14か月目のマドンナ【最終章】少女は僕を見つめて「由里」と名乗った
街はずいぶん装いを変えてしまったのに、
ここは、二十年前と何一つ変わっていない。
まるで、この場所だけは時間が硬直しているようだった。
リキが、Naoを引き倒しながらボールを追った草むらも、
あの時と同じように、腰高くらいに育ったカヤや野菊の林になっていた。
そんな雑草達が、多摩川の川風を受けて波を打つように畝っている。
でも、この風景の中にいる筈のNaoはいなかった。
二十年前のあの日、
厳しい隔離の網を破って僕に会いに来たNaoは、
兄が住むボストンの音大に編入する事に決めたと泣きながら僕に報告して、
最後に、気が遠くなるまで僕と抱き合った。
そして、別れの前に二人で約束を交わした。
十年ごとに必ずこの場所でこの時間に会おう。
だって、ここが二人の原点なんだから…
でも、最初の十年目にNaoは現れなかった。
そして、二十年目の今日も…
本当に終わってしまったんだな。
ひと気のない河川敷を見渡して、僕はふっとため息を吐いた。
川崎側の対岸に目をやると、何層かに重なった雲の合い間から、
朱に染まり始めた太陽が強い光を放っていた。
時計を見ると四時半。
そう、ちょうどこの時間だった。
僕は真新しい軟式ボールをバッグから取り出して握りしめた。
そうだ、どこで僕は投げていたんだろう?
整備されていない小石だらけのグラウンドを見渡すと、
自転車道から十メートルほど先に小さな盛土があった。
僕は引き寄せられるように、その上に立った。
目を閉じてマウンド上に立つと、浩太のミットが見えてくる。
僕は盛土の上に立ち、大きく振りかぶった。
僕のモーションに合わせて、浩太が、キャッチャーミットを顎の前に突き出すのが見える。
思い切り投げる振りだけすると、膝に当たったボールが、弾みながら土手の方に転がって行った。
少しフラついた僕は、目を開け、その場にしゃがみ込んでしまった。
帰ろうと思った。
次の十年後は、もう来るのはよそう。もうこの景色も見納めだ。
何も変わっていない景色の中で、僕はずいぶん変わってしまった。
人間なんて、記憶の中で
生き続けられるほど強くない。
それはNaoだって同じことだ。
靴の泥を落とし、背広の皺を伸ばして、二歩三歩と踏み出した時だった。
一人の若い女が土手を下りてくるのが見えた。
僕は思わず目を見張った。
でも、それはNaoではなかった。Naoにしては明らかに若過ぎる。
彼女が近づくにつれ、不思議な感慨が僕の胸を満たして行った。
Naoかも知れない。
彼女は、僕が幼い頃の…遠い記憶の中のNaoにとても良く似ていた。
ひと気のない夕暮れ時の河原だと言うのに、
少女は臆することもなく僕に向かって歩いてきた。
途中、自転車道に転がっていた軟式ボールを拾い上げると、
「Yah!」と小さなかけ声をかけて、僕に投げ返してきた。
まるで、砲丸でも投げるようなお嬢様投げなので、
ボールは十メートル程の距離の間で二バウンドして僕の手に収まった。
「ありがとう」
僕は、少女を怖がらせないよう微笑んでボールを受け止めた。
でも、そんな表情とは裏腹に、僕の心臓は張り裂けそうに波打っていた。
「あなたが由宇?ママのsteadyだった人?」
少女は、じっと僕を見つめ、少し不自然なアクセントでそう聞いた。
「ママ?ママって!…キミは?」
「由里、自由の由にサトって書いて由里。Nineteen‥になったわ」
まさか‥
全身がわなわなと震え出して、
震えが止まらないまま、僕は由里の肩を掴んだ。
「パパなの?由宇は日本のパパなの?」
僕は何度も頷いて、由里を抱き締めた。
日本のパパ‥
僕は由里のその言葉で、すべてを察した。
Naoがここに来れない理由も…
「由里、ママは幸せかい?アメリカのパパは由里に優しいかい?」
「Yah…ママも私もとてもとてもhappyよ。五つ下の弟もいるのよ」
「そうか…」
頷きながら、涙が溢れてきた。
「由里は今、どこにいるの?いつまで日本にいるんだい?」
「グランマの家。来週ボストンに帰るわ。でもその前に、Disneyland行きたいな」
「そうか…良かったら僕と一緒に行ってくれるかい?」
「いいよ。ママには話すけれど、アメリカパパには内緒ね。だって由里は大人だからね。泣かないでねパパ!」」
僕は最後にワァッと泣き伏して、強引に涙を拭った。
苦しみの中で、一つの恋は終わったけれど、
こんなにも美しい痕跡を残していたのだ。
「わかった。もう泣かないよ。ママにはね、ごめんなさい。そして本当にありがとう!って、それだけ伝えてくれるかい?」
