七夕
中国には乞巧奠と言う宮廷行事が古くからありました
これは織女星を眺め針などを供え技芸の上達を願うものだったそうです
牽牛彦星はそこにはいません
織女星は天帝の娘の職女とされてました
七夕伝説が今の形になったのは唐代以降だそうです
牽牛彦星は説話があまりなく別名犬飼星
農耕の星で男星
朝顔は唐代に日本に伝わり中国では牽牛(けんご)種子を牽牛子(けんごし)と言うそうです
朝顔には麻痺、幻覚性の毒があったりするのも何か含んでそうです
日本古来より民間信仰として棚織女(タナバタツメ)と言う巫女が水辺で神の降臨を待つ行事が七月七日にありました
神に衣を捧げる一夜妻、コノハナサクヤヒメも元はそうした巫女です
平安時代に貴族達は中国の乞巧奠を行うようになり
民間信仰の棚織女と併合して七夕となりました
七夕伝説とあいまり農作物の豊作や技巧の上達などの願いが時代経て、短冊に様々なお願いごとを書くようになりました
独り身には遠恋でも相手がいるだけまし(;_;)
と妬みながら七夕蘊蓄を傾けて見ました
コメント
2015/07/10 4:09
2. >>1 あめいさん
確かに日本は中国の影響は受けています
ですが
日本は混ぜ合わせ新たな物を産む民族です
日本の文化は取り入れ作りだす事
それは
中国が母ではないと思いますよ
返コメ
2015/07/10 3:46
1. 中国は我が文化の母ならんや。
返コメ