SとMの狭間に愛はあるのか?
蹂躙願望っていうのがある。
自分でも解らない何者かにかりたてられて
落ち着こうとしたがる自分がかき回すのだ。
なぜならほんとうの自分にとって
落ち着けるその場所は
圧倒的な力でがんじがらめにされる支配者の足下なのだ。
そして日頃からつい乱暴に振る舞ってしまう自分が
実は落ち着きたがる自分を傷つけて、
たえずアブナイ賭けに心を切り裂くことになる。
声にならない必死の助けを求めながら
表に出るのはぎりぎり耐えてきた暴言ばかりになってしまう。
そして強がりを言い続ける自分に孤独を振る舞うのだ。
執拗にしゃべり続ける自分と
黙ってうつむいてしまう自分の狭間に愛はなく
またその求め方を記した本音を封印してしまうことになる。
それこそが
どれほど自身をそしてそんな全てを愛そうとすがる第2者を
悲しませる蹂躙願望となっていくことか。
願わくば
振り返って
過去の前に立ちふさがる痛みの記憶を振り払い
そのなかに埋没させてきた美しい自分だけを愛でてあげれば
蹂躙されることを望む痛みを和らげることができる筈だ。
=ロープに縛られた幼子のしおり
コメント
2013/09/28 17:53
2. >>1 削除しまくり、うさぎ、(冬仕度、コタツ。。)さん
だいじょうぶぃぃぃ
返コメ
2013/09/28 15:40
1. 段々、、年齢、、上がってるね
血圧大丈夫?、、
返コメ