その昔、大正も半ばの頃に
尾道の貧しい家庭にS子さんと言う1人の女性が生まれました。
このS子さん、屈託のない天性の明るい性格の女性で情に厚く、とても世話好きな人でした。
情に厚いS子さんは、尾道の刑務所で囚人達の男衆に炊き出しをして飯を食わせたり、
風呂を焚いてやったりしていたそうです。
気の荒い囚人の男衆を相手にする訳ですから
情に厚い上、なかなかにして気が強い女性でした。
そんなS子さんがある時、未婚でありながら身籠りました。
今でこそシングルマザーなんて珍しくもありませんが、その当時、未婚の女性が身籠るなど許される時代では無かったのでしょう。
子供の父親が誰なのか、最期まで口を破りませんでした。
S子さんは出産すると強く心に決めていたのでしょう。
世間に隠れて内密に子供を産み、産まれた子供は遠縁の親戚の家へ里子として養子に出したそうです。
大切な我が子を手放し、涙をのんで、きっと歯を食い縛りながら生きていたS子さん。
その後に結婚もして子供を授かったものの、
若くして夫を亡くし、夫が亡くなった1週間後に、同時にまだ幼かった我が子をも亡くしたそうです。
夫と幼い我が子を同時に失い想像を絶するような哀しみの中
末の子を抱えて、シングルマザーになったS子さん。
今の時代では想像も及ばない程に、育てて行くには過酷だった事でしょう。
子供の手を取り、何度も海に身を投げようと海辺に立ったそうです。
あまりの貧しさに食べる事も満足に叶わず、住む所も無く、親類の家の「馬小屋」に置いて貰い親子で身を寄せあって暮らして居たそうです。
大正時代に生まれた女性がシングルマザーとして1人で生きて行くには、あまりに過酷な時代だったと思います。
詳しくは分かりませんが、貧しさから育てられずその後に我が子を手放したようです。
時は変わり、岡山で1人の女の子が生まれました。
両親から愛されず、虐待を受けて、子供なんか要らないと言われ捨てられました。
それが私です。
親に虐待され、育児放棄をされ、捨てられた私の元へ、ある時1人の年老いた女性が現れました。
S子さんです。
母親と呼ぶには少し歳のいった女性‥
子供を授からなかった夫婦が里子を探していた訳でもなく、たった1人で生きていた女性。
年もトシだし、何故、子供を引き取ろうと思ったのか謎でしたが、私はこの少々年老いた女性S子さんに引き取られました。
そして、親から受けた事の無かった溢れんばかりの愛情を注いで貰い、大切に大切に育てて貰いました。
女手1つで暮らしは決して豊かでは無かったけれど、沢山の愛情を注いで貰い育てて貰いました。
私もS子さんを助けるべく家の手伝いを率先してこなし、学生の頃からバイトに出て沢山働きました。
S子さんのお陰で立派に成人し、大人になって私は巣立って行きました。
突然私の前に現れたこの年老いたS子さんが、独り身のS子さんが、何故、捨てられた子を貰い受け育ててくれたのかずっと謎でした。
心の中では気になっていたものの、口に出して聞く事はしませんでした。
S子さんの元へ貰い受けられてから数十年
私は娘として大切に育てて貰い、そのご恩を返すかの如く2年程前にS子さんを施設に居ながらも充分に世話して最期まで看取る事が出来ました。
S子さんが亡くなる前日に最期に交わした言葉は
「りこ、来たんか。ありがとう‥。」
でした。
何かを含んだような言い方で、満足そうな笑顔で穏やかな死を迎えられたS子さん。
最期の最期まで、一切口を破らないままに
あの世へ旅立ったけれど‥
本当は私、知ってましたよ。
S子さん、あなたは私に何も言わなかったけれど、あなたは私の本当のおばあちゃんだったんですね。
ずっと知らないままに育てられ、あなたが亡くなる数年前にひょんな事から知りました。
でも、あなたがその事を口にしなかったから
事実を知ってからも私もその事は問いませんでしたよ。
きっと言いたく無かったんですよね?
泣く泣く我が子を手放し、遠くから我が子の成長を見守っていたのでしょう?
そして、手放してしまった我が子が自分の娘を虐待して、その子を捨てた事を知ったのですよね?
だから、秘密裏に孫の私を迎えに来て、年老いたあなたが女手1つで私を育ててくれたのでしょう?
我が子を手放してしまった事をずっと悔いていたんですよね?
だから代わりに、叶わなかった愛情を、同じように捨てられた私に降り注いでくれたんですよね?
捨て子だった私に、実の親子以上の愛を惜しみなく注いでくれていたあなたは、本当は私のおばあちゃんだったんですね。
あなたは最期まで隠したまま旅立ったけれど、
私は本当は知っていたよ。
あなたが事情があったとは言え、我が子を手放してしまい、死ぬほど悔いていた事を。
あなたが手放した子供が、その子供を虐待して捨ててしまった事を。
この負の連鎖は、私がここで断ち切ります。
私は、私の子供を愛しています。
生涯、命をかけて守り抜きます。
あなたが、私を愛してくれたように
私もその愛を我が子に繋いで行きます。
あの日、あなたが私の前に現れて
独りぼっちだった私を救ってくれました。
おばあちゃん、ありがとう。
あなたに貰った愛は、終生忘れません。
我が子に注げなかった愛は、孫の私が受け取りました。
私はこの命と愛のバトンを我が子に繋ぎます。
だから、安心して下さい。
あなたのお陰で私はこの世に生まれて来た意味を感じています。
惜しみなく注いでくれたあなたの愛を
全部全部、受け取りました。
育ての母であったあなたは、本当は私の祖母でした。
でも、本当の母親でもありました。
負の連鎖はここで断ち切って、私は我が子を守り抜きます。
S子さん、あなたもそれを望んでいたのですよね?
だからあの日、コッソリと私を迎えに来てくれたんでしょう?
安心して下さい。
あなたに育てて貰えて、わたしは幸せでしたよ。
今も、あなたの愛に感謝して生きています。
もしも、生まれ変わる事が出来るなら
きっとまた、私の元へ来て下さい。
今度は私があなたを守ります。
※誕生日を迎えて、自分の出自について考えを巡らせていました。
誰にも明かした事の無いあなたの秘密を漏らしてしまって、ごめんなさいね