ビッグビッグマネー
20代後半  奈良県
2010/06/19 4:10
ビッグビッグマネー
海外にはこんなことわざがある。『信仰無き者は空器と同じである。』つまりこのことわざはなんら信仰する宗教を持たない者を批判しているのである。では日本ではどうであろうか?日本人は信仰に関係無くクリスマス、初詣、盆などの行事をたいてい誰もが行っている。これはすなわちほとんどの者が宗教に対してほとんど無関心な証拠であるし、むしろなんらかの宗教を強く信仰していると言うと他人からカルト扱いされる始末である。これはあのオウム事件が多大な影響を与えている事は否めないであろうが。ではこのような現在の日本で大多数の人々は何に信仰を求めるのだろうか?小生が考えるにそれは『富』ではないだろうか。日本という国では一部の地域、つまり自給自足を行う団体等を除き金が無ければ何も出来ない。空腹もみたせないし、住まいすら確保できない。逆に富さえあればたいてい世の中の全てを手に入れる事ができる。邸宅、高級車、ブランド品、女。富の力は偉大である。醜く太った豚でさえ金があれば他人からは賞賛され、その立派な付属品に人々は羨望の視線を向けるであろうし、女は金さえあればいくらでも手に入る。しかしこのような真理を日本人特有の意識からかなかなか表向いては認めたがらない。それどころかここ最近話題になったブルジョア層の逮捕、崩壊に対して『あれこそ拝金主義のなれのはてである』という批判すらでてくるのである。さて、富が人生において非常に重要な影響を持つモノであるという事はもはやまぎれもない。では人生における『幸福』とは一体何なのであろうか?金を不足無く持つ事であろうか?では不足無き金とは一体いくらくらいを指すのだろうか?日本では基本的に年間2千万以上の所得を持つ世帯を高額所得層と位置つけている。では2千万以上の持つ者は果たして全員が『幸福』であろうか?まあ確かに2千万以上もの所得があれば生活を送る上ではほとんど何不自由しないだろう。しかし人の欲望は果てしなく2千万あれば三千万、五千万あれば1億、とより上の生活を欲するであろう。これらを考えると富=幸福ではないという結論になる。果てしなく続く人生というレールにおいて『幸福』という至上のモノを手に入れる事こそ真に人々が信仰するものではないだろうか。ではそれはいつどのように訪れるのか?小生は今まで何不自由無く暮らしてきた、いや人よりは幾分恵まれた環境において幼少より育ってきたと思う。他人と比較して自分の状況を相対的に考えて自分は恵まれていると感じた事は何度かある。しかし真の『幸福』とは決して相対的なものではないだろう。私はあの人より大きな家に住み、あの人よりも高価な車や物を持っている。このようなモノは断じて『幸福』ではないはずだろう。『幸福』は自分を他人と比較して相対的に感じるものではないはずだ。では改めて真の『幸福』とは一体何なのか?その答えを見出すのは決して容易な事ではない。しかしここにいくつかのヒントがあるようと小生は考える。あるアメリカの大富豪が死ぬ間際に親しい者に残した言葉。『私の人生は決して幸せとはいえなかった。それは私が富過ぎてしまったからだ。私が生涯を通じ信じ追い求めた富はとうとう私を不幸にした。』
高名な哲学者の言葉 『幸福を手にいれる事は実はさほど難しくない。しかし悲しいかなほとんどの人々がそれを感じる事無く一生を終えている。』
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