人生上手くいかないことはいくらでもある。
60代半ば  東京都
2018/06/27 20:17
人生上手くいかないことはいくらでもある。
刃物で何十回も刺して人を殺す事件が続いた。
二十歳過ぎたばかりの青年たち。
挨拶もキチンと返せるおとなしめの青年が
ある日突然、凶行に走るのは何故なのか?

生まれてから二十年余り。
他人との関係がうまく築けない…
親との折り合いが悪い…
自分の社会的立場が確率しない…
経済力がない…
…………
そんな事挙げたらきりがない。
みな、悩んで苦しんで、何十年も
頑張って(仕方なくて)生きている。

ここで犯人を非難するために
いま書いているのではない。
どうしてこんな事件になってしまうのか?
己と互いの闇を考える為である。


私はこれまで
どれだけ悩み、失敗し、苦しくて
生きる辛さから逃れて死にたいと
願った日があったか? 数え切れない。

逆に、ずっと平安に
満足して楽して生涯を送っている人など
いるのだろうか?
楽で悩みの無い人生など
あるのだろうか?

生きていれば、悩みは尽きない。
いや、悩みがあるのは、
頑張って生きているからこそ、と思う。

職場で大喧嘩して
とっとと帰宅してしまったこと
実は私は数回ある。
怒りもさめやらないまま、お先真っ暗、
もうおしまいだ!という絶望感に苛まれた。
孤独感や不安感なんて日常茶飯事。
己の未熟さ丸出し。

それでも、生きて来られた!
生きていれば、何とかなってきた(今思えば)

死ねば、と望むほど憎んだ人たちも
たくさんいた。
死んでくれ!と強く日々思ってた。
夢の中で、その相手を殺そうとしながら
上手くいかない。
そして目が覚めたときの 自らのおぞましさ、
後ろめたさ。

しかしどんなに憎らしくても
刃物で刺し殺すということはできない。
少なくとも、できなかった。
そんな実行力は無いし、
何かのブレーキが働いた。

相手を特定するもしないも、
そこで凶行を実行するとしないの
境界線はどうやって引かれるのだろう?

誰でも
一つ踏み外したら
殺人を犯すのかも知れない。

では、そこに至るまでの
苦しみの重さに注目したい。
(たとえ苦しみが重くても許容されるという意味ではない。)

悩み苦しみに重い軽いは決められない。
でもそれまでの悩みの経緯、
どれだけ悩みと取っ組み合いをしたか?
悩んだか?苦しんだか?
これでもう充分悩んだ!悩み足りた!
なんて自分で判断できる自分なら、
そもそもその悩みは発生しないだろう。

事件を犯す前に
どれくらい自分の悩み、辛さ、苦しみと
向かい合ってきたか?
二十年なんてまだまだ足りないのではないか?
三十年?四十年?五十年…
一生かけてやっと、何となくわかる気がする
なんてことが多い気がする。

結論や結果を
急がないで欲しい!
鈍感力。
ぼうっとしてても命の時間はやり過ごせる。


新幹線の事件…
富山の事件…

刃物で人を殺めるより
もっと他にエネルギーの捌け口は無かったのか?

本人(犯人)にとっては
耐え難い苦難を感じていたに違いない。
でも、世の中には、
もっと辛い苦難もあるのではないだろうか?

悩んでから凶行までが短くないか?
内面の幼さであろうか?
気持ちに余裕が無さすぎなのか?
ゲームで殺人に対して神経が麻痺したのか?
体はいっぱしの大の男でも、
心はその体格にみあっていたのだろうか?

体と共に、心を育てるには
どうすれば良いのか?

同じ年頃の子を持つ身として
他人事として見過ごせない。

我が子を見ていると
大人になってきたと感じるかと思えば、
まだまだ視野が狭くて
ものを知らず
適切な判断力が不十分に、感じるときもある。

うちの子は優しくて良い子だと
親バカをしていても
親には見せない部分もきっと有るだろう。

うちの子も他所の子も
常に、その心を育てていかなければならない。

簡単には答は見付からない。
けれども、それを見付けようとする意識こそが
全てのひとに、求められていると考える。
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コメント

60代半ば  東京都

2018/06/27 21:39

2.  >>1 孝太郎さん
本当に!加害者、被害者の命どちらも勿体無いし、悲しすぎます。二度と事件が続かないことを切に願います!

50代半ば  神奈川県

2018/06/27 21:27

1. 僕も、息子がいます、犯行に及んだのは息子より若い青年です、人生に絶望しないで平穏に暮らしていればまだまだこれから楽しいことだってあるはずなのに

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