幸せ
「人生つまらないね」が口癖の知人(男性)がいる。
俺よりも給料はいいし、キレイな奥さんと結婚もしているし、子どもだって元気に育っている。
趣味も豊富で、夏は海水浴、冬はスキーと結構遊んでいる風なんである。
なのに「人生つまらないね」。
そんな彼が最近ハマッているのが宝くじである。
なんじゃそりゃ?
…と思って理由を尋ねてみたところ知人いわく、「数億円とか当たったら俺も幸せになれる気がするんだよ」と。
俺などが言うのもナンなのだけれど、それはきっと違う。
なんとなれば、幸せというのは「状態」ではなく、「過程」を指すものだから。
幸せというのは、ある状態に到達しさえすればずっと続く代物ではなく、現状よりも快適な状態へと移行するときに感じるプロセスではなかったか。
たとえば飢えに苦しんでいる人が衣食住足りた生活を得たとき幸せを感じる。
でもそれは一時的なもので、今度はいい家電が欲しい、いい洋服が欲しいとなる。
で、いい家電とか洋服が手に入ったら再び幸せを感じるけれども、今度は地位とか名声とかが欲しくなる。
「現状に満足せずよりよい状態を目指す」プログラムを持つ個体でなければ、長い生命淘汰の歴史を生き抜いてこれなかったのだろう。
だから生命体が貪欲なのは、当たり前といえば当たり前の話かもしれない。
で、宝くじである。
もし仮に数億円が当たったとしたら、そのときは確かに幸せだろう。
しかしながら、当たったお金は減っていくのみである。
幸せを感じ続けるには、次回は数十億円、次々回は数百億円という具合にどんどんインフレしていく必要がある。
にもかかわらず、どんどん減っていくのみというのでは、幸せなど続くはずがない。
おまけに宝くじは、自分の力で得たお金でもないからタチが悪い。
これはなにも道徳的な話ではない。
がんばって努力して大金を手にした経験であれば、少なくとも「オレはやればできるんだ」という自尊心や自己効力感は後に残る。
しかし偶然手にしたあぶく銭ではそれも望めない。
それどころか、物事の結果は自分の努力とは無関係なんだという無力感さえ残るかもしれない。
宝くじなんかに頼ってるから、いつまでたっても人生つまらないんだよ、と彼に言いたいんである。
面と向かっては言わないけど。
…かくいう俺は、人生そう楽しいわけでもないけど、ときどき楽しいこともあるし、まァこんなもんかという感じである。
ただ、正直を言えば、収入も多くて結婚もしている彼のことが結構うらやましかったりする。
チクショウと思う。
でも、そんな彼が幸せじゃないと聞いて、陰でフフフとほくそ笑んでいたりもする。
こうやって他人と自分とを比べて一喜一憂してるくらいの、低レベルな品性のほうが精神衛生上よろしい気がするんですが、単なる負け惜しみですかねえ。
コメント
2019/12/09 5:49
2. >>1 めぐ@今年ゎ積極的mode(^^;)さん
山あり谷ありじゃなく薔薇色になりたいものですなぁ(苦笑)
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2019/12/06 12:51
1. 来年こそは幸せになりなはれ^_^
まぁ、目を瞑る寸前に幸せだったと思えれば良いと思う
人生って山あり谷ありだからね(笑)
返コメ