思い出の中の秘密達~②
50代半ば  大阪府
2022/01/28 2:31
思い出の中の秘密達~②
家長制度の名残りがありましたから
兄は後継として大事にされていました。

それとは対照的に

末っ子の僕は堕胎される寸前だったのですが、
母が押し切って産んでくれたそうです。

そんな中
僕は逆子で息もせずに
仮死状態ででてきました。

そしてこの世に出て
いきなり産婆さんのビンタを食らいました。

何となく自分では
これが2度目の人生のような気がしています。

それは成長するにつれ
さらに強く感じだるようになりました。

たぶんあの時死んでたはずの
もう一人の自分が何処かにいて
見詰めていたのかもしれません。

自分がどこか心許無くて
不十分でした。

そしてそれは
自分が不十分なせいだと思っていました。

兄弟姉妹4人で
普通に子供なのに10歳に満たない僕は
親に養ってもらってる引け目を
背負ってたのです。

姉達2人は女の子なので
2段ベッドのある六畳の勉強部屋でした。

家長の父と長男の兄は
8畳の部屋で10センチもあるマットの上に
お布団をひいて寝てました。

そしてぼくと母は
四畳半のミシン部屋で
煎餅布団を2つ並べて寝てました。

とは言っても
僕の枕元ではいつも
母が洋裁の夜鍋仕事していました。

それはただ単にそういう
家族の形だったんですね。

女の子は別扱いで
長男は父に甘やかされて
次男は母に守られていたという。

もちろん食事も違いました。

父と兄は好き嫌いが激しくて
白い魚かお肉しか食べませんでした。

そして姉達と僕は
青い魚とお野菜ばかりでした。

子供なのでそれは別に羨ましくはなくて
ただシンプルに不思議ではありました。

結局そういった分け隔てが
僕にとっては多くの矜持を
授けてくれました。

これはある意味昭和以前の
家庭事情ってやつでしょうか。

兄は父に優遇されて
バイクや自動車を与えられました。
当然兄は欲しいものばかり追い求め
やりたいことだけやるようになりました。

でもそれはすべて
やがて兄を思い通りに操るための
父の甘い誘惑だったんですね。

ぼくにはある時期から
そんな構図が手に取るように
見えてしまいました。

僕は母の愛情を独り占めして
父からお駄賃を貰うより
いつも自由でいられる事を選んでました。

これは
子供を理不尽に分け隔てする父と
それを許せない母との
代理戦争であったようでもあります。

挙げ句に
父に従いして母を粗末にする兄は
みんなから身勝手だの我儘だのと貶されて
ある意味気の毒でした。


つづく
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