自然の摂理
「自然の摂理」を大切にする人たちがいる。
彼らは森林破壊や工場建設に大反対だし、人工中絶にも遺伝子操作にも大反対である。
いやまァ、どんな意見を持とうと個人の勝手だからべつにいいのだけれど、こういうのを見聞きするたびにいつも思う。
「自然」っていったい何なのだろう。
人類だって自然の一部なのだから、人間がやることなすこと全て自然の範疇なのではあるまいか。
「いや、地球本来の姿こそが自然なのだ」と反論されるかもしれない。
だが、それを言うなら、生命の出現そのものが自然を損なっていることになる。
もともと精悍な岩肌に覆われていた地球を、植物めが勝手に覆い尽くしてしまったのだから。
「そうではなくてバランス・調和の問題だよ」とおっしゃる向きもあるだろう。
だとしたら、かつて恐竜の絶滅を招いたとされる隕石衝突なんかはどうなるのか。
隕石の衝突は自然の摂理に反する!
なんて言いはじめたら、それこそワケが分からないではないか。
地球の環境を変える力を持つのは、なにも人間だけではない。
それをいうならビーバーだって、川にダムを作るなど自然破壊もいいところである。
人類は環境を変える力がずば抜けて高くなったけれども、あくまで程度の差であって、つきつめれば質的な違いではない。
それに、アフリカなんかの飢餓難民はどうすればいいのか?
特定の地域に大量発生した種は絶滅するのが自然の掟であるから、だったら彼らも、絶滅させるのが自然の摂理ということになる。
「そうじゃなくて。生命を大切にしながら、地球との共存をはかろうって言ってんだよ!!」とお叱りを受けるかもしれない。
しかし、我々が工場排水を海に流せば、プランクトンたちは増殖できるのだ。
プランクトンの生命を尊重するなら、工場排水だって大切にしてしかるべきだろう。
プランクトンの命は自然の摂理に関係ないけれど、我々が食用としている魚たちの命が減るのは自然の摂理に反するのか。
要するに、こういうことなんだろうと思う。
1.異常繁殖した種は滅びるのが自然の摂理である
2.人類は異常繁殖の最たるものだけれど、自分たちは滅びたくない
3.でも、こういう言い方をすると恥ずかしいから
4.人類の異常繁殖がなるべく長く続きそうな環境を「自然」と呼んで大切にしましょう
…いやもちろん、俺だって命を永らえたいし、人類も滅びなければいいなと思ってはいる。
ただ、本来なら羞恥がちに述べるべきこういう利己的な主張を、「自然の摂理を守ろう」なんて風にすり替えて正義ぶっている人たちが、なんとも気持ち悪いなあと感じてしまうわけでありまして。
「自然の摂理」の大切さを声高に訴える人たちの登場も、自然の摂理の最たるものなんですけどね。
一周して有言実行。