ひとと、自分と。
60代半ば  東京都
2018/01/12 5:20
ひとと、自分と。
随分と前のこと。
職場に来ていたバイトさんの若い女性を時々思い出す。
明朗活発、誰とでも打ち解けている彼女は、
一つの信念を持って日々を生きておられた。
お喋りが誰かの悪口など、顔をしかめるような内容になると、
「あ、やめよっ。将来の自分の顔が、変な顔になっちゃう!美しくなりたいから、そういう話はヤーメタ!」
彼女は、日々の己の言動が自分の姿かたちを作り上げると、常に肝に命じ(元々、お下げ髪の似合う清楚な女性でしたが)綺麗になりたいからと、誰にも流されずにその信念を守りとうしていたことを、時々思い出す。


またある身内の一人は。
電話の受け答えが、いつも迷惑そうな声。
ご本人の話題になると、俄然元気になるけど。
私からの電話が迷惑なのかも知れない
( ̄▽ ̄;)
だから必要最小限しか掛けないけど。
特に迷惑をかけている訳でも無いのにな。
うちが×ありのボッシー(母子家庭)だから…。

でもね。その低いトーンを聞くたびに、
心が貧相だなぁ、と思ってしまう。
私なんかよりずうっと良い暮らし向きなのに…。
相手のことが気に入らなくても、そのひとときを暖かいものに出来たら、
ほんの少しの心持ちでそうできたら、
自分も相手もホッコリ出来ると私は思う。
だから私は、精一杯の優しい気持ちで話し掛けるようにしている。勿論、迷惑などかけるつもりもない。


病院の待合室で。
80代~90代位のおばあ様のこと。
綺麗にお化粧をしていて、姿勢を正してシートに腰掛けてらした。目があうと、会釈しながら微笑んで下さった。
順番が来ると、凛として「宜しゅうございますか?ありがとうございます。宜しくお願い申し上げます」
と、丁寧にお辞儀をして診察室へ入られた。
…その間、少し時間が掛かるかもしれないが、
病院側も、それにきちんと応じてくれた。
むしろ、その場の空気が正された気がした。周りの私たちに、お手本を示して下さったのかもしれない。


話し方には、人それぞれの癖があってもおかしくない。
対面、電話、メールのどちらも。

ある人と、それとは真逆の人は。
プラス思考とマイナス思考の話し方。

「これしかない」ではなくて、
「あと、これだけある」

「疲れた疲れた」ではなくて、
「終わった~」「うちに着いてリラックスできる~」「あと◯日で休みだ♪」

話していて気分が軽やかなのは、プラス思考の話し方の人と話しているとき。自然と前向きになれる。

マイナス思考(いつでも)の人と話していると、どんどん重く、暗くなって、楽しくない!疲れる。誰だって愚痴なんか聞きたくないのだから!

そういう人は、多分生まれ育った環境のまま生きているんだ。自分も以前、生まれたまんまで生きていた。今も心の余裕が無いと、コントロール不能あるいはコントロールすら忘れてしまう。

愚痴っても、文句を言っても、思い通りにならなくて爆発してキレても、事態は真の解決には至らない。
感情を爆発させても、鬱憤(うっぷん)がいくらか
晴れる、かな?どうかな?後味は必ず悪いよ。
自分が惨(みじ)めで、自分の主張が通らなくなるのは決定的だよ。相手に内心で、軽蔑(けいべつ)や憐(あわ)れみを受けるのが関の山だよ。




60年近く生きてきて、やーっとこの頃、
色々な人に冷静に対処出来るときが、少しずつ増えてきたかなぁ?まだまだだけど。
私こそ、何も考えず生まれたまんまで生きていたから…。
勿論、自分の感情は大切にしなければならない!
その出し方ダヨネェ。難しいけど、まず気が付くこと。そして、惰性でなく、意識して過ごす(生きる)ように切り替えることが出来たら……みんな幸せになれるかもしれない、かもね。
『他人の振り見て我が振り直せ』


『袖(そで)すり合うも多少の縁』
ホントにたまたま一緒に順番待ちしていただけの関係の方から、礼儀の大切さ、お座なりでなく、
気持ちを込めて丁寧にする事を教えて頂く。

バタバタと朝に出かける私に、年長者でご近所のご主人は、一瞬足を揃えて、「おはようございます」と身をもって、挨拶の仕方を示して下さる。

若い人から年長者の方まで、年齢、性別、職業…
関係無く、皆さんが先生。
素敵な人も、あまり好きでない人も。
みんなそれぞれ、大切なことを教えてくれる!


もう生まれたまんまで生きることはせず、
背筋を伸ばして、口角を上げて、
出来る限りのプラス思考で生きて行きたい。

あとね。イエスとノー、いいよと嫌だな、
は、スッキリ、はっきり言えるように頑張ろ。
その方がお互いのプラスになるからね♪


長々と、ここまで読んでくださって、
どうもありがとうございました ( ̄∇ ̄*)ゞ
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