小学生
毎朝ひとりで選挙の宣伝をしてる人が近くの駅前にいる。
で、「市民の視点にたった税制改革とはなんでしょうか!」とか「景気対策の抜本的問題について提案したいのです!」とか声を荒らげておられるのだが、悲しいかな、通行人はみな前を素通りしていく。
それでも精一杯声を張りあげ続ける彼の姿は、哀愁を漂わせながらもどこかシンパシーを感じさせるものだった。
ところが最近、「固定客」がつき始めた。
近所の小学生がもの珍しいのか、いつもじっと演説を聞くようになったのだ(小学生のくせにまったく妙な趣味であるが、俺も子どもの頃は盆栽に凝っていた時期があるので他人のことは言えない)。
毎朝、小学生と対面しながら「税制改革とはなんでしょうか!」「景気対策の抜本的問題について~」なんて声を張り上げる中年男性。
それをじっと聞き入る小学生。
オジサンの声が荒くなればなるほど、おかしな違和感が周囲に充満しはじめる。
我々はいまこそ、「小学生」の危険性について考え直すべきなのかもしれへんですね。