思い出の秘密達~②
50代半ば  大阪府
2023/10/09 0:14
思い出の秘密達~②
末っ子の僕は
堕胎される寸前だったのですが、
母が押し切って産んでくれたそうです。

そんな中
僕は逆子で息もせずに
仮死状態ででてきました。

この世に出て
いきなり産婆さんのビンタを食らって
息をふきかえしてオギャーって
ないたそうです。

そのせいか
何となく自分では
これが2度目の人生のような
気がしています。

それは成長するにつれ
さらに強く感じだるようになりました。

たぶんあの時死んでたはずの
もう一人の自分が何処かにいて
見詰めていたのかもしれません。

疎外感ですか
自分自体がどことなく心許無くて
不十分でした。

それは劣等感ですか
自分が単に出来が悪いせいだと
思っていました。

兄弟姉妹4人で
普通に子供なのに
まだ10歳に満たない僕は
親に養ってもらってるのだから
いい子でいないと駄目みたいな

姉達2人は女の子なので
2段ベッドのある六畳の勉強部屋でした。

家長の父と長男の兄は
8畳の部屋で10センチもあるマットの上に
お布団をひいて寝てました。

そしてぼくと母は
四畳半のミシン部屋で
煎餅布団を2つ並べて寝てました。

典型的な家長制度です。

僕の枕元ではいつも
母が洋裁の夜鍋仕事をしていました。

それはただ単にそういう
家族の形だったんですね。

女の子は別扱いで
長男は父に格別甘やかされて

母はこどもを平等に扱わない父にはむかって
末っ子の僕を特に可愛がりました。

そんな中でも
食事も違いました。

父と兄は好き嫌いが激しくて
白い魚かお肉しか食べませんでした。

そして姉達と僕は
青い魚とお野菜ばかりでした。

子供なのでそれは別に羨ましくはなくて
ただシンプルに不思議ではありました。

結局そういった分け隔てが
僕にとっては多くの矜持を
授けてくれました。

これはある意味
昭和の家庭事情って
やつでしょうか。

長男は父に優遇されて
バイクや自動車を与えられました。

当然兄は欲しいものばかり追い求め
やりたいことしかやらない性格になりました。

でもそれはすべて
やがて兄を後継として思い通りに操るための
父の甘い誘惑だったんですね。

ぼくにはある時期から
そんな構図が手に取るように
見えてしまいました。

いつのまにか母は
僕をエコ贔屓するようになってました。

僕は母の愛情を独り占めして
父から優遇されるより
いつも自由でいられる事を
選ぶようになってました。

これは
子供を理不尽に分け隔てする父と
それを許せない母との
代理戦争であったようでもあります。

挙げ句に
父に従う兄は
みんなから身勝手だの我儘だのと言わて
不本意なレッテルを貼られて
むしろ気の毒でした。

三つ子の魂百までもって言いますけど

そういうのって
ずいぶん長く尾を引くことになりました。
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