アリガトウヲキミニ
取り急ぎ したためます。
昔の話し。
ある男性が出張中、取引先の会社に着くと
「至急、自宅に電話を」
という会社からの連絡を受けました。
「あなた」
「あの子が。 ○○が。 死んでしまった… 」
「射殺されたって…」
受話器越しに、動揺する奧さんの声が聞こえました。
彼の息子。○○さんは、1992年。
国際ボランティアとしてカンボジアで活躍していました。
当時はカンボジアに議会は無く、国連の主導で総選挙が行われる事になっていました。
○○さんはその選挙を監視する監視員として選挙準備を手伝っていたのです。
内戦状態だったカンボジアで行う選挙の準備活動内容は、正に死と隣り合わせの危険な活動で。
毎日のように国内の何処かで爆破テロや殺人事件が起きていたんですよね。
その状況下でした。
通訳の方と一緒に車でコンポントム州を移動中、武装集団に襲われ、拘束された後に、至近距離から左胸と後頭部を撃たれて殺されました。
男性が出張から自宅に戻ると、雨にもかかわらず、たくさんの取材陣があつまっていて。
家族の言葉を取材しようと待っていました。
彼は○○さんが無事に帰ってくる事を願って買った黄色のネクタイを身につけると
「便りが無いのは、よい便りだと考えていました」
「その便りがあったと聞いて、最悪の事態だと思いました」
「息子がこの仕事に入った時、私達は覚悟していました」
「国際貢献という強い希望が全うできて」
「本人も思い残す事はないでしょう」
と、記者達に伝えました。
その後、すぐに彼は奧さんと娘さんを連れてカンボジアに向かい、野戦病院で○○さんの遺体と対面しました。
花に囲まれた棺に横たわっている息子さんの顔にかけられていた白い布を取ると、弾丸が貫通した左目を包帯で包まれた以外は、綺麗な顔をした状態でした。
奧さんは「○○、来たよ」 と両手を握って囁きました。
「よく やり遂げたな…。」
彼も 息子さんに最後の言葉をかけました。
現地で行われた葬儀には○○さんの死を悲しむ
たくさんの人が訪れました。
彼は集まった人達に
「今日、この地で人類の為に、尊い仕事をしている人達に出会い、私の血がたぎるのを感じました」
「これこそ、息子が求めていたものだと思います」
「息子は。肉体こそ失いましたが、もっとも崇高なものを得たと確信しています」
「今回の事件でボランティアの人々が少しでも怯む事があれば、それは、私共がもっとも悲しみとするところです」
「私達は、○○が信じたものを強く信じているからです」
「地球に平和を!!」
と挨拶をしました。
悲しみを堪えながら話した彼の言葉に、多くのボランティアの人達が勇気を与えられました。
活動を休止しようと考えていたボランティアの人達は、この言葉に励まされて現地にとどまり、その後、選挙を成功させました。
カンボジアから日本への帰宅途中、彼は今の仕事を辞める決心をしました。
葬儀の時に 息子さんから
父さんは 今の生き方に 本当に満足してるの?
と 問われている気がしたからです。
「息子が熱く生きたように、自分ももっと凝縮した人生を生きてみたい」
と感じました。
その後、会社を辞めた彼は、ボランティアとして働く人々を支援する基金を設立しました。
更に国連ボランティア名誉大使を引き受けて、ボランティア活動が行われている世界各地を訪問して、ボランティアの人達を励まし、働きやすいように現場の改善を国連本部に要望しました。
彼の要望により、国連が2001年を「国際ボランティア年」と宣言して、国際ボランティア活動が広く支援される事になりました。
彼が息子さんに、危険なボランティアを行う理由を聞いた時
「この世に誰かがやらなければならない事がある時、僕は、その誰かになりたい」
と 話していました。
その言葉を覚えている彼は、こう話します。
「私が今やっている仕事は、息子が生涯をかけてやりたかった仕事だと思います。そう思えば不思議と力が湧いてくるのです」
彼は、息子さんを失った悲しみや苦痛を、息子さんの志を引き継ぐという前向きなプラスのエネルギーに変えたんですよね。
辛い事を乗り越えた時、人は本当の強さを身につける事ができるのかな?
あなたには何かしなきゃいけない事があるんじゃないか?
神様があなたにやりなさいとおっしゃっている事があるんじゃない?
そう言われたら あなたは 何と答えますか?
その悲しみを 大切に 胸の内に秘めて
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