10日頃

成田を飛び立ち、ヨーロッパ南回り(最終目的地 ローマ)で

クウェートの空港に着いたのは確か夜明け4時頃だった。

乗った飛行機もJALだった。

偶々現地のテレビを見ていて、くすぶった焼け跡から飛行機の鶴マークが

見えて、日航機が墜落したと知った。しかも500名余りの未曾有の

大惨事と後で知ることとなった。私が帰国したのは、翌年3月だった。

慰霊碑に線香を立てて、やむなく亡くなられた方々の霊を慰めた。

乗客の皆さんのやっと帰省できるという解放感から急転直下死の恐怖、

必死に立て直しを図ってどこかの飛行場に緊急着陸を試みようとして

いた操縦室のパイロット達。パイロット達の必死の危機回避も遂に

絶え、この御巣鷹の尾根に激突してしまった。

やっと長年の願いが叶って、この地で慰霊登山が出来た。

私は、この事故の遺族ではないが、この地を訪れて、やはり

安全には、不断の努力が必要と痛感した。

自分の車の運転にしても、しかり。疲れたと思ったら、早めに

休息をして、事故を起こさない。自分は体力がある、反射神経が

優れているって慢心・過信は安全に命取りになると思った。

2時間ほど居て、登山道を下りて来ると、この場所を管理して

いるとおぼしき方に出遭った。まだ上に登山者がいるかどうか

聞かれ、「4人のおじいさんグループがいるかも知れない」と

答えた。少しばかりこの場所のお話をして、「お世話になりま

した。」と別れの挨拶をして駐車場に戻った。すでに私が云った

おじいさん達は、駐車場に戻っていた。そこから、別の帰り道

国道299号を佐久穂町に向って、後は来た道をまた戻った。

家に着いたのは、夜の7時半であった。

水泳で鍛えている筈にも拘わらず、登山の時の踏ん張りに

効果がないのがよく分かった。やっぱり足の踏ん張りには

自分の体重、背負っている荷物の重量が最適だと。

<完>
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コメント

60代前半  静岡県

2017/06/09 18:31

4.  >>3 らすく[るんるん]さん
ラスクさん、今日は。コメントありがとうございます。
まさしく貴方の言う通りですね。人間は自然界で一番優れた霊長類と自惚れていますが、地球上では
あちこちで戦争、小競り合いが毎日起こっています。人間の欲は、上手く利用すれば平和、人間の幸せに役立ちますが、自国の欲、その国のリーダの欲によってその国の人民の幸・不幸は左右されるのです。武力に依らない話し合いによって、地球に住む全地球人が平和に飢えることなく生活できることを
祈っています。

60代前半  愛媛県

2017/06/08 22:33

3. 事故当時はずっと特番をやってて確か中学生の娘さんと乗員の女性の生存が確認されたと知りました。当時は今のように携帯で動画を撮るとかネットもさかんでなかった時代だったので情報は錯綜し事故翌日の生々しい現場は無惨なものでした
あれから大震災を二度も経験し想像以上のことと人間の生死をあからさまに垣間見ることが、悲惨で悲しく無念でなりません。
慰霊登山をされたとのこと
その優しさが素晴らしく感じ入ります

60代前半  静岡県

2017/06/08 22:11

2.  >>1 明さん
コメントありがとうございます。私も帰国してから色々調べて機体捜索から遺体収容等
延べ警察官動員人数55000人、現地撤収まで145日(翌年1月始め)かかったと
記録がありました。お盆の中日で大変だったでしょうね。

50代半ば  群馬県

2017/06/07 22:07

1. はじめまして、墜落の翌朝たくさんのヘリコプターが上空をホバリングしていた記憶があります。もう30年、

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