自由って重たくて手放したくなるもの
今日は、JR駅前の商店街でお神輿が出て縁日となっていました。
ウチは23区ですが、平均所得も23区で下から3番目ぐらいで、あんまりがらのいい区ではありません。縁日のような、大勢の人が集まるところでは、大声を上げる人や路上で座り込んじゃうなんてことは日常茶飯事。
なにやってもいいんだよ、自由なんだから。
僕たちは子供の頃からそう教えられ、自由の中で育ってきた。
でもね
自由って、子供のように本能に任せて振舞うことじゃないし、迷惑を承知で行動することじゃない。
僕たちは「自由だよ」と教わってきたけど、自由じゃないことの悲惨さを知らなさすぎるのだろう。自由って、勝ち取るものだし、勝ち取ったものは手放さないように大切に育てていくものだ。
自由には責任が伴う。これあたりまえのことでしょ。責任って、自由に行動した一つ一つへの責任もそうだけど、自由を失わないようにする責任って大事だよ。
自由に振舞った結果、警察沙汰になる。町内会で「次回からこうしましょう」という自主ルールが決められる。
もうその時点で、僕たちの自由は失われたんだ。それを取り戻すのって100年かかるんだ。
自由に振舞うことの大切さってあるとおもうよ。
今日の駅前のトラブルは、なんだかいやぁな後味だった。