どんなにひどいことをしたとしても
50代半ば  東京都
2019/06/13 16:37
どんなにひどいことをしたとしても
そんなひどいことをする奴は人間じゃない!
ボクらは、ひどいことをした人のことをそう言って
自分たちとは別世界の特別な人にしてしまう
自分とは関係ない人のように

そして、時間が経つとそんなことがあったことさえ忘れてしまう

だけど、どんなにひどいことをしたとしても
自分と同じ人間がやったということを忘れてはいけないと思う

こんな悲惨な事件が二度とおこらないでほしいとみんな願っている
であれば、ボクたちは、犯人を責めるだけでなく、その人がなぜそんなことをしたのか、その背景を考えなくてはならないと思う

なぜならば、その人はボクたちと同じ人間だから
彼がしたということは、ボクたち誰もが、同じ環境、同じ境遇になれば、そうしたかもしれないのだと思う

もちろん、同じ環境や境遇だったとしても、彼のような行動にいたらない人もたくさんいるだろう
だけど、そうならない人がいるからといって、誰もが彼のような行動をしないという根拠にはならない

人はみんな幸せになりたいと思って生きていると思う
無差別に人を殺して幸せになれると思う人はいないと思う

なのに、彼は無差別に人を殺そうとした
それはなぜか

子どもたちの安全を確保するために、ガードマンを雇えとか防犯カメラを増やせとか、様々な意見があるけれど
今回の殺傷事件も、一種のテロだと思う
米国で起きた9.11同時多発テロを見れば明らかなように、テロはそんなことでは防げないと思う

彼は差別されたと感じ、孤立していたのではないか

二度と繰り返さないために必要なこと
それは仲間外れを作らないことだと思う

好きになる必要はない
人間だから好き嫌いはあって当然だ
ただ、存在を認めること、仲間外れを作らないこと

まずは、自分の身の回りから、ここからはじめたいと思う

『気流の鳴る音』(真木悠介1977)に、「紫陽花邑」という奈良県にある共同体を紹介する次の一節がある
「紫陽花邑」という命名の趣旨は、あたかも紫陽花がその花の一つ一つを花開かせることをとおして、その彩りの変化のうちに花房としての美しさをみせるように、邑に住む者ひとりひとりが、それぞれの人となりに従って花開くことをとおして、おのずから集合としてのかがやきを発揮しようとするものである

2枚めの写真は、バラバラのようで常にハーモニーを奏でる渋さ知らズオーケストラ
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