私が中学生の頃、同級生に『ふくちゃん』という男の子がいた。

ふくちゃんは別に友達でも何でもない。
ただ、『同級生』というだけの存在。

仲良しな訳でもなければ
会話もしない。
いや、正確には「会話が成り立たない」



ふくちゃんは、重度の知的障害者だった。



まともな会話が成り立たないふくちゃんであったが、何が気に入ったのか？

お母さんに連れられて中学校へ登校すると
いつも廊下を歩きながら

『りこ～！りこ～！』

と大きな声で私の名を呼ぶ。

もちろん私は返事はしないし、何ならふくちゃんに見つからぬようコソコソ隠れていた。


ふくちゃんは私を見つけるまで廊下で私の名を呼び続ける。


『りこ～！りこ～！りこ～！りこ～！』

そして続けてこう叫ぶ。


『りこーーー！愛してるよーーー！！』


同級生からからかわれて、もう恥ずかしいったらありゃしない

ふくちゃんは執拗に私を探し続け、見つけようもんなら抱きついてくる始末

そんなふくちゃんから逃げ惑う日々。


やめてと言って通じる相手では無い。
困り果てた私は、ある日担任の先生に相談した。

『ふくちゃんが嫌でしょうがない。
言葉で言っても分かってくれないふくちゃんを、どうやって遠ざけたら良いか？？』
と。

すると、担任の先生はこう言った。


『ふくちゃんのような重度の障害を持った子は、今まで散々人から馬鹿にされるような言葉を浴びせられて来たろう。
同級生はこんなに沢山いるのに、ふくちゃんが名前を呼ぶのはたった1人、りこだけ。
きっとふくちゃんは本能で感じ取ってるんだよ、りこが優しい人で自分の事を1人の人間として対等に見てくれてるって。
だから、いつも通り逃げてれば良いよ。
逃げてるけど、りこは決してふくちゃんに汚い言葉を浴びせないだろう？
ふくちゃんはそれが分かってるんだよ』

と‥。


私にとっては何の解決にもなってないアドバイス。

しかし、他に名案が思いつかない。

仕方がないので、卒業までの3年間
ひたすらふくちゃんから逃げ続けた。


そして迎えた卒業式の日。

やっとふくちゃんとお別れだ
もう追い掛けられる事もなければ、大声で名前を呼ばれる事も無い。
お互い別の道を進んで、もう2度と顔を合わせる事が無いのだと思うと内心ホッとしていた。


卒業式が済んで、友達や先生達とひとしきり話をして、1人、また1人と帰って行き始めた頃‥

離れた所からお母さんに連れられて立っていたふくちゃんの姿が目に入った。


『りこ～！りこ～！』
最後の最後まで私の名を大きな声で呼ぶふくちゃん。


早く逃げて家に帰ろうとした、その時。
ふくちゃんのお母さんが私に歩み寄って来た。
そして私に話し掛けて来たのだ。



『あなたがりこさんね。
3年間、ありがとう。嫌な想いもしたでしょう？
この子にとって、りこさんがたった1人の友達だったのよ。
この子、家に帰ってきたら毎日あなたの事を言ってたわ。
それはもう嬉しそうに、何度も何度もあなたの名前を呼ぶの。
ただ名前を呼ぶだけなんだけどね。
それしか上手く言えないから‥
あなただけはこの子を対等に見てくれてたのが分かってたのね。
3年間、優しくしてくれて本当にありがとうございました』

そう話すふくちゃんのお母さんの頬には、一筋の涙が流れていた。


特段、何のつもりも無かったけれど。
何なら嫌で毎日逃げ隠れしてたけど。
それでもふくちゃんにとって私は友達だったのか。


その日を最後に、ふくちゃんとは一度も会っていない。

あれからおよそ35年の月日が流れた。
お互いもうすぐ50歳を迎える。

私は今でもたまにふくちゃんの事を思い出す。
ふくちゃんは元気にしてるんだろうか？
どんな大人になったんだろうか？

ふくちゃんはこの35年の間、1度でも私を思い出してくれたかなぁ‥‥