Naoより拳一つほど背丈がある由里は、大きく頷いて僕の肩に顔を埋めた。
懐かしいNaoの香りが、広がり、僕の胸をいっぱいに埋めつくした。
遠く丹沢の山塊に掛かる雲が、夕日を背にもくもくと膨れ出して、
やがて、大きな犬の形になった。
「リキ」ありがとうね…
僕はつぶやきながら、泣きじゃくっている由里の髪を撫でた。
―完―
思いもかけず、ダラダラとこんな長い話になってしまいました。
最後まで読み続けて下さった方々、本当にありがとうございます。
素敵なXmasと、お正月をお迎え下さい。
コメント
2015/12/21 8:42
46. おはよう。忘れた頃に最終回がやって来ました。忘れ形見の娘さんきちんとなおさんが育ててくれたんですね~![[グッド(上向き矢印)]](https://img.550909.com/emoji/ic_good.gif)
![[ハートたち(複数ハート)]](https://img.550909.com/emoji/ic_hearts.gif)
返コメ
2015/12/21 1:12
45. >>44 ☆一三☆さん
![[バッド(下向き矢印)]](https://img.550909.com/emoji/ic_bad.gif)
![[バッド(下向き矢印)]](https://img.550909.com/emoji/ic_bad.gif)
実話の部分は、前半の①~?と、あと少しだけです。
モデルの尚子さんは、とうに還暦を超えましたが、
今でも情熱的で、人に優しく自分に正直な魅力的な人ですよ。
もう少し、由宇の動揺と由里の感慨を書き込みたかったけれど、
字数と根気の限界でした
返コメ
2015/12/21 0:42
44. 泣けました
知らないところで愛し合った証が
20年目に知るだなんて‥
実話?
返コメ
2015/12/21 0:30
43. >>42 カジュアルさん
うん、再会しました。抱き合いました!じゃ‥
ただの出来の悪いおとぎ話だからなぁ(笑)
血縁の理不尽な別離と再会‥
古くはシェークスピアが良く使った手なんだけどね(笑)
返コメ
2015/12/20 23:08
42.
![[ほっとした顔]](https://img.550909.com/emoji/ic_face_relief.gif)
![[指でOK]](https://img.550909.com/emoji/ic_finger_ok.gif)
![[ぴかぴか(新しい)]](https://img.550909.com/emoji/ic_pikapika.gif)
え??
私は、とても善いハッピーエンドと拝読しました。
感動しました。
ありがとうございます。
返コメ
2015/12/20 22:55
41. >>40 クロコダイル・ダンディ・ケンジさん
いやいや、後半になってずいぶんupに間が空きましたから。
他の日記が割り込んだり ね…
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2015/12/20 22:41
40. >>12 ツブネコ
さん
毎回楽しみにしてました(^o^)v
落ち着いてゆっくり熟読してなかったのが災いですねぇ~(((・・;)
返コメ
2015/12/20 22:21
38. >>35 みうささん
ノンフィクション?そんな劇的な生活は夢のまた夢ですよ(笑)
皆さんが期待したハッピーエンドには出来なかったけれど、
Naoの個性が、新しい世代を生み出したんですね。
女はエロく優しく、そして強い!この話は、僕の女性達への感謝と賛辞の一編です。
返コメ
2015/12/20 21:57
37. >>34 カジュアルさん
電子書籍化は、誰でもいつでも簡単にできるんだよ。
自費出版の営業に先生呼ばわりされて、舞い上がってる阿呆も知っているけど、
それに比べりゃ、いい時代になったもんだよ。
でも、これはただ数日で書きなぐった日記だからね。
このままじゃ、箸にも棒にもかからない(笑)
返コメ
2015/12/20 21:45
36. >>32 キャラメル・じゅんさん
引き裂かれた時、由宇はまだ高校生。あまりにも若過ぎたんだね。
意地っ張りで頑固者だったNaoは、ビルの服用をやめ、2か月の間を置いて覚悟の妊娠だった。
つんぼ桟敷におかれた由宇は、20年の年月を経てその重さに狼狽することになったわけです。
由宇の成人を待って、結婚する道ってのは、どこかで狂い始めたんだね。
